知らない町

 枯れた丈の短い草を踏みしめてユウは目の前に見える人の集まる場所を目指して進む。白い雲が点在する空からは温かい日差しが降り注ぐが、左手に延々と連なる山脈から吹き下ろしてくる緩やかな風は冷たい。左から右へと緩やかに下る地面を歩く身を震わせる。


 腰に吊している水袋の中身はもう1日分もない。背嚢はいのうの中にある干し肉は7食分のみ。遺跡の中をさまよっていた間に消費し続けた結果だ。何もない場所に放り出されていたら数日で行き倒れていただろう。


 それだけに少しずつ大きくなっていく町らしき集落はユウにとって心強かった。一息つける場所はもうすぐだ。


 最初は点だったそれは徐々に大きくなり、今では町であるとはっきりとわかる。草原を歩いているユウの周囲に道はないので町の側面であることは推測できた。


 上を見たユウは太陽の位置を確認する。それから周囲に顔を巡らせて自分が町の西側から近づいていることを知った。


 町の輪郭がはっきりとしてくると、前方の南半分くらいは雑然とした平屋が密集していることが判然とする。ユウはこの乱雑な家屋の塊が何であるか知っていた。貧民街だ。しかし、故郷よりもずっと大きい。


 反対の北半分は山脈に近づくほどにましになっていた。特に山の際になるとまばらな人影の奥に城壁のようなものが見える。


「どうしよう。このまま貧民街に入るのはちょっと」


 名も知らない町に近づくにつれ、ユウはまっすぐ進むべきか迷った。長らく貧民街に住んでいたので中の様子はおおよそ想像できる。しかし、それだけにいきなりよそ者が入ってくればどんな目で見られるのかも予想できた。


 ようやくたどり着いた町だが初めて見る町でもある。もう少しというところでわざわざ危険な場所を通る必要もない。貧民街近くまでやって来たユウはそのまま街の郊外に沿って南に足を向けた。


 最初は南に沿って歩いていたユウは緩やかに東に曲がる。するとその先に人が往来する道が見えた。割と人通りが多い。


「もしかして街道かな。となると、北に町の入口があるんだ」


 今まで見てきた町の造りを思い浮かべたユウは街道に近づいた。街道沿いならば安心だ。


 自分に注意をほとんど向けない人々に紛れたユウは幅の広い道で北に向く。目の前の奥には予想通り町の城壁と門があった。


 町の外れから道を歩き始めたユウは西側にすぐ宿屋が連なっているのを目にする。故郷とは違ってどの建物も石造りだ。しかも造りは雑で傷みも目立つ。これだけでもその程度がわかろうというものだ。その前から客引きが上げている声が聞こえてくる。


「旅の疲れを癒やすには寝床で寝るのが一番! どうぞお寄りになってくだせぇ!」


「安いよ安いよ! 懐に優しい我が宿にぜひ!」


 いくらか訛りはあるものの、その声はユウにも充分に聞き取れた。少なくとも言葉が通じることに内心で胸をなで下ろす。


 道の東側の奥にある城壁と空堀を尻目にユウは客引きの声を聞き流しながら城門へと近づいてゆく。途中、西側に枝分かれしている道が目に付いた。そちらに顔を向けると、城壁のある北側は原っぱで道を隔てた南側は店が並んでいる。


 迷うことなくユウは枝分かれしている道へと曲がった。経験上、町の周りには必ずこういった街があることをよく知っている。


 新たな道に入って宿屋が何軒か続いた後、今度は酒場の店舗に変わった。同じように石造りで汚れや傷みがある。


「割と繁盛していそうだなぁ。貧民と旅人が多い?」


 昼下がりに店舗を出入りする人々を見ながらユウはつぶやいた。遅い昼食を取ったらしい旅人や赤ら顔の貧民が店から出てすれ違って行く。


 東西に伸びる城壁に並行して道なりに進むと、酒場に変わって多種多様な店舗に変わった。同じ石造りでも更に痛みが激しい店舗ばかりだ。路地に人影は割といるが客引きの姿は見かけなくなる。


 出入口からちらりと中を覗くと、武器屋、防具屋、雑貨屋など多様な店が軒を連ねていた。品定めをしている客もちらほらと見える。


「市場に変わったのかな? でも、怪しいところが多いなぁ」


 歩きながら流し見したユウはわずかに眉をひそめた。各町の城外の市場も怪しい店は多かったが、それはここも例外ではないらしい。


 続いて目に入ったのは露店形式の店だ。荷馬車や荷車を使った店舗や地面に品物を広げている所もある。雑貨屋、薬屋、古着屋、串屋などが目に付いた。こちらは東側の店舗に比べて客引きの声がかなりうるさい。


 騒々しい市場の西の端に至ると道は北側へと緩やかに曲がっている。ちょうど北側にある城壁が折れ曲がっているのに合わせるようにだ。


 その湾曲部分にも石造りの建物がある。周囲の雑で傷んだ建物とは違い、しっかりと建造され手入れも行き届いているきれいな建物だ。しかも、城壁の外に建っているにもかかわらず、平屋でない。城壁と同じくらいの高さがある。


「え? どうしてこんな所に神殿があるの?」


 思わず立ち止まったユウがその建物を凝視した。出入口では神殿関係者や貧民らしき者たちが頻繁に出入りしている。


 貧民街とその周辺の建物と比べても明らかに場違いなそれは、ユウが町の中にいた頃によく見かけた建物とよく似ていた。その様式からパオメラ教のものだと一目でわかる。


 ユウたちの常識では、宗教関係者は町の中で生活しているので神殿も町の外で見ることはまずない。たまに宗教的行為のために貧民街へと人を寄越してくることはあるが、言ってしまえばそれだけだ。だからこそ、これほど堂々とパオメラ教が神殿を構えているのが新鮮にも異様にも見えた。


 半ば呆然とユウが建物と出入りする人々を眺めていると、神殿から出てきた1人に声をかけられる。


「どうなされましたか?」


「え、あ、いや、神殿が町の外にあるのを初めて見たんで驚いたんです」


「なるほど。確かに珍しいかもしれませんね。しかし、我々には困った人々を救済するという使命がありますから、このように外へと出て様々な方々に手を差し伸べる必要があるのです」


 目を丸くしながら思ったことをそのまま述べたユウは、にこやかに語る信徒らしき人物の話を延々と聞く羽目になった。話を打ち切る時期が見出せずに困り果てる。


 話をまとめると、貧民を救済するためにパオメラ教の有志が城外で活動をしているということだった。人生相談、炊き出し、孤児の引き取りなど、割と本格的にやっているように聞こえる。


 ただ、今のユウにとっては当面必要なさそうなことばかりだ。どうにかこの町がアディと呼ばれていること、魔窟ダンジョンで潤っていること、通貨の単位など、知りたいことの一部を聞き出すのが精一杯だった。


 話が終わって良い笑顔で去って行く信徒を見送ったユウは盛大にため息をつく。


「ああもう」


 それ以上は何も言えずにユウは北側に曲がる道を更に進んだ。


 湾曲部が終わって道が北にまっすぐ伸び始めたところで再び石造りの平屋が道の西側に連なる。一見すると店のようだ。しかし、屋内からは金属を叩く音や機織機を動かす音が聞こえてくる。


「もしかして、この辺りは工房? 城壁の外にもこんなに大きな街になっているんだ」


 道沿いの工房を見ながらユウは感心した。どの町にも貧民は結構な数が集まっているので道具を修理する工房は当然ある。しかし、大抵は市場に商店と紛れているものだ。それがこうして市場から独立していることからかなり盛況なのだと推測できる。よく見れば冒険者とおぼしき者たちが出入りしていた。


 更に北上すると道沿いの建物は酒場に変化する。再び歓楽街に出くわしたわけだが、ここでは冒険者が圧倒的に多い。


「この辺りは冒険者も多いなぁ。魔窟ダンジョンが近いからかな」


 往来する人々に同業者が増えて安心したユウは人の多さに目を見張った。そもそも歓楽街が城壁の外に2つもあることが驚きである。


 そこでユウは神殿を通り過ぎてから家屋の質がましになったことに気付いた。もちろん町の中とは比べるべくもないが、それでも町の南側よりも汚れや傷みは少なくなっている。


 更に進むとまた連なる店に変化があった。同時に東側の城壁に伸びる道が枝分かれしており、城門へと続いている。人の出入りはなかなか多い。


 それを尻目に北へと歩き続けると道の西側は宿屋に変わっていた。先程までの歓楽街以上に冒険者が多い。というより、ほとんど冒険者ばかりである。


「すごいな。こんなに見るのは初めてだ」


 あまりの数の多さにユウは戸惑いを覚えた。魔窟ダンジョンの探索はかなり盛況であることを実感する。


 気分を落ち着けたユウが道の先に目を向けると、城壁と同じ壁に大きな門が設えてあるのが見えた。しかしその手前、道の西側に規模は違えども見慣れた建物が視界に入る。


 ユウはこの町についてから最も安心した。

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