関係者の話と背後の陰

 裁縫工房での洗濯を終えたユウは次いで貧民街の南端へと向かった。貧民の市場と貧民街を通り抜けると南に広がる平原が目に入る。


 いつもの場所にハリソンとその後輩たち4人がいた。挨拶をして模擬戦に加わる。ただ、アントンのユウに対する態度はまだぎこちなかった。それでもハリソンの取りなしで以前と同じ関係に戻っていく。


「今日はこれまでだ。教えたことは忘れるなよ」


「お腹空いたなぁ」


 いつも騒がしいアントンがおとなしいのでバイロンの感想が目立った。いつものことなので誰も気にしない。


 すっかり定番となった串屋『肉汁のたれ串』で夕食を済ませるとアントンたち4人は安酒場『ふらつく熊亭』へと向かう。今回はハリソンも一緒にだ。


 別れ際、ハリソンがユウに振り向く。


「こっちは任せておけ」


「うん、お願いするよ」


 仲間5人が路地の向こう側に姿を消すと、ユウも北に向かって歩き始めた。近頃は六の刻の鐘が鳴る頃から空が朱くなり始める。まだ暑いが少しずつ夏が終わっていく様子が感じられた。


 この後に予定のないユウはどうしようか歩きながら考える。宿の部屋に戻って寝るというのがいつもの習慣だが、たまに酒場へと飲みに行くこともあった。しかし、今日はそのどちらの気分でもない。


 貧民の市場を出たユウは貧民の道を西側に曲がる。すると、町の城壁くらい高い清潔な城外神殿が目に入った。この時間であっても正面玄関の人の出入りはまだ多い。


 そこでユウは稽古をする前までに聞いた噂話を思い出した。城外神殿の黒い噂である。本当のところはどうなのか知りたいという欲求が燻っていることに気付いた。


 空いている時間は今しかないことからユウは思いきって城外神殿へと入る。周囲の往来する人々に紛れて入った中は外壁と同じく簡素で清潔だった。パオメラ教は多神教であることからそれぞれの神に対する祭壇が設けられた祈祷室が並んでいる。中には今正に祈っているところもあった。


 目指す人物がどこにいるのかと周囲に顔を巡らせたユウだったが、一般の信者はもちろん、官位持ちの信者も多すぎてどこに誰がいるのかわからない。早々に自分で探すのを諦めたユウは近くを通り過ぎようとした灰色のローブを着た信者を捕まえる。


「ネイサンというアグリム神の祭官さいかんはどこにいますか? 初めて町に来たときにお世話になったのでお礼を言いたくて会いに来たのですが」


「ネイサン殿でしたら今の時間ですと、貧民街で炊き出しをされていますよ」


「貧民街のどの場所ですか?」


 親切な信者から城外神殿の南側でやっている炊き出しの場所を教えてもらった。礼を言って建物から出るとユウは東回りで城外神殿の南側へと向かう。


 その場所は、貧民の市場からも近い城外神殿の南側沿いにある広場だった。灰色のローブを着た信者たちが大きな鍋でスープを煮炊きし、群がる貧民に食事を振る舞っている。


 灰色のローブを着た信者を順番に見ていたユウは西側の端の鍋近くにネイサンの姿を見つけた。炊き出しの食事には興味のないのでその裏手である神殿の壁沿いに進み、目当ての人物へと近づく。


「ネイサンさん、こんにちは」


「あなたは、ユウでしたか」


 鍋の番をオーウェンに代わったばかりのネイサンは目を丸くしてユウを見つめた。若干困惑している様子も窺える。それでも顔に笑みを浮かべてユウに体を向けた。


 そんなネイサンに向かってユウが話しかける。


「城外神殿にいると思っていましたけど、信者の人にここだって教えてもらいました」


「この時間は大体ここで炊き出しをしているんですよ」


「そういえば、前は炊き出しの準備前に声をかけてもらったんですよね」


「あのときはそうでしたね。まさかわざわざここまでいらっしゃるとは思いませんでした。何かご用ですか?」


「城外神殿についてちょっと良くない噂を聞いたんで、それについて聞きに来たんですよ」


「良くない噂ですか。どのようなものなんです?」


「城外神殿が買取屋と癒着して不当に儲けているっていう噂なんです」


 話を聞いたネイサンが目を見開いた。すぐに強ばった顔となり、ユウを炊き出しの場から少し離れた場所へと引っぱっていく。その表情は真剣だ。ユウに向き直ると問い質す。


「そんな噂が流れているのですか? どこで誰が話していたのです?」


「初めて聞いたのは僕の元仲間の冒険者です。その人も他の人からの又聞きだと言っていました。あと、洗濯をしていたら他の女の人たちが似たような噂話をしていました。ただ、こっちはもう少し具体的で、ある女の旦那さんが灰色のローブを着た誰かが買取屋の男からお金を受け取っているのを見たと言っていました」


「金銭を受け取った信者がいるのですか!? そんな馬鹿な。ありえない。何かの間違いでは?」


「僕は話を聞いただけですからそこまではわかりません。ああでも、その見たって言っていた旦那さんが、お金を受け取った灰色のローブの人が町の中に入っていったのを見たとも言っていました」


「町の中に、ですか?」


「はい。城外神殿ではなかったみたいです」


「それはおかしいですね。町の外のことは私たち城外神殿の者に一任されていますので、町の中の方々がこちらに出向くこと自体ありません」


「不正をしているから話をせずにこっそりとしている可能性はありませんか?」


「だったら目立つ灰色のローブを着る必要はないでしょう。見つけてくれと言わんばかりじゃないですか。私だったら目立たない服を着ますよ」


 指摘されたユウが今度は目を見開いた。後ろ暗いことをするのならば目立たないようにするのは基本だ。信者の多い神殿の中ならば灰色のローブを着ても怪しまれないが、確かに貧民街を行き来するのにあの格好は目立ちすぎる。声をかけられることも多いのだ。


 噂の矛盾が徐々に見えてきたユウも首をかしげる。しょせん噂だからと言われればそれまでだが何やら雑すぎるように思えた。


 少し考え込んでいたネイサンがユウに再び話しかける。


「よろしくないということもありますが、どうにもおかしな噂ですね。炊き出しから帰ったら確認してみようと思います。ところで、その買取屋の男は誰だかわかります?」


「女の人の話だと名前は出てこなかったですね。あーでも、そうだ、知り合いはランドンっていう買取屋だって言っていましたよ。買い取った品を売るときに城外神殿の名前をほのめかして高く売りさばいていたとか」


「それはひどい!」


「でも、どこまで本当なのかわからないですから、まず確認してからにしてくださいよ」


「それはもちろんです。灰色のローブの信者と買取屋のランドンですか。まったく、何てことをしてくれるのでしょう」


 真剣に怒るネイサンが不満をユウにぶつけた。炊き出しなどの善行を真面目にしている信者だけに、こういう不正の噂が立つだけで許せないのは端から見てもよくわかる。


 2人が話をしていると、炊き出しの場からネイサンに声がかけられた。振り向いたネイサンが応じるとユウにまた向き直る。


「作業の順番が来たようですのでこれで失礼します。看過できない噂を教えていただいてありがとうございます」


「役に立てたのなら嬉しいです。聞いた噂を伝えただけですけど」


「それが重要なんですよ。知らないと何もできませんから。それでは」


 一礼したネイサンがユウの元から離れて炊き出しの場へと戻った。その後ろ姿を見ていたユウは大きく息を吐き出す。


 城外神殿が疑惑を晴らすのはこれからだが、ネイサンのような信者がいるのならばまだ信じられるとユウは感じた。それで少しだけ気分が軽くなる。


 用の済んだユウはどうやって帰ろうかと首をかしげた。城外神殿を伝って冒険者の道に出ればいつもの帰り道になるのだが、今はそんな気分ではない。


 そこでユウは洗濯していたときの話を思い出した。ある女の旦那が金銭のやり取りをしたという場所だ。曖昧ながらもある程度しゃべっていた経路をたどることにする。


 別に実際に現場を目撃できるなどとユウはそのとき思っていなかった。単にいつもと違うことをして帰りたかっただけである。なので、聞いた経路があやふやでも問題なかった。


 ところがどんな偶然か、それらしい場所にたどり着く。しかも、頭から灰色のローブを着た何者かとランドンが談笑していたのだ。さすがに金銭のやり取りは目撃できなかったが、それでも衝撃的な場面である。


 やがて話し終えた2人は別れた。ユウは灰色のローブを着た何者かの後を追う。北に向かうその信者らしき者は貧民の工房街に差しかかるとその中を突っ切って冒険者の道へと出た。その後更に北に進み、町へと続く大通りで曲がると西門から町の中へと入る。


 ユウは噂が本当だったことを目の当たりにした。

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