安さを求めて

 アディの町の物価が故郷に比べて高いことはユウにもわかった。しかし、だからといってすぐには納得できないし簡単に諦めることもできない。


「ウィンストンさん、貧民の市場にも店があるって言っていたよね」


 冒険者ギルド城外支所で聞いた話を思い返したユウはすぐさま市場へと向かった。冒険者の道を南に歩き、城外神殿の付近で東に曲がり、貧民の道に入る。市場はすぐに見えた。


 貧民の生活を支え、冒険者の道具を提供するこの場所は城外神殿と貧民の歓楽街に挟まれた所にある。市場の東側は小さくぼろい店が乱立し、西側は荷車を利用した出店や露天商がひしめいていた。


 なかなか盛況で騒がしくあるが、ウィンストンの言うように貧民のための市場なので出回っている物品は怪しいものが多い。


「武器屋はどこかな。あ、ここか」


 武器の描かれた看板がぶら下がった石造りの平屋を見つけたユウは入ろうとして足を止めた。よく見るとかなり傷んでいる。


 若干の不安を感じつつも意を決したユウは店内に入った。室内には武器が所狭しと乱雑に置かれている。それはともかく、まともそうなのから錆びているっぽいものまでどれも質の怪しそうな武器ばかりだ。


 わずかに眉をひそめながらユウは比較的まともそうなダガーを手に取った。何度か裏返して見てみたが、専門職でないユウでさえ不充分と思えるような手入れしかされていない。


 カウンター席で座っている脂ぎった店主にダガーを見せながらユウは尋ねる。


「これっていくらになるんですか?」


「銅貨30枚だね。なかなかいいモンだろ。お買い得だよ。1つ買ったらどうだい」


「ああ、まぁ。他のも見てからよく考えて決めますよ」


 ぎらついた目で勧めてくる店主を躱しながらユウはカウンターを離れた。そのままダガーを元の場所に戻す。値段は故郷とほとんど変わらないが質は悪い。


 他の武器の値段も知りたいと思ったユウだが店主の態度に嫌なものを感じたので迷った。しかし、まごついている間に他の客たちが店主と話を始め、値引き交渉を始めるのを耳にする。その結果、故郷の値段とほぼ同じで質が低くなっていることを知った。


 眉をひそめたままそっと店を出たユウは次いで他の店を回る。防具屋、雑貨屋、薬屋、古着屋と順番に巡った。最後の方はかなり険しい表情を浮かべながら市場の中を歩く。


「値段は防具が最大で3倍、他は2倍以内か。ほとんど同じ値段だったものもあるけど、その辺りは品物の過不足なんだろうな。でも、どれも怪しいっていうのはちょっと」


 質が悪くなるにつれて安くなるのは当然だが、その安い物でさえ故郷の平均的な物と同等の値段だった。その事実にユウはどうにも納得できない。しかし、選択肢は質が低くて値段が平均より少し上か質が並で値段が倍以上かの2択しかなかった。


 所持金の限られている今のユウはこの厳しい状況にため息をつく。


「人がたくさん集まるとこんな風になるのかな。ん、ああもう夕方か」


 いつの間にか周囲が暗くなってきているのに気付いたユウは空を見上げた。半分以上が朱く染まっている。


 とりあえず使える貨幣の工面と物価の確認ができたユウは今日の調査をここまでにすることにした。大抵の市場は日没が近くなると店じまいする所が増えるので調べるのならば明日の方が良い。


 そうなると後は今晩の夕食と宿をどこにするかだ。


 少し考えるそぶりを見せたユウは市場の中を東に向かって歩き始める。暗くなる路地の中を緩やかな人の流れに乗って進んだ。


 冒険者の歓楽街とは違い、貧民の歓楽街はその名の通り基本的には貧民街の者たちが通う場所である。朝の仕事前、昼の休み時、夕の仕事後、そして夜の遊び時、1日の大半は何かしら誰かしらで賑わっていた。そこへ、よそからやって来た旅人たちが加わる。


 市場から歓楽街へと境を越える辺りから騒がしさの質だけでなく臭いも変わった。酒精と吐瀉物のそれが鼻につくようになる。


 仕事帰りの人々が増える中、ユウは食器が描かれた看板を掲げた店の1つに目をとめた。古びた石造りの平屋だ。特に考えることもなく店内に入る。外よりも暖かい。


 店内は貧民と旅人で大体埋まっていた。1人のユウは背嚢はいのうを背中から下ろしてカウンター席に座る。


 カウンターの奥では料理をしている男が動き回っていた。手が空くとユウに目を向ける。


「ぃらっしゃい! 何にする?」


「エールと黒パン2つと、あと肉の料理ってありますか?」


「ここは食堂だから薄いエールしかないよ。それと肉料理だと、肉入りスープ、肉団子、それに肉の盛り合わせだね」


「それじゃ肉団子をください」


「全部で鉄貨80枚! はい毎度! とりあえず薄いエールと黒パン2つ!」


 元気の良い返事と共にユウの目の前に木製のジョッキと黒パンが2つ載った皿が差し出された。心なしか黒パンの大きさが小さく見える。


 ともかくユウは食べることにした。まずは木製のジョッキを口にした。そして眉をひそめたまま固まる。思っていたよりも水っぽい。もちろん薄いエールなのだから水っぽいのは当然なのだが、予想よりもずっとエールの味がしないのだ。かなり水増しをされている。


 その間に注文した肉団子がやって来た。やはり黒パンと同じく小さい。薄いエールの味も含めると、久しぶりのまともな食事なのに残念で仕方なかった。


 木製のジョッキをカウンターに置いたユウがつぶやく。


「泥酔亭の方がずっとましだったな」


 店内の喧騒に紛れてその声は誰にも聞こえなかった。人知れずユウはため息をつく。各料理の値段を推測するに値段もかつての馴染みだった安酒場よりやや高い。


 わずかに料理を見つめた後、ユウは黒パンを小さくちぎって口に入れる。気のせいかやや雑に思えた。一方、肉団子の味は悪くないが何の肉かはわからない。


 言い出したらきりがないことに気付いたユウは以後黙って食べた。この町の貧民の歓楽街はこういうところなのだと理解する。


 食事を終えたユウは背嚢を持って店の外に出た。途端に冷気が身にしみる。


「もうかなり暗くなってきたなぁ。えっと、宿屋は、こっちか」


 背嚢を背負い直したユウは歓楽街を東に進んだ。食堂が連なる様子をぼんやりと眺める。


 人の流れに沿って歩いていると、ユウは周囲の雰囲気が変わったことに気付いた。酒精や吐瀉物の臭いが遠のき、香水のような臭いが鼻につくようになる。


 しばらくしてユウは自分がどこにいるのか気付いた。娼館が連なる路地に入り込んだのだ。今まではなかった女の甘ったるい声が聞こえてくる。


「ほぉら、そこのおじさま、一晩どぉ?」


「いい夢見させてあげるわよ。こっちに来なって!」


「ウチは美人揃い! しかも安い! 損はさせないよ!」


 市場や酒場とはまた違った元気な声が周囲から聞こえてきた。通り行く男の腕に絡もうとする女も珍しくない。


 その気のないユウはできるだけ道の真ん中に立って下を向きながら歩いた。可能なら周囲の通行人を盾にして客引きを躱していく。本当は走って通り過ぎたいが往来する人が多くてそれもできない。


 娼館の地域から抜けて旅人の宿屋街に入ったユウは大きなため息をついた。遺跡で命の危険に曝されていたときとは別種の疲れが全身を襲う。


「まさかあんな所にあんなお店があったなんて」


 倦怠感のある体を引きずるようにしてユウは路地を進んだ。今は娼館のある地域から離れるためにひたすら歩く。


 日没近くになると周囲は一層暗くなった。特に路地はそうだが、店の出入口に面している路地は壁に掛けられている蝋燭ろうそく松明たいまつの明かりで何とか歩ける。


「あれ、ここはもしかして街道? 突き抜けちゃった?」


 ぼんやりと歩いていたユウは宝物の街道に出たことに気付いた。昼間ほどの往来はないが宿を求める旅人の姿は少なくない。


 一度立ち止まったユウは周囲に顔を巡らせた。この辺りだと大部屋の安宿ばかりだ。どこの宿もあまり大差はない。


 まだ客引きをしている宿は避けて、ユウは街道に面した石造りの平屋に入る。あちこち痛んだ様子が窺えるがどこの店も似たようなものだ。


 出入口のすぐそばにあるカウンターにぼんやりと座っている男にユウは声をかける。


「一晩泊まりたいんですけど、空いていますか?」


「ん? ああ、空いてるよ。1泊鉄貨40枚」


「はい。毛布はここで受け取りですか? それとも中にありますか?」


「そこにあるから1枚取っていって。明日出るときにこっちへ持ってきてくれたらいいから」


「はい、わかりました」


 金銭のやり取りを済ませるとユウは毛布を1枚取って大部屋に入った。安い蝋燭の明かりで煤ける中、3人掛けの木箱の寝台は大体が埋まっている。


 その中からまだ1人だけしか使っていない寝台を見つけるとユウはゆっくりと歩いて向かった。

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