第38話 新たなる問題

 シンたちがリナン砦に向かっていた頃――ロバリーハート軍では最低限の見張りを残して、それぞれの陣で久方ぶりの平穏な時間を過ごしていた。


「ゴームス、あの方は何者なのだろうか?」


 スチュアートの疑問は、おそらくは多くの兵士たちが同じように抱いているものだった。


「一瞬で兵士たちの傷を治し、欠損した部位すらも復元させる……あのような魔法など聞いたこともない……」


「私もです……もしそのような魔法があったとして、果たして――人が扱うことが出来る範疇にあるものなのかと……」


 ゴームスにも明確な回答をすることなど出来なかった。


「それに、あの巨大な魔物にしても、あの魔力の渦にしても――あの方が何かやったに違いありませんね」


 その巨大な魔物とはシンがロバリーハートの兵士たちを治癒していた時に現れた魔物――ケルベロスのこと。


 リナン砦よりも巨大なその姿は、遠く離れたこの場所からもはっきりと見て取れた。


 そして、ケルベロスが不可視の速さで放った光撃によって遥か彼方の森で起こった爆発と天へと立ち昇った巨大な光の柱。

 それを見た兵士たちは、助かった命に感謝する暇も無く、新たな絶望へと突き落とされていた。

 

 そうして呆然自失で遠くを見つめる兵士たちの視界に次に入ってきたのは、高速で空を飛んで砦の方へと向かうシンの姿だった。


 更に――何が起きているかは分からないが、その巨大な魔物が音を立てて倒れ、続けざまに鈍い爆発音が聞こえてきた。


 そんな音が止むと、再び立ち上がってきた魔物だったが、今度はその姿が一瞬で霧のように消えて見えなくなった。

 そして次の瞬間には、あれほどまでに禍々しく渦巻いていた乱魔流が――すうっと、消えていった。


「そもそも、あの方は空を飛んでいたのだぞ……そんなことが出来るのは……」


「神の遣わされし使徒様……もしくは、神その人なのかも知れませぬな……兵士たちの中でも、すでにそのような憶測が流れているようです」


 そのように考えるのが自然な事だろうとゴームスは思う。


 そうでなければ、この世の摂理からあまりにも逸脱した力ではないかと。


「しかし、あの方は陛下の代行者としてここに来られたという。使徒様であるなら、そのような現れ方をするのはおかしくはないか?空からこう、舞い降りてこられるとか……」


 スチュアートは両手を広げて羽ばたくような仕草で説明するが、この場に自分以外の臣下がいなくて良かったとゴームスは思った。


「協会の経典以外に使徒様や神について伝えられている話は聞きませんが――もしかしたら、普段から人間の世界に紛れて我らを見守ってくださっているのかもしれませんね」


 そうは言ったゴームスだったが、自分の言葉に矛盾があることにも気づいていた。


「ん?意外と神も万能というものでも無いということか?」


 スチュアートもその矛盾に気付いたようで、本当に協会が言うように神が万能の力を持っているとしたら、わざわざそのような手間を取る必要などないのだから。


「さて、つまるところ、私のような凡人には真偽のほどを推測することすら出来ぬということですな」


「別にお主に限ったことではないわ。あのような力、本人以外で理解出来ようはずもない」


 スチュアートはそれ以上考えるのは無駄と考えて、その話を終わらせた。

 今は他に気になっていることがあった。



「兄上、閣下が戻られたようです」


 スチュアートとゴームスのいる天幕へ入っていたロメロが告げる。


「帰ってこられたか!!」


 魔物と乱魔流が消えた後、戻ってきたシンと共にリナン砦に向かっていたアフリートとシムザム。


 ファーディナントと会談を行うということ以外、その内容については一切聞かされていなかったスチュアートは、その帰りを今や遅しと待っていた。


「直ちに本陣に来られたしとの伝令が来ております」


「分かった、ゴームス同行せよ。ロメロはここを任せた」


 言うが早いか、スチュアートは足早に本陣へと向かった。



 スチュアートたちが本営天幕に入ると、そこにはすでに諸侯が勢ぞろいしていた。

 急いできたのだが、それでもスチュアートたちが最後だったようだ。

 整列していたその最後尾にゴームスと並んで加わる。


「皆集まったようだな」


 正面中央に立っていたアフリートが口を開く。


「まずはファーディナントとの会談内容から伝える」


 その言葉に場の緊張が高まる。


「此度の戦い、本日をもって終戦を迎えることになった」


 アフリートの言葉にざわつく一同。


「和睦したというのですか?」


 前方にいた貴族の誰かが言う。


「そうだ、この戦いは終わった。正式に協定を結んではいないが、ファーディナントが追撃してくるようなことは無い。今後我らは陛下をお迎え次第、国へと帰還することになる」


 スチュアートを含め、誰もそれを素直に受け入れることは出来なかった。


「それでは国はどうなるのですか!?我々は今まで何のために戦ってきたというのですか!!死んでいった兵たちは一体何の為に……」


 その貴族の言葉はここにいる全員の気持ちを代弁していた。


 もちろんスチュアートもこの一年で少なくない臣下を失っていたので、怒りにも似た感情が沸き上がってくる。


「その方が言うことは正しい。他の者も同じ気持ちだろう」


 しかしアフリートは一切気後れする様子は無い。


「詳しい説明は陛下が来られてからになるが、結論から言うならば――ロバリーハートは救われた。なので、諸侯らは生きて帰り、国の為に散っていった者たちの功を報わねばならぬ」


 ――救われた?突然そのようなことがあるのか?


 例え一日二日雨が降ったところで、この秋の収穫まで保証されるわけではない。

 戦争が終わることは良いことなのだろう。元より正義の無い戦いだ。しかし、目的を果たさずして帰国するならば、本当に何のために命を賭けてきたのかとスチュアートは思う。


「閣下!!閣下はそのような与太話を我らに信じろとおっしゃるのか!!」


 その貴族は怒りに任せて更にアフリートに食ってかかる。

 明らかな不敬な発言ではあったが、アフリートがそれを咎めるような様子は無かった。


 そしてアフリートが何か言おうとして口を開いた時、天幕へ一人の兵士が駆け込んできた。


「何事だ!!」


 それは入り口を警備していた兵士だった。

 その手には何か書かれた紙が握られており、その顔は血の気が引いて青ざめていた。


「し、失礼いたします!!閣下とシン様にランバート将軍より火急の報告が届いております!!」


 スチュアートはすぐ隣まで来ていた兵士を見る。

兵士は明らかに動揺した様子で紙を持つ手が震えている。


「――シン殿」


 アフリートがシンへと声をかける。


「構いませんよ」


 その意味を理解したように、そう返した。


 しかしその表情は、スチュアートが最初見た時の飄々とした雰囲気では無く、それとはまるで印象の違う真剣な表情をしていた。


「その場で申せ」


 アフリートが兵士に命じる。


「はい!!ランバート将軍からの通信でございます!!王都ジルオールにて反乱が起こり、王都周辺が反乱軍により占拠されました!!そして陛下がスズカ辺境伯によって拉致されたとのことです!!」


 その衝撃的な報告内容に言葉を失う一同。


 アフリートも固まったように動かない。



 そんな水を打ったように静まり返った空間に、シンの小さな舌打ちの音だけが聞こえた。

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