第12話 紅き古龍

 全身から溢れ出す魔力が燃え上がる炎のようにその巨躯きょくを覆い、ゆっくりと羽ばたく翼が激しい熱風を巻き起こす。


「ウォオオオオオオオオォォォォォ!!」


 普通の屋敷程度なら丸飲み出来そうなサイズの巨大な口から発せられたのは歓喜の叫び。

 若き龍の現世への帰還に喜び震える魂の叫び。

 心に直接響くようなその声は衝撃波のように王宮全体を揺さぶった。



 二千の歳にわずかに満たないこのドラゴンは、かつて古龍と呼ばれた一族の最後の一柱。


 だが、種の存続を期待され生まれた彼には、他の古龍に比べて圧倒的に理性が足りていなかった。

 残虐なまでの暴力性は他の古龍の言に従わず、気まぐれに力を暴走させてはいくつもの国を己が娯楽の為に燃やし、眷属である竜たちすら食欲の足しとしていた。

 その暴挙を見過ごせなくなった古龍たちは、永き時をもって改心することを願い、若き龍を次元の狭間の牢獄へと封印したのだった。


 閉じ込められていた間に考えていたことは、自分をこんな目に合わせた者への復讐。


 ――必ずやその喉を食い破り、はらわたを引きずり出し、その全てを焼き尽くしてやる。


 仲間だった者たちへの怒りと恨みを糧に、永遠とも思える刻を耐え忍んでいた。


 しかし、その思いもやがて薄れていった。

 改心したのではなく、元より生まれ持った暴力性が激しい怨恨の念すらも凌駕し始めたのだ。


 残されたのは破壊への抑えきれない衝動。

 その欲求を果たせぬまま、孤独な暗闇の檻の中で狂わんばかりに叫び続けていた。


 そして千年強の時が流れ、暗闇の中で自我すらも消滅しかけていた時に――それは起こった。


 彼の身体を光が包み込む。

 光によって浮かび上がってきた千年以上ぶりに目にする自分の身体。

 そこで自分が古龍であることを思い出し、消えかけていた自我を取り戻す。


 次々と心の底から湧き上がってくる、長らく忘れていた感情。

 ――戸惑い。

 ――恨み。

 ――怒り。

 

 そして――喜び。


 彼は自らが解放される時が来たことを本能的に察知していた。

 復讐などどうでもいい。

 暴れて、殺して、喰らう。

 かつての素晴らしい日々が戻ってきたのだと。


 かくして、人類にとって最凶の紅きドラゴンの封印は――最悪の状況下で解かれたのだった。



 姿かたちは伝え聞くドラゴンのそれであったが、その身体は想像していたものよりも遥かに大きく、全身から溢れ出る魔力を含めて、とても人の身でどうこう出来るものとは思えなかった。


 ――何故今このようなものが現れた?

 あの魔王が呼び出したのだ。


 ――何のために?

 ここにいる者を皆殺しにし、この国の人々に更なる絶望を与える為だ。


 今頃は停戦の命令が伝わっているだろう。

 その交渉材料を無くし、援軍の芽を潰し、不利な撤退戦を強いることで軍事力を削る。

 そうなれば、追撃の勢いに乗って攻め込んでくるファーディナント軍を迎撃することは不可能だろう。

 国土はあっという間に蹂躙され、収穫期を目前に備えたこの時期、ほんの僅かに実った農地も荒らされ尽くす。


 ロバリーハートが滅び、ファーディナント領となったとしても、飢えに苦しむ民たちが戦勝国の下でどれほどの無事な未来を迎えられるというのだろう。

 奴隷として過酷な労働を強いられるのはまだマシで、弱ったものは見棄てられたまま飢えて死んでいくのだ。


 これまでのことは全て茶番で、この結末は最初から全部魔王のシナリオ通りだったのだ。今この時こそが、その計画の最終段階。


 ロバリーハート王は停止しかけた思考の中で全てを悟った。


 ――あぁ……一番幸せなのは、そんな未来を見ることなく、この場で殺される自分たちなのかもしれないがな……。


 すでに足掻く気すらも湧いてこず、自虐的な言葉が脳内に浮かぶ。




 こうして思い込みと現実との乖離は、イレギュラーなドラゴンの出現で更に加速していった。




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