何気ない雑談

 航海が始まってから10日が過ぎた。途中で寄港するビウィーンの町まで残り半分といった距離だ。北西側に見える沿岸部は屈折の山脈の麓が延々と続いている。尚、火山本体はずっと内陸側にあるので海上からは見えない。


 この頃になるとユウとトリスタンも『黄金の梟』号にすっかり慣れる。船内の作業で必要なことはいずれも身に付けており、優秀な作業者として船員からの評判も良かった。そのため、多少失敗しても大目に見てもらえ、またいろんな話も教えてもらえる。


 食事は1日3回、塩辛い肉と硬いビスケットを支給されるが、そのときは他の船員と話をする良い機会でもあった。口に入れたものをワインで流し込みながら雑談をするのだ。


 あるとき、2人は一緒に作業を終えた赤っ鼻の船員と一緒に食事をしていた。熟練の船員で上手な働き方をたまに教えてもらっている。


「最近この硬いビスケットを噛むのがつらくなってきたんだよなぁ」


「ああ、もうそんな歳なんですか?」


「バカヤロウ、まだ年寄りじゃねぇよ。でもオレくらいのトシになったヤツはみんな同じことを言うんだよな。昔、先輩も同じことを言ってたっけなぁ」


「歯茎から血が出たりなんかしていませんか?」


「そういや、最近よく血が出てるような気がする」


「もしかしたら歳のせいじゃなくて、栄養が足りないのかもしれませんよ」


「栄養だぁ? おかに上がったら腹いっぱい肉を食って酒を飲んでるぞ」


「あーそっちの栄養じゃなくて、別の栄養なんですよ」


 最近のユウは仲良くなった船員に対してさりげなく柑橘類を勧めようとしていた。引退した元老船員がこれによって命を繋げたのならば、せめて良い関係を築けている人には健康になってほしいという願いからである。


 しかし、現実にはなかなか広まらなかった。誰もが柑橘類の効果を疑問視しているからである。今回もユウは赤っ鼻の船員への説得に失敗した。体験してもらえれば一番なのだが、あの酸っぱい味が今度は大きな障害になってしまうのだ。


 少し肩を落としたユウに代わって今度はトリスタンが船員との会話を引き継ぐ。


「それにしても、お前ら2人はよく働いてくれるよな。人手が足りていねぇからこっちは助かってるよ」


「船員の募集はしないのか?」


「港による度にやってるよ。けど、そう都合良く人は来ちゃくれねぇんだ。他の船も同じように募集してるしな」


「競争になるのか。もしかして、冒険者ギルドに依頼する方が手っ取り早い?」


「そうだな。少なくとも体力があるっていう保証がされてるだけずっとマシだ。それでもダメな連中はダメだが」


 赤っ鼻の船員はしゃべりながら離れた場所に目を向けた。その先ではカーティスとグレンが食事をしている。不機嫌そうな表情をしていた。


 具体的に誰を差しているのか理解したトリスタンがうなずく。


「あの2人か。周りの評判が悪いよな。やる気もなさそうだし」


「そうなんだ。なんでこんな仕事をさせるんだってほざくこともあるんだぞ。だったらテメェらはなんで船に乗り込んだんだって話だ」


「確かに。でも、船で他の場所に行きたかったのかも。俺たちもそうだし」


「ならカネを払って乗客になりゃいいんだ。それにあいつら、メシまでまずいと平気で抜かしやがる。イヤなら食うなってんだ」


「うん、まぁ、そうだな」


 食事の話になったところでトリスタンは赤っ鼻の船員から目を背けた。さすがにこの塩辛すぎる肉と硬すぎるビスケットの擁護はできなかったのだ。


 黙ってしまったトリスタンに代わって再びユウが船員との会話に復帰する。


「あの2人って、今回初めて船に乗ったんですか? 手際を見ているとそう思えるんですけれど」


「どうもそうらしい。前に船長に文句を言ったことがあるんだが、元々は別の冒険者を雇う予定だったそうだ」


「それがあの2人になった。どうしてですか?」


「詳しくは船長も知らないらしいが、船に乗り込む直前になって大怪我をしちまったみたいで、冒険者ギルドから取り消しの連絡があったそうだ」


「それであの2人が応募してきたと」


「船長もあんまり気乗りしていなかったらしいが、誰も雇えないってのも困るから採用したんだと。ただ、やっぱりあいつらだけじゃ不安だったんだろうな。その後もギリギリまで募集をかけてたら、お前らがやって来たってわけだ」


「僕たちが採用されたのって、そんな理由があったんですか」


「そうさ。でも、それが大当たりだったってわけだ。まぁ、これからも頼むぜ!」


 そう言って笑うと赤っ鼻の船員は機嫌良くビスケットを囓ろうとした。しかし、なかなか噛みきれず顔をしかめる。


 カーティスとグレンの採用された経緯を知ったユウは少し驚いた。船で仕事をしたこともないのに駆け込むように応募してきたという点が気になる。周りの評判に引っぱられている自覚はあるものの、何かあるのではと勘ぐった。もちろん何も思い付かない。


 面白くない話ばかりをしていてもつまらないと赤っ鼻の船員が話題を変えた。抵抗する理由もないのでユウとトリスタンもそれに従う。後はいつも通りの雑談に戻った。




 船体の大きさにもよるが、船には何十人もの船員が乗っている。そのため、船内では人と関わらないということが難しい。全員が何かしらの役割を担当しているので尚更だ。


 それはユウたち冒険者も同じである。船員に比べて専門知識に乏しい船員補助なので仕事が重なることも珍しくなかった。


 あるとき、倉庫で道具を磨く作業を冒険者2人でやることになった。広くない倉庫での作業なので全員でできなかったわけだが、問題はその人選だ。船員から仕事を頼まれる頃合いなどがずれた結果、ユウとカーティスが担当することになる。


 今やユウにとってカーティスは苦手な相手から厄介な相手になっていた。気が合わないというだけでなく、仕事をきちんとしない同業者だとわかったからだ。今までも何度か一緒に作業をしたことがあったが、見えないと所だとすぐに手を抜こうとする。


 このときもそうだった。道具を磨く作業を始めていくらかもしないうちに手を動かさなくなる。そればかりか、作業中のユウに話しかけてきた。あの嫌な笑みを浮かべた顔を近づけてくる。


「なぁ、ユウ。暇だから話をしようぜ」


「目の前に仕事があるんだから暇じゃないでしょ」


「こういうのはオレに向いてないんだよ」


「それじゃどうして船の仕事なんて引き受けたの」


「それにはふか~いワケがあるのさ」


「どんな理由?」


「実はよ、前に引き受けた依頼でちょいとヘマをしちまってな、パーティメンバーが半分になっちまったんだ。それでやり直すために今は稼ぎ直してるってわけさ」


「稼ぎ直すっていうのなら、ちゃんと働かないと駄目じゃない。怠けてばかりいると、次の港町で降ろされちゃうよ?」


「へっ、ご忠告ありがとよ。でも、この船だってあんまり余裕はなさそうだからな。案外オレみたいなのでも追い出せねぇかもしれねぇぜ?」


 余裕の姿勢を崩さないカーティスはにやにやと笑っていた。何か切り札でもあるのか、今のままでも平気だという態度である。


 ただ、ユウがそれに付き合う理由はなかった。どうせなら気持ち良く働きたいというのがユウの考えなので真面目に作業をする姿勢は崩さない。


 そんなユウに対してカーティスは更に話しかけてくる。


「それにしてもよ、あのダンカンって商売人は怪しいよな」


「何が?」


「いやだってよ、そもそも商売人がどんなヘマをしたら斬り殺されそうになるってんだよなぁ」


「その話、誰から聞いたの?」


「本人からだよ。暇なときにちょいと話をしたのさ。あいつ絶対おかしいぜ」


 ユウもダンカンには思うところは確かにあった。しかし、カーティスと比べればその評価は雲泥の差である。少なくともダンカンは自分の担当作業で手を抜いたりはしなかったからだ。


 しかし、嫌だと思っても仕事があるので立ち去れない。その後、ユウはカーティスから嫌な気分になる話を延々と聞かされた。


 そんな日の夜、ユウは寝苦しくてなかなか寝付けなかった。仕方なく甲板へと出て体を冷やす。月明かりでぼんやりと浮かび上がる吹きさらしの甲板上は波も穏やかなので過ごしやすかった。


 だからだろうか、ユウは自分以外にも甲板に出ているダンカンを目にする。


「ダンカンも眠れないんですか?」


「そうなんですよ。船の旅が思ったよりも堪えているのかもしれません」


 苦笑いをするダンカンにユウは近づいて話しかけた。そこから2人で言葉は少ないながらも話を始める。しかし、最初は雑談から始まったが、やがてお互いの身の上話へと移った。ユウはぽつぽつと故郷の村について人に話す。


 眠気が再び訪れるまでユウはダンカンと2人で夜風に当たり続けた。

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