都市と下水路網

 小岩の山脈の麓にある町から続く宝物の街道を1台の荷馬車が南下していた。2頭の馬に引かれた大きめのもので、人の歩く速さと変わらない速度でのんびりと進んでいる。


 暗く染まりかけた空の下、地平線の彼方に見える町の姿が次第に大きくなってきた。中央に大きな城がそびえ立ち、近づくにつれて左右に大きく広がっていく。


 遮る物がない平原で冷風が吹くと寒い。幌付きの荷馬車の中にいてもそれは同じだ。荷台の後方で両手で自分の腕をさする黒目黒髪の青年が御者台の向こう側に目を向ける。


「やっと着いたんですね。あれがミネルゴ市かぁ」


「でっけぇだろ。今まで見てきた町でも大きい方じゃねぇのか、ユウ」


「そうですね。たぶん一番大きいんじゃないかと思います」


 白髪頭のしわくちゃで偏屈そうな老人にユウはうなずいた。顔だけ見れば年寄りだが体格はまだまだかなり良い。老冒険者と言っても充分に通用する風貌だ。


 そんな老職員にユウは問いかける。


「道中であの王都のことを聞きましたけど、とりあえずあれで何とかなるんですよね」


「とりあえずはな。ただ、しょせんよそモンだから欠けてる話はいくらでもあるだろうよ。足りない分は自分で聞き回ってくれ」


「わかりました。この荷馬車は冒険者ギルドの城外支所本部に行くんですよね。そこでいよいよウィンストンさんとお別れかぁ」


「儂ももうちょい鍛えてやりたかったが、まぁこんなもんだろ。お前さんは強くなったよ」


「それでもウィンストンさんには勝てる気がしないんですよね」


「はっはっは、そんな簡単にゃ勝ちは譲れねぇな」


 2人がのんきに雑談をしていると荷台に町特有の悪臭が鼻に届いた。それからしばらくすると、宝物の街道の西側に平屋の掘っ立て小屋のような建物が並び始める。


 貧民街から漂う悪臭の中を進む荷馬車は十字路に差しかかると東側へと進路を変えた。ミネルゴ市の外周を巡る貧民の道である。日没が近い今の時期だと人通りが多い。


 更に荷馬車が進むと貧民の道の北側に平屋の建物が現れた。日用品、武具、食品などを作る工房が並ぶ城外の工房街だ。


 この辺りに差しかかるとユウは異変に気付いた。ウィンストンへと顔を向ける。


「ウィンストンさん、貧民街みたいな臭いがあまりしませんね。もしかして、これがあの下水施設のおかげなんですか?」


「そうだ。町の中に入ってみたらもっとはっきりとわかるぞ」


「古代文明が滅んでからも動いている魔導施設があるからなんですよね。すごいなぁ」


 以前ウィンストンから聞いた話を思い出したユウが臭いを嗅ぎながら感心した。


 古代文明時代に建設された町を元に発展したミネルゴ市には未だに動く上水施設と下水施設がある。ミネルゴ城の地下にあるこの施設に上水路と下水路を繋げることで都市の衛生をある程度維持しているのだ。


 ただし、上下水の両施設を利用できるのは都市の中のみである。冒険者ギルド城外支所のある北東部と南東部の近辺は下水施設を利用できるだけだ。貧民街に至っては下水路さえも伸びていないのでどちらの恩恵もあずかれていない。


 この事情を知ったユウはかつて入った古代遺跡のことを思い出した。至る所が崩壊していた場所ではあったが、あれと同時代に作られた施設がまだ動いているわけだ。比較対象を知っているだけに少し感慨深く思う。


 ところが、冒険者ギルド城外支所本部に近づくと猛烈な悪臭が鼻に突き刺さった。貧民街の生活感のある悪臭とはまた違う、ただひたすらひどい臭いである。


「ウィンストンさん、この悪臭って」


「下水路から運び出された泥やごみの臭いだ。他にも動物の死骸もあったな。本部の隣に廃棄場があるって教えただろ。あそこからの臭いだ」


「同じ悪臭でもこっちはきついですね」


「ここの連中の話だと、慣れるとどうってことはなくなるらしいぞ」


「慣れたくないなぁ」


 強烈な洗礼にユウは顔をしかめた。聞くのと体験するのとでは大違いである。


 ミネルゴ市の冒険者はミネルゴ市の地下に広がる下水路網の中でも活動しているのだが、その中から運び出される廃棄物を集める場所が城外支所本部の東隣にある廃棄場だ。ここから更に荷馬車に積み込まれて別の地域に運ばれていくのだが、その間保管されている廃棄物が悪臭を周囲に振り撒いている。


 そのまま進めば悪臭の発生源に直撃するところだったが、荷馬車は城外支所本部の手前で北側に進路を向けた。そのまま建物の西側の壁に沿って進んでその裏手で停まる。


 中年の御者が荷台へと振り向くと到着と声をかけてきた。それを受けて、背嚢はいのうを持ったユウが最初に降り、ウィンストン、護衛の冒険者4人も続く。


 地面に背嚢を下ろしたユウは思いきり背伸びをした。簡単な別れの挨拶を済ませて去って行く4人組の姿を見送ると、次いでウィンストンに顔を向ける。


「着きましたね」


「そうだな。最後に飯でもと言いたかったんだが、儂はこれからまだちょいと仕事があるんだ。悪いな」


「いいですよ、これまで散々お世話になりましたから」


「そう言ってくれると助かる。それじゃ、達者でな」


「はい、ウィンストンさんもお元気で」


 最後に別れの言葉を交わしたユウは背嚢を背負うとウィンストンに背を向けた歩き始めた。先程の4人組の冒険者と同じく、荷馬車が通った城外支所本部の西側に沿って貧民の道に出る。


「まずは晩ご飯かな。城外の歓楽街はこっちだったはず。うわ、廃棄場の前を通るのか」


 すっかり暗くなった中、篝火かがりび松明たいまつの明かりを頼りにユウは東側へと体を向けた。城外支所本部の向こうにある廃棄場を見て顔をしかめる。


 貧民の道は廃棄場の辺りから緩やかに南へと曲がっていた。その半ば辺りに下水路網の出入口が広がっており、職人の宿屋街に差しかかる辺りで真南へと延びている。


 強烈な悪臭を我慢してユウは脚を動かした。廃棄場と下水路網の出入口では足早になる。宿屋の建物が途切れる頃には臭いがましになった。


 次いで飲食店が姿を表すと喧騒が大きくなる。城外の歓楽街だ。路地に入れば酒精と吐瀉物の臭いが廃棄場の悪臭を打ち消してくれた。


 冒険者、職人、人足がそれぞれ仲間たちと一緒に騒いでいる。どの顔を見ても明るく楽しそうに見えた。満席の酒場や食堂も珍しくない。


「景気は良さそうなんだ」


 見ている自分も良い気分になってきたユウは席の空いていそうな店を探した。往来する通行人を避け、開けっぱなしの扉から店の中を覗いて回る。


 何軒も回った末にユウはカウンター席の空いている酒場を見つけた。すぐに店内へと入って目当ての席に近づく。背嚢を背中から下ろすと席に座った。


 やかましいくらいの室内を見回したユウは近くにいる給仕女を呼ぶ。


「こっちも注文あります!」


「はいはい! 何にする?」


「エールと黒パン1つとスープと肉の盛り合わせをください。あります?」


「全部あるよ。鉄貨で225枚だね。面倒だから銅貨2枚でくれると嬉しいよ」


「はい、それじゃこれで」


「すぐ持ってきてあげるよ」


 代金を支払ったユウは給仕女が去るのを見送った。後は待つだけだ。カウンターに肘を突いてぼんやりと考え事をする。どうでもいいことばかりだ。


 注文の品と支払った金額から各品の代金を予想したユウは前の町と大体同額だということに気付いた。今まで旅をしてきた経験から、この王都の物価は前の町よりも高いと思っていただけに予想外である。支払う代金が少ないのは良いことだが不思議であった。


 すぐ持ってくるというのは本当だったようだ。ユウが考え事をしてそれほど経たずに給仕女が戻ってくる。


「はいお待たせ。エール、黒パン1つ、スープに肉の盛り合わせだよ」


「おいしそうですね」


「ゆっくりしていっておくれ」


 目の前のカウンターテーブルに置かれた料理を見たユウは顔をほころばせた。最初は木製のジョッキを手に取って口を付ける。エールが喉を潤した。


 次いで黒パンを小さくちぎってスープにひたしてそれを口に入れる。具材はやや少なめで汁気が思ったよりも多い気がした。まだ許容範囲ではあるが。


 更には湯気立つ肉から薄切りされた豚肉を摘まんで口に入れた。脂が乗っていて口内が滑らかになる。肉の脂は心身どちらにも効く良薬だ。


 一通り食べてみたユウの感想は普通に旨いである。突き抜けて何かがあるわけではないが安心できる旨さだ。正直前の町との違いがわからないくらいである。


「別の町でもおいしく食べられるっていうのはいいよね。他にもっとおいしいお店があるのかな」


 指を舐めてから木製のジョッキを手にしたユウは考えながらそれを傾けた。せっかくなので滞在中は店を巡ってみるのも悪くないと思う。


 明日からの楽しみが1つ増えたと内心で喜びながらユウは再び肉へと手を出した。

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