第2章:パルブライト帝国編

第2章:パルブライト帝国編 プロローグ

【ゴブリン】


 体の大きさからすれば長い手足に鋭い爪、頭部には大きな耳とぎょろッと見開かれた瞳。左右に裂けた口からは尖った犬歯が覗いている。

 人の膝の高さほどの大きさの魔物で、洞穴などに集団で生息すると言われており、主に人間の子供の肉が好物だとされる。

 火を扱い、武器や道具を自ら作り出すだけの知性をもつこの魔物は、ゲームなどの世界では主人公が初期に戦うことになるスライムと並ぶ雑魚モンスターとして有名である。


 しかし、本当にそうなのだろうか?

 冒険者に成りたての少年が簡単に倒せるようなものが、果たして魔物と呼ばれるものだろうか?

 その世界に住む人々にとって、生活を脅かすような存在になるだろうか?


 少なくともこの世界におけるゴブリンは――『小鬼』と呼ばれるだけの存在だった。


 小さくとも、災いを呼ぶ――『鬼』である。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 それは誰も予期せぬ出来事だったといえる。

 パルブライト帝国の地方都市ギャバンは人口一万を超える、地方都市としては大きな都市である。

 帝国内の東西流通の楔の役割をもつこの都市は、一年を通じて多くの商人や旅人が訪れる経済豊かな街としても有名で、帝国にとっても重要な都市の一つだった。


 だからこそ、予期していなかったからといって、油断していたというわけでは無かった。


 天災ともいえる災いは、得てして人の想像を超えるものだ。


 その時――人は必死にその時に取れる手段で抗おうと足掻くことしか出来ない。


 多くの血が流れ、数えきれないほどの命が失われることになるとしても、それで救われる何かの為に足掻くしかない。


 そして全てが終わった後に思うのだ。


 これは悲劇だったと――


 やれることは全てやった。しかし避けられない運命だったのだと――


 多くの屍の前で、生き残った自分への慰みの様に思うのだ。


 この夜、ギャバンを襲った厄災は、まさにそんな出来事だったと言える。




 ギャバンに住む人々は混乱の中にいた。

 止むことのない悲鳴が街中至る所から聞こえ、狂乱の中で何処へともなく逃げ惑い、家屋や物陰に隠れては震えながら息を潜める。


 突如として侵入してきたゴブリンの群れは次々と人々を襲い、建物に火を放ち、街をあっという間に恐怖に陥れた。


 成人男性ほどの背丈のゴブリンたちは、簡単な皮で出来た鎧を着け、どこからか集めてきただろう人間の使っていた剣や槍などの武器を手に持ち、目に留まる人間を片っ端から手にかけていった。


 燃え盛る炎と血で紅く染まるギャバンの街並み。


 その中で歓喜の嬌声を上げながら暴れまわるゴブリンたちは、地獄で死者に鞭打つ鬼さながらの恐ろしさを感じさせた。



 当然、街の警備兵たちは迅速に対応に当たり、ギャバン領主を任されていたサッチ子爵も自ら兵を率いてゴブリン鎮圧に赴いた。


 しかし――市民たちがいる街中では大規模な攻撃をすることが出来ず、街中に散開したゴブリンたちの数を減らす間に、それよりも多くの人たちが犠牲になっていった。



「おい!しっかりしろ!!」


 兵士の呼びかけにうっすらと目を開けて反応する男性。

 背中からは大量の出血がある。

 

 何かを伝えたそうに兵士と目を合わせるが、見えているのかどうかは彼には判断がつかない。

 そして、わずかに口元を動かしたかと思うと――そのまま息を引き取った。


「くそっ!!」


 兵士は抱き起していた男性をそっと民家の脇に寝かせ、両手に付いていた大量の血を振るい払い、地面に置いていた剣を拾い上げて、ゴブリンへの怒りと共に再び燃え盛る街の中へと走り出した。



「いやぁぁ!!――あなた!!」

「お父さん!!お父さん!!」


 左肩あたりから袈裟に斬られて倒れている男性の傍で、妻と娘らしき女性が泣き叫んでいる。

 男性の瞳はすでに虚ろで、その身体から流れ出している血液の量からして助からないのは、二人の目にも明らかだった。


 そして二人を前後から囲むように四匹のゴブリン。

 男性に抱き着いて泣き叫ぶ娘の首を掴んで力づくで引き離す。


「いや!!やめて!!娘は――」


 母親が慌てて娘の腕を掴もうと手を伸ばす。


「ぐっ――!!」


 しかし、その腹部を背後からゴブリンの持っていた剣が貫いた。


「がっ……」


 口から血を吐き出し、その場に崩れ落ちる母親。

 それでも、その手は懸命に娘に差し出していた。


 薄れていく意識の中で、連れていかれる娘の無事を神に祈ることしか出来ない自分を呪いながら、その伸ばした手で地面を握りしめていた。



 白々と夜が明けだした頃、ようやく事態は収束を迎えていた。


 残っていたゴブリンたちはギャバンから撤退し、火事は魔導士たちの懸命の魔法によって鎮火した。


 その報告を聞いたサッチ子爵は、昨日までの賑やかだったギャバンが、一夜にして見る影もなくなった――その街並みを前に涙を流したのだった。


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