雇い主と商売人
荷馬車の護衛の仕事を引き受けた翌朝、ユウは冒険者ギルド城外支所本部の前で立っていた。まだほとんど視界が利かない時刻だが、幸い往来する冒険者が掲げる
早朝の冷え込みで息を白くしつつも相棒を待っていると、ユウは横から声をかけられた。顔を向けると笑顔のトリスタンが顔を向けてきている。
「おはよう! いよいよ本格的に寒くなってきたな」
「そうだね。手足の先が冷えてかなわないよ。荷物は全部持ってきている?」
「もちろんさ! 宿も引き払ったし、いよいよ旅に出るんだよな、俺たち」
「まぁね。それじゃ行こうか」
相棒を促したユウは貧民の道へと踏み出した。そのまま南へと向かい、旅人の宿屋街の北側にある原っぱを目指す。
雇い主であるエグバートの荷馬車は昨日とは異なる場所に移っていた。今回の旅を共にする他の商売人に合流するためだ。
あらかじめおおよその場所を聞いていたユウとトリスタンはそちらへと足を向けた。暗くて周囲が見づらい中、周りの人々が掲げる松明の明かりを頼りにぼろい幌付きの荷馬車を探す。すると、とある一塊となっている荷馬車の集団の中にそれを目にした。
御者台の近くで立っているエグバートに2人は近づくと、ユウが声をかける。
「おはようございます、エグバートさん」
「ちゃんと来てくれたね。出発までまだ間があるよ」
「それは良かったです。まず荷物を荷台に載せさせてくれませんか」
「いいよ。後ろから入って置いてくれ」
許可を得たユウはトリスタンと共に荷馬車の背後に回った。背負っていた
同じく背中の荷物を降ろしたトリスタンがユウの様子に気付く。
「ユウ、どうしたんだ?」
「あーいや。これ、座れる場所がほとんどないって思って」
荷台の上は鉱石の入った樽でいっぱいだった。もちろん厳密な意味では隙間は存在するが、背嚢を置くと座れる場所がほとんどない。
利益優先で護衛の傭兵や冒険者のことを考えずに積載する商売人は確かに存在する。そういう雇い主に当たると待遇は悪いと感じるものだ。自分の報酬がここからひねり出されると思うと文句も言いにくいが、それだけにたちが悪い。
ただ、エグバートがその手の雇い主かと問われるとユウは首をひねった。それよりも、単に何も考えずに品物を積み込んだというほうがしっくりとする。
とりあえず背嚢を荷台に置いたユウはトリスタンと共にエグバートの元へ引き返した。そして、雇い主がしゃべる前に口を開く。
「エグバートさん、僕たち、荷台のどこに座ればいいんですか? 場所がないんですけど」
「いや、そんなことはないはず、ちゃんと2人が座る場所は空いているはずだよ」
「僕たちが荷物を置いたらほとんどその場所がなくなりますよ」
「ええ?」
怪訝そうな表情を浮かべたエグバートがユウたちと共に荷馬車の背後へと回った。そして、荷台に載った品物と2人の荷物を目にする。
「まぁでも、座れるんじゃないか?」
「鐘の音1回分くらいでしたら我慢もしますけど、これから1週間座りっぱなしになるんですよ? しかも、宿場町や野営の場所だと夜の見張り番をするときに僕たちはここで寝るんです」
「ああ、そこまでは考えていなかったな」
「さすがに夜の見張り番をしなくても良い、なんてことはないでしょう?」
「もちろんだ。やってもらわないと困る。しかし、今更品物を降ろせないしな」
「でしたら、僕たちの荷物をこの品物の上に置いても良いですか? これだととりあえず座れますし、寝るのはまぁきついですけれども、何とか」
「構わないよ。品物は鉱石だからね。人間の担げる荷物くらい乗せたところで潰れないだろうし」
「ありがとうございます」
小さくため息をついたユウは肩の力を抜いた。予想通り気が回らなかっただけで話は通じる。積み込んだ荷物が鉱石のような硬い物だからだというのも理由としてあるだろうが。
ともかく、自分たちの居場所を確保するためにユウとトリスタンは荷台に上がって背嚢を別の場所に置き直した。これで少なくとも座る場所は手に入る。寝るときのことはあまり考えたくなかった。
そんな2人に対してエグバートが声をかける。
「君たちが来たことだし、私は少し荷馬車から離れるよ。今回一緒に移動する他の商売人と話をしてくる」
「わかりました。荷馬車の周りだったらどこにいても良いんですよね」
「構わないよ。すぐそこにいるから、何かあったら声をかけてくれ」
言い終わったエグバートが荷馬車の背後から離れた。そして、近くで輪になっていた商売人たちの中に入ってゆく。
ようやく一段落着いたユウは再び荷台から降りて地面に立った。うっすらとした冷え込みはなかなかのものだが、動き回った今は少しましだ。
同じく荷台から降りてきたトリスタンがユウに声をかける。
「ようやく落ち着けたな。後は出発するだけか。それにしても、荷台の座る場所がこんなに狭いとは思わなかったな」
「ここまで狭いのは僕も初めてだよ。珍しい体験だね」
「それを俺は初回に引き当てたわけか。運がいいんだか悪いんだか」
微妙な表情を浮かべながらトリスタンは両手をこすった。そのまま目を雇い主へと向ける。近いということもあって割とはっきり声が聞こえた。ぼんやりとその話し声を耳にしていると、今回の荷馬車の集団について少しずつわかってくることがある。
今回はいずれも荷馬車を1台持っている商売人の集まりで、エグバート以外はいずれも長年荷馬車であちこちを巡っているらしい。それに対して、エグバートは今回が初めて1人で荷馬車を率いる。つまり、熟練者と新人なのだ。
最初はお互いに探り合うように話をしていた商売人たちはそのことを察すると微妙に態度を変えてくる。馬鹿にされることはなくても、立場はどうしても弱くなった。
その様子を見ていたトリスタンが隣で立っているユウに小声で話しかける。
「ユウ、何だが我らが雇い主殿の立場があんまり良くないな」
「新人だから下に見られちゃったみたいだね。道中何もなければ問題ないんじゃないかな」
「何もって、何があったら問題になるんだ?」
「例えば、盗賊に襲われて僕たちと他の商売人が助けを求めたとしたら、他の商売人を優先されるとか」
「嫌な話だな。切り捨てられる方かよ」
「まぁでも、そんな状況だったら間違いなくこの集団が全滅する危機に瀕しているだろうから、あんまり気にする必要はないと思うけど」
十人にも満たない商売人の集団が二者択一の選択に迫られるような襲撃となると、ほぼ間違いなく全員が必死になって襲撃者と戦っているような場面だ。示し合わせたように荷馬車の集団と襲ってくる盗賊の人数が同じということは一般的にはほぼない。盗賊側も襲撃を成功させるために頭数を用意するからだ。
それに、ユウの見立てではまだそこまでそこまでの見下され方にはなっていない。せいぜい先輩が後輩を指導してやるという程度である。
「そうかもしれないけど、俺たちにまで何かあったら嫌だよな」
「例えば?」
「報酬の額を減らされたり」
「僕たちに落ち度がないのにそんなことをしたら契約不履行だからむしろエグバートさんが後々困るよね」
「野宿のときの夜の見張り番で、意図的に俺たちだけ重要な事柄を教えてもらえなくなるとか」
「夜の警備は自分の命がかかっているから誰もそんなことはしないよ」
「食事量を誤魔化されるとか」
「今回は雇い主から支給されるし、もう既に用意されているからあり得ないよね」
一生懸命考えて例を挙げるトリスタンにユウは1つずつ回答していった。可能性を考えることは良いことなので止めはしない。逆に、そのくらいしか思い付かないのならば安心である。大したことがないということだからだ。
ただ、何らかの原因でエグバートと他の商売人の関係が悪化したら話は変わってくる。そういうときは普段の積み重ねが何倍にも悪い方へと増幅されるので気を付けないといけない。そうならないよう、雇い主の会話術が巧みであることを祈るばかりだ。
一通り思い付くことを口にしたトリスタンの表情が安心したものになる。
「なんか大丈夫そうだな」
「僕たちは僕たちの仕事を果たせば良いんだよ。盗賊や獣にいつ襲われるかわからないところで仲違いなんて早々起きないよ、たぶん」
「たぶん?」
「ああいや、起きないよ。そんなに仲が悪そうには見えないでしょ」
エグバートたち商売人の姿を見ながらユウはかつての護衛の1つを思い出してしまった。自分勝手なことをする商売人は世の中にいるのだ。思わず身震いする。
頭を左右に振ったユウはそんな嫌な記憶をすぐさま追い払った。
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