老職員の手ほどき

 何となく納得いかない終わりを迎えた捜索活動の翌日、大きな手ビッグハンズは休養日に入った。本来は昨日だったのだが急遽依頼が舞い込んだので1日ずれたのだ。


 二の刻の鐘が鳴ると共に起きたユウは朝の準備を済ませると武器の手入れを始めた。短剣ショートソード槌矛メイス、ダガー、ナイフと順番に見ていく。時間が余ると鎧と盾もだ。


 そうして三の刻の鐘が鳴るとユウは手ぶらで宿の部屋を出て冒険者ギルド城外支所へと向かう。正確にはその裏の修練場にだ。すると、ウィンストンが城外支所の裏口の脇に立っていた。


 走ってやって来たユウはウィンストンに挨拶をする。


「おはようございます!」


「朝から元気だな。今朝も一の刻の鐘で起きて鍛錬をしたのか?」


「走り込みと武器の鍛錬ですよね。しましたよ。二度寝してからは武器の手入れも」


「いい心がけだな! それじゃ始めるとするか」


 まだ誰もいない修練場の端に立つウィンストンが機嫌良く宣言した。そして、腕を組んで目の前に立つユウに対して告げる。


「まずはお前さんがどの程度できるか聞いておきてぇな。朝の走り込みってのはどのくらいやってんだ?」


「そこの冒険者の宿屋街の北端から出発して草原との境目に沿って進んで、そのまま貧民街の南の端から東にある宝物の街道に向かって、そこからは貧民の道と冒険者の道を通ってまたあそこまで戻って来ています。これを2周ですからたぶん6オリックくらいかな?」


「どのくらいの時間をかけてんだ?」


「正確にはわかりません。ただ、その後槌矛メイス短剣ショートソードの鍛錬を鐘の音1回分の3分の1ずつやりますから、あんまりかかってないと思います。ちょっと二度寝できる時間もありますし」


「鐘の音1回分の6分の1くらいかもしれんな。そうか。だったら体力面は気にする必要はねぇな」


 説明を聞いたウィンストンはうなずきならがつぶやいた。更に少し考えた後、ユウに話しかける。


「大体わかった。だったらこれから儂はお前さんに体術と武器の扱い方を教えてやろう。元から身に付けてるやつもあるだろうから全部を身に付ける必要はねぇが、欲しいところだけ覚えていけ」


「はい」


「まずは体術からだな。体の動かし方を知ってると武器の扱い方も自然とうまくなる。それに、相手の攻撃を受けたり躱したりするのもやりやすくなるから身に付けて損はねぇぞ」


「ぜひお願いします」


「それじゃまず体を柔らかくしようか。地面に座れ」


 言われるままに地面に座ったユウは更に指示を受けて足を広げた。そうして背後からウィンストンに背中を押されて悲鳴を上げる。


「いだだだ!?」


「悪くねぇがまだまだかてぇな。胸が地面に着くくらいでねぇとダメだぞ」


「ひぎぃ!」


 かつて先輩に指導してもらったときでもなかったことをいきなりされたユウは悲鳴を上げた。体をあちこちに限界以上に伸ばしたり曲げたりされて口から声にならない声が出る。


 たっぷりと時間をかけて体をしごかれたユウはしばらく起き上がれなかった。体中が鋭い痛みと鈍い痛みに苛まれて動けない。


 そんなユウにウィンストンは平然と言い放つ。


「いいか、これから朝の鍛錬に今教えたことを一通りこなせ。そうだな。起きて走り込みをする前にだ。最初は鐘の音1回分の3分の1くらい時間をかけてでもやるんだぞ」


「そ、そんなにですか」


「そうだ。体の柔らかさは重要だからな。武器の鍛錬は半分にして、まとめて鐘の音1回分の3分の1くらいにしておけ。そっちは後でなんとでもなる」


「わ、わかりました」


「ほら、いつまでくたばってんだ。さっさと起きろ。時間は限られてんだぞ」


 無情にも告げられた命令に従うべく、ユウはゆっくりと体を起こした。動かす度に体が悲鳴を上げるが我慢する。


 とりあえず立ち上がるまでウィンストンは黙っていた。すっかり疲れた様子のユウが顔を向けてくると口を開く。


「次は体の動かし方を教えてやる。これを知ってるからといって劇的に強くはならねぇが、強くなるためには知っておかなきゃいけねぇことだ。世の中の天才ってのはこういうのを自然にできるそうだが、儂らのような凡人は1つずつ学んで行くしかねぇ」


「体が痛くて動かせないんですけど」


「すぐ慣れる。今から儂が動かした通りに体を動かせ」


 主張をばっさりと切り捨てられたユウは体を震わせながらウィンストンの体の動きを真似た。それにどんな意味があるのかまだわからないが、とりあえず似た感じに動かす。


 しかし、当然1回でうまく真似られるわけもなく、ことあるごとに怒鳴られた。それこそ腕や脚を1回動かす度にだ。違いがわからないユウは何度も繰り返す。


「最初だからしょうがねぇが、体の動きが鈍いな」


「さっき、体を柔らかくするって言って無理矢理動かしたからじゃないですか」


「しかし、あれができねぇと今みたいに体を動かせねぇぞ」


「え?」


 痛む体を何とか動かしていたユウはウィンストンに指摘されて目を見開いた。次は意識してみると、確かに今までならできないような体の動かし方をしていることに気付く。そういうときに限って特に体が悲鳴を上げてしまうが。


 ユウが改めてウィンストンへと顔を向けるとにやりと笑われる。


「その動きを当たり前のようにできるまで繰り返すんだ」


「せめて痛みだけでもなくなってくれないかなぁ」


「じきに慣れる。ぐだぐだ言ってねぇで体を動かせ」


 涙を浮かべながら体を動かすユウにウィンストンは容赦なく言い放った。


 その後、同じ動きを何度も繰り返し、それが終わると次の動きへと移る。その度にユウは怒鳴られたが何とか食らいついていった。


 いつもより圧倒的に長く感じられた朝の時間も四の刻の鐘が鳴ることで終わる。それは同時にウィンストンの指導が終わりでもあった。


 地面に倒れたユウを見てウィンストンが苦笑いする。


「今日は初っ端だからな、こんなもんだろ。次からは休みの度に来い。三の刻の鐘から昼まで鍛えてやる」


「あ~きつかったぁ」


「若いから一晩寝たら治る。それより、今日教えたことをしっかり覚えておけ。次のときに一通りやらせるからな」


「これは、朝の鍛錬を入れ替えないと駄目ですね。あ~武器の鍛錬ができないや」


「武器の鍛錬つっても覚えてることを繰り返してるだけだろ? だったらしばらくやらなくても何とかなるだろう」


「まぁ、それは」


 実際、旅に出てから1年以上やっていなくても体が覚えていたことだ。ウィンストンの主張にユウは力なくうなずく。


「その調子だと年内にゃ何とかなるだろうよ。さて、今日はここまでだ。じゃぁな」


「ありがとうございましたぁ」


 ようやく体を起こしたユウが背を向けたウィンストンに礼を述べた。冒険者ギルド城外支所の建物内にその姿が消えると立ち上がる。


「ひどい目に遭った。この痛み、しばらく引かないよねぇ」


 全身の痛みに顔をしかめながらユウはつぶやいた。しかも慣れない痛みなのできつい。


 ただ、体の可動範囲が広がったのは実感できた。これが実際にどれだけ有効なのかはまだわからないが役に立てば良いなと期待する。


 直近の問題があるとすれば、昼食後に裁縫工房で衣類の洗濯をしないといけないことだ。きつい鍛錬になることを覚悟していたユウだったが、そのきつさがまったく予想外の類いだったのでこれからの労働に支障をきたしそうだった。少なくとも以前よりは働けない。


 他にも、地図を描く時間が丸々なくなってしまったことだ。休みの日に何をするかは個人の自由だが、仕事に影響するのは問題である。


「2階までの地図は充分にあるから当面は描かなくてもいいけど、ずっとは困るなぁ」


 ウィンストンの最後の言葉によると年内はこの鍛錬が続く予定だ。はっきりとは予想していなかったが、いくら何でも今年中には3階に上がれるはずだった。そうなると、どこかで地図を描かないといけなくなる。


「早朝は走り込みと鍛錬、朝はウィンストンさんの修行、昼はベリンダさんの所で洗濯か。うーん、気付いたら全然休みじゃなくなってるなぁ」


 休養日が完全に休養日でなくなっていることにユウは愕然とした。充実していると言えば聞こえは良いが体が休まらない。これは良くない傾向だった。


 ただ、削れるところは今のところ洗濯の時間しかない。もらうぼろ布を1枚にすれば洗濯物も半分にできる。しかし、それでは朝の鍛錬に必要な松明たいまつが使えなくなってしまうのが問題だ。もういっそのことぼろ布を買うことにしようかと検討する。


「とりあえず洗濯の時間は半分にしよう。それで空いた時間に地図を描こうっと」


 とりあえず今後の休養日の方針をユウは決めた。結局あまり休めていないが、それは後で調整することにする。


 背伸びをして顔をしかめたユウは踵を返して冒険者の宿屋街へとその姿を消した。

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