最初の仕事(前)

 冒険者ギルドに雇われて2日目の朝、ユウは三の刻の鐘が鳴る頃に修練場に向かった。この頃になると魔窟ダンジョンへと入る冒険者の群れも一段落着いているので宿屋街の路地も歩きやすい。


 まだまだ暑い日差しの中、ユウは誰もいない修練場にやって来た。そのとき、ちょうど代行役人のティモシーが冒険者ギルド城外支所の建物から出てくる。


「お互いちょうどだったようだな。息が合ってるようで何よりだ」


「おはようございます、ティモシーさん」


「昨日はどうだったんだ?」


「夕方に城外神殿であちらの方と会いました。連絡役はオーウェンという助祭官じょさいかんです。いつ、どこで会えるのかも聞きました」


「結構なことだ。協力して成果を上げるんだぞ」


「わかっています」


「ならばいい。ではまず、約束の日当を渡そう。手を出せ」


 命じられた通りに手を差し出したユウは5枚の銀貨を手のひらに載せられた。思わず目を見開く。そして、すぐにティモシーへと顔を向けた。


 その反応を見ていたティモシーが愉快そうに口元を歪める。


「昨日約束したとおりの報酬だ。ちゃんとあるか確認してみろ」


「確かにありますね。聞いていましたが、実際にこう渡されると。ああ違うか、むき出しで渡されたから驚いたんですよ」


「毎日手渡すのにいちいち小袋に入れてられるか。いくつ必要になると思ってるんだ」


「それはそうなんですけどね」


 何となく納得したくないという様子のユウが微妙な表情を浮かべた。わずかな間手にした銀貨を見つめていたがすぐに懐へとしまう。


 その様子を眺めていたティモシーはうなずくと笑顔を引っ込めた。それからユウに語りかける。


「それでは、お前に今日の指示を与える。貧民の市場と貧民街を見て回ってこい」


「見て回るですか? 調査するのではなく?」


「ウィンストンに聞いたが、お前はよその町からここへと流れ着いてきたのだろう? だったらここの貧民街についてはほとんど何も知らないのと同じだ。だからまず、色々な所を見て回ってこい」


「わかりました。貧民の歓楽街や旅人の宿屋街、あと貧民の工房街もですか?」


「ああそうだ。そこも見に行っておけ。ただし、質屋と買取屋は見るだけにしておけ。間違っても話しかけるなよ? それと、冒険者の宿屋街と冒険者の歓楽街は行かなくていい」


「わかりました」


「何か質問はあるか?」


「今更こんなことを言うのも何ですけど、僕にこんなことをさせるくらいなら、貧民街出身の人を雇った方が良いんじゃないですか?」


「いい質問だな。確かに貧民街に詳しいという点だけを見たらそれが正解だ。しかしな、あんまりにも近すぎるとあっち側に知り合いがいたときにやりにくいだろう?」


「あーなるほど」


「お前の言うことも一理あるが、今回はよそ者の方が都合がいいんだ。だからお前を選んだのだ」


「わかりました」


「他にはあるか? ないのなら行け」


 打合せが終わるとユウは修練場から離れた。強い日差しを受けながら再び冒険者の宿屋街へと入っていく。


 魔窟ダンジョンに向かう冒険者を避けながらユウが向かったのは宿屋『大鷲の宿り木亭』だった。アラーナに部屋の鍵をもらって自室へと戻る。


「さてと、まずは荷物の整理をしないと」


 空いている寝台の上にユウは背嚢はいのうなど持ち物を置いた。その中から持ち歩く物だけを取り出していく。貧民街近辺はスリや置き引きなどが当たり前なので、長時間滞在するのなら持ち物は最小限にしないと危ないからだ。


 最初に確認したのは背嚢とその中身である。身分証明になる銅級の証明板は持っていくとして、麻袋、麻の紐、砂時計、それに薬類は不要なので部屋に置いていく。また、筆記用具類や地図も同様だ。盗っ人の小手先は一瞬迷ったが、使う可能性は低いと判断して持っていかない。もちろん夏場なので水袋は必須だ。


 更に武具の類いだと丸盾ラウンドシールドは部屋に置いていくとして、武器は槌矛メイスに持ち替えて短剣ショートソードは持っていかないことにした。刃物はダガーとナイフがあるので自衛の武器としてはこれで充分だ。それに、凶悪だが非殺傷である悪臭玉があれば逃げるときに役立つだろう。


 そして、最も気を付けないといけないのが金銭だ。持ち運びに便利で価値のある物は狙われやすい。そのため、金貨と銀貨は部屋に置いていき、銅貨と鉄貨のみ持っていく。それでも額によっては安全ではないので、目安として持っていくのは常に銀貨2枚分未満とした。さすがにある程度はないと厳しいのだ。


 こうして、街中を歩く準備を整えたユウは持っていかない武具や背嚢などを机の下に詰め込んだ。元からあった麻袋も含めると全財産のほとんどがここにある。それはそれで不安になるがそこは宿を信じた。


 体が軽くなったユウは宿を出ると冒険者の歓楽街を突っ切って南に向かった。ここから指示された場所の中で最も近いのは貧民の工房街だ。日用品、武具、食品などを作る工房のある地区で、今回の対象地区の中では最も馴染みのある場所でもあった。


 とはいえ、ティモシーからの指示はその地区全体に慣れておけという意味なので、見知った所へ行くのは今回の趣旨からは外れる。足を運ぶべきはまだ行ったことのない場所だ。


 北側から最初に入った路地はユウが普段使わない道である。見た目の雰囲気は馴染みのある場所と大して変わらないが、何となく初めて工房街を訪れたときのことを思い出した。知らない店に目が向く。


「ここは日用品を作っている工房が多そうだなぁ」


 往来する人々の大半が貧民であることからユウは近辺の工房の類いを察した。工房は店とは違って道や路地に向かって店棚を露わにしていない。そのため、見た目ではどんな店なのかわかりにくいのだ。


 まだ朝なのでそれほど人通りは多くないが、それでも必要な物を買い求める人々はいる。そんな貧民たちが工房に出入りし、大きな声でやり取りし、そして物を持ち歩いていた。


 活気が出る前の日用品を扱う工房を通り過ぎると、次は加工食品を扱う工房の集まる場所に差しかかる。日々の生活に必要な物を取り扱っているため、こちらも行き交う人々の多くは貧民だ。ここで指す加工食品は、干物、塩漬け食品、燻製、酢漬け、乳製品などである。貧民の市場で売られている品物と重なるが、こちらは専門の職人が作った物だ。


 食品を扱う場所なので品物によっては周囲に臭いが広がる。加工中の食品の生臭さ、燻るときにでる煙の臭い、食品を漬けるための酢の臭いなどだ。うっすらと漂うものから強烈な自己主張をするものまで多彩であり、またそれらが混じった独特の臭いが辺りに満ちている。


「普段は酒場で足りるからなぁ」


 食欲が湧いたり消えたりと胃腸が忙しく反応する中、ユウはゆっくりと周囲を見渡した。興味をそそられる物は確かにあるが手を出そうとまでは思わない物ばかりだ。この辺りで買うとしたら干し肉だろうが小分けされた物は酒場でも買える。まとめ買いをするならばこちらの方が安いかもしれない。しかし、今はそこまで大量に買う理由はないし、置く場所にも困るだろう。


 まだ朝だからだろうが、喧騒はそれほどでもない。食品加工の工房が集まる場所を抜けると見知った工房が増えてくる。裁縫工房、細工工房、皮革工房、製薬工房、弓矢工房、防具工房、武器工房などだ。この辺りはユウもある程度知っている。


 とりあえず貧民の工房街を南の端から突き抜けたユウは城外神殿の壁に突き当たった。そこで一旦立ち止まる。


「次はどこに行こうかな?」


 普段行かない場所に行くと意外に見て回る所があることにユウは驚いていた。今は貧民の工房街をざっと見て回っただけだが、この調子だと簡単に見て回るだけでも丸1日かかりそうだ。


 少し思案にふけったユウは冒険者の道へと出た。そのまま東へと進んで貧民の道を経て宝物の街道を南へと曲がる。街道の西側にはかつて1度利用したことのある旅人の宿屋街があった。低所得者層の旅人の宿泊施設で貧民街の人々とはまた違った貧しい旅人や行商人が利用している。軒を連ねる宿はすべて大部屋造りの安宿だ。


 街道から路地に入ると閑散としていた。早朝と夕方は旅人の往来で賑わうが昼間はそうでもない。かつて安宿で働いたことのあるユウは今頃掃除や整頓で忙しいだろうなと想像した。


 たまに漂う糞便や吐瀉物の臭いに眉をひそめつつもユウは路地から路地へと進んで行く。同じような安宿ばかりに出入りする旅人は貧民街とは縁がなさそうに見えた。


 一応見て回っているが、旅人の宿屋街は今回の仕事にはあまり関係なさそうに思える。先入観は禁物だが、今のユウではどう頑張っても何かに繋がる要素を見出せない。


 北側に向けていた足をユウは西側へと向ける。しばらくすると境に達し、そこから貧民の歓楽街へと入った。

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