最東端の港町

 カウンの町を出発したユウとトリスタンは東端の街道に沿ってひたすら東へと歩いた。


 荷馬車の主である商売人アガフォンの許可を得て同行し、その護衛である冒険者のボグダンとヴァレリーと仲良くなる。当初は同行するだけであったが、すぐに一緒になって3度の食事や夜のみ張り番も行うようになった。


 アガフォンによると東端の街道の中でもカウンの町より東側は治安が良いとのことだ。しかし、ユウたちが見たところ、荷馬車の往来がほとんどないので盗賊稼業が割に合わないだけではないかと感じた。そんなところは故郷に似ている。


 ただし、ひたすら広い平原には野生の動物が生息していた。その中にはたまに人間を襲う獣もいる。たまに野犬が近づいて来ることがあった。


 それらを踏まえた上で9日間の街道の旅は順調だったといえる。結局、ユウたちが必要とされることはなかった。


 空が朱くなり始めた頃、ユウたちはイーペニンの町の郊外にたどり着く。町の外観はある意味見慣れたもので、街道に沿って宿屋が並び、その奥に歓楽街の店舗がひしめいていて、町の南側には市場と貧民街があり、そのいずれも防壁には囲まれていなかった。


 歩きながら雑談をしていたユウは荷馬車が原っぱに逸れて行くのを目にする。相棒と共にそれへと続いた。すぐに原っぱで停車した荷馬車の御者台へと歩み寄る。


「ユウ、トリスタン、町に着いたぞ」


「ありがとうございます。おかげで助かりました」


「こっちこそだ。特にあの2人、今回は夜のみ張り番が楽になったって喜んでいたからな」


「お互い様ですよ。負担が半分に減るんですから」


「港はここから町の反対側にある。今ならまだ水平線もはっきり見られるだろうよ」


「わかりました」


 同行を許してくれたアガフォンとユウは別れの挨拶を交わした。


 その一方、トリスタンがやって来たボグダンとヴァレリーの2人と言葉を交わす。


「ボグダン、ヴァレリー、楽しかったぜ」


「オレもだよ。たまには他のヤツと一緒に旅をするのもいいもんだな」


「ああ、仕事もいつもより楽だったからなぁ。お前らとならまた一緒に旅をしたいもんだよ」


 旅の間ほとんど1日中顔を合わせていたこともあって冒険者同士ですっかり仲良くなっていた。どちらも別れを惜しんでいる。


「それでは皆さん、お元気で」


「しっかり東の果てを見てくるんだぞ!」


 楽しそうに声をかけてきたアガフォンにユウはうなずくと踵を返した。街道に戻ると町へと足を向ける。


 トリスタンがユウの横に並んだ。顔を向けて声をかける。


「いよいよだな」


「そうだね。ついに東の果てに来たんだなぁ」


「今どんな気持ちなんだ?」


「いつも通りかな。海を見たら何か変わるかもしれない」


 何でもないという様子でユウはトリスタンの質問に答えた。言葉通り本当に心は平穏なので内心で驚いているくらいである。


 街道を歩き続けると町の西門手前にまでユウはやって来た。反対の東側へ向かうなら南回りで市場と貧民街を通り抜けるのが一般的だ。しかし、ユウは北へと足を向けた。そのまま城壁伝いに町の北側に回る。


 そこには何もなかった。海岸から城壁まではあまり距離もない。少し進むと歓楽街の喧騒も聞こえなくなり、代わりに波が打ち寄せる音が耳に入る。静かになった。


 そのまま東側へと抜けると右手側に東門近辺には倉庫街が並び、その先に港がある。停泊している船は3隻と少ない。だからだろうか、港は落ち着いているように見えた。


 港から目を離したユウはまっすぐ東へと顔を向ける。海の色は濃く、空の色は薄い。なので水平線ははっきりと見える。


 ついにやって来た東の果て。厳密には港の岸壁かそこから延びる桟橋が最先端になるのだろうが、そんな細かいことはユウにはどうでもよかった。今のユウにとって東の果てとは水平線の彼方のことだから。


 その風景を見れば何か思うこともあるだろうと期待していたユウは、本当に何も胸の内から湧いてこなくて呆然とした。思った以上に自分は空っぽだったのか、それともこの景色を見て全部抜け落ちてしまったのか、判然としない。


 ただ、この光景を目にすることができたのは良かったとユウは思う。苦労に見合うのかはわからないが、この場所に来たことは間違いではなかったことは確信できた。そうであるのならば、この旅を始めたことはきっと正解だったのだ。


 充分時間をかけて眺めた後、ユウは思いきり背伸びをした。全身の力を抜くと大きく息を吐き出す。


「うーん、海だね」


「散々苦労してやって来て眺めた末の感想がそれか」


「え? それじゃ何て言えば良いの?」


「そりゃ別に何を言ってもいいんだろうが」


「トリスタン、酒場に行こう!」


「もういいのか?」


「うん、充分に見たから」


 満足したユウは踵を返して歓楽街へと足を向けた。やることはやったし、見るものは見たのだ。機嫌良く歩く。


 2人が入った酒場は特に特徴のない店だった。客入りは良くもなく悪くもない。一部の船乗りが騒いでるのが目に付くくらいである。


 カウンター席に座ったユウたちは給仕女に料理と酒を注文した。すると、トリスタンがぼやく。


「この店、ちょっと高くないか?」


「カウンの町から食料を送っているからその分高くなるって聞いていたけれど、そのせいなんじゃないの?」


「なるほどなぁ。ユウの希望でここに来たけど。その用も済んだことだし、さっさと戻るか」


「そうだね」


 相棒に同意はしたものの、今のユウは値段があまり気にならなかった。もしかしたら、まだ海を見たときの感覚が残っているのかもしれないと思う。


 給仕女によって料理が運ばれてきたのでユウとトリスタンは食事を始めた。まずは木製のジョッキを傾けて肉を口に放り込む。味は良い。


 食事を楽しみつつ、2人は話も弾ませた。内容は今までの旅路での出来事だ。一緒に旅を始めてから1年近くになるので話せることも割とある。


 そうして夕食をしていたユウはいつの間にか隣の席に誰かが座っているのに気付いた。ちらりと見ると船員だ。2人で楽しくしゃべっている。


 最初は気にしていなかったユウだが、ちょうどトリスタンとの会話が途切れたときに耳にした話が気になった。


 給仕女を呼んでエールを2杯頼んだユウにトリスタンが尋ねてくる。


「お、今日は徹底的に飲むってか?」


「いや、そうじゃないんだ。ちょっと気になったことを聞こうと思ってね」


「何をだ?」


 不思議そうな顔を向けてくるトリスタンには答えずに、ユウは給仕女が持ってきた木製のジョッキを隣の船員たちに渡すよう頼んだ。


 突然目の前に木製のジョッキを差し出された船員たちは目を丸くする。


「なんだにーちゃん、やけに景気がいーじゃねーか!」


「さっき2人で話していたことを聞きたくてね。ほら、東の向こう側への航海について」


「あ゛ー? あんな与太話を知りたいってぇのか? 物好きだねぇ」


「いーじゃねーか。酒奢ってもらったんだし。与太話くらいしてやれや」


「そりゃおめーもおなじだろーが」


 酒をもらったことで上機嫌な船員たちは新しい木製のジョッキを片手に騒ぎ始めた。しかし、それを軽く傾けると2人揃ってユウへと顔を向ける。


「いーぜぇ。話してやる。これはこの辺りの船乗りなら大抵は知ってる話なんだ」


「そうそう、大抵はこういう酒場で聞くんだよな」


「オレも初めて聞いたのは別の港町の酒場だった。ありゃ確か引退間近のジジィだったなぁ。で、そのジジィが言うにはよ、このイーペニンは今でこそ南のカウン、北のセンスラを結ぶ港町に過ぎねぇんだが、町ができた頃にはもうひとつ役割があったそーなんだ」


「もうひとつですか」


「そうだ。その役割ってのが、イーペニンの町から更に東へと向かう拠点だったっつー話なんだ」


「でも、この町より東ってもう何もないって僕は聞いているんですけど」


「あーそーだ、こっから東にはなーんもねーよ。そのはずなんだ。けど、あのジジィは東に向かう船はあったんだって言い張ってたんだよなぁ」


「もしかして、そのお爺さん、行ったことがあるんですか?」


「さすがにそりゃねーよ。この町ができたのは何百年も前のことだし、ジジィと話をしたのは10年ほど前だ。時代も歳も合わねぇ」


「まぁでも、酔っ払ってフカすヤツやヨタをこくヤツは珍しくねぇからな。これはそーゆー類いの話なのさ」


 話し終えた船員たちは機嫌良く木製のジョッキを傾けた。


 礼を言って話を切り上げたユウはトリスタンと顔を見合わせる。確かに与太話にしか聞こえない。明日になったら忘れるべき類いの話だ。


 しかし、なぜかユウの心には妙に残る。なぜかと考えて思い至ることがひとつあった。おばあちゃんのお話と似通う部分があるのだ。


 行けるものなら行ってみたいとユウは思った。

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