遊牧民出身の商売人

 フィサイルの町にたどり着いたユウは竜鱗の街道に沿って町の郊外を歩いている。遠く町の中から六の刻を知らせる鐘の音がかすかに聞こえてきた。この辺りだと日没は七の刻を過ぎるのでまだ明るい。


「あ~疲れたぁ」


 背嚢はいのうを背負ったユウが首を鳴らした。ひどい雇い主から解放されて思い切り羽を伸ばしている状態だ。同時に疲労感もかなりになるが動けないほどではない。


「そうだ、酒場で何か食べよう。前の町は結局チーズしか食べてなかったもんね」


 食べる楽しみを取り上げられた悲しみをユウは思い出した。その悲しみを埋めるのは仕事のない今しかない。


 磯の香りを感じながらユウが更に歩くと、竜鱗の街道に沿って宿屋と飲食店が並ぶようになる。貧民街らしい雑多感や不潔感はあるものの、同時に活気にも満ちていた。


 良い匂いに誘われてユウは街道から少し路地に入ったところの店へと入る。潮風に曝されて傷んだ白い壁の石造りの店内には予想よりも客が入っていた。ほぼ満席の丸テーブルの間を縫ってカウンター席にたどり着く。


「あ、注文します!」


「いらっしゃい! 何にします?」


「ワインに黒パン、肉入りスープ、それと焼き魚をください」


「焼き魚? うちではやってないね」


「あれ? さっきテーブルに座っていたお客さんが言っていたんですけど?」


「別の店のことだろ。海鮮入りスープならあるよ」


 カウンター席に座って注文していたユウは当てが外れて目を見開いた。海鮮入りスープがあって焼き魚がないというのは納得できなかったが、ないものは仕方ない。


「でしたら、豚肉のピザをください。これならあるでしょう?」


「ありますよ。ワイン、黒パン、肉入りスープ、そして豚肉のピザだね。少し待ってて」


 注文を復唱した給仕がユウから離れた。酒と料理を待つ間にこれからどうしようかと考える。


 最初に思い浮かんだのは次の仕事についてだ。冒険者ギルドで東に向かう隊商の護衛がないか確認しないといけない。あればその仕事を引き受け、なければ徒歩で向かう準備をする必要がある。


 次は両替だ。南方辺境にやって来て使える通貨がないと騒いだ時期もあったが、気付けば銅貨と銀貨で財布が膨らんでいる。生活費で使う分を除いて軽くできるよう両替をしておくべきだ。


 後は体を休めるべきだとユウは強く思った。思えば砂漠の中で足止めされたとき以来、ほとんど働きづめである。砂漠の中では肉体的に、平原では精神的に、それぞれ苦しめられた。今後のためにも心身共に回復させておくことは必須である。


 色々と考えているとユウの目の前に酒と料理が置かれた。注文通り、ワイン、黒パン、肉入りスープ、そして豚肉のピザである。


 その空腹を刺激する匂いに刺激されてユウは笑顔を浮かべた。




 フィサイルの町は港町である。それほど大きな規模ではないのだが、中継貿易と漁業により成り立っている。


 その町も夏になれば当然暑い。ほとんど遮るもののない空に輝く太陽が容赦なく照りつけるからだ。しかし、海から吹く風を日陰で受けると案外涼しい。


 そんな浜風を期待してユウは海に近い安宿に泊まった。狙い通り、窓を開けた大部屋内のこもった熱気は涼しい風に払われる。


 三の刻の鐘を遠くに聞きながらユウは寝台の上で寝転がっていた。毛布も外套も被っていないので涼しい。


 昨日は昼近くまで宿で寝て、それから木陰で休んで1日を過ごした。やったことといえば両替くらいである。銅貨と銀貨をそれぞれ両替すると金貨になったのには、対応した職員共々目を見張った。職員には羨ましがられて居心地の悪い思いをする。


 寝台の上でユウはごろりと寝転がった。既にほとんどの客は出払っているのでがらんとした大部屋が目に入る。


「う~ん、まさかないとは思わなかったなぁ」


 そんな寂しい室内を見ながらユウは昨日ついでに職員から聞いたことを思い出した。


 竜鱗の街道はフィサイルの町から更に東へと延びており、もちろん隊商の往来もある。しかし、この町からペニンの町までは冒険者を雇うことはない。清浄の川より東は遊牧民の領域で、護衛は遊牧民が引き受けているためだ。


 ならば徒歩で進めばよいと考えるところだがそう簡単にもいかない。清浄の川より東には今まで以上に獣や魔物がいるので徒歩は危険すぎるということだった。しかしよくしたもので、この地域では旅人や行商人を送ってくれる商売人がいるので探して交渉すれば載せていってもらえる。


「まぁ、有料なのは仕方ないか。慈善事業じゃないんだし。船っていう手段もあるけど、どうせなら最後まで街道で行きたいなぁ」


 ここまで来たのなら、起点の町から終点の町まで竜鱗の街道を走破したいという思いがユウには強くあった。何しろ今までの街道でも圧倒的に長い街道なのだ。もう少しというところで諦めるのはどうにも寝覚めが悪い。


「よし、行ってみるかな。町の東側だっけ」


 ようやく起きたユウはゆっくりと準備を済ませると安宿を出た。


 町の東門から延びている竜鱗の街道を進むと宿屋と飲食店が両脇に並んでいるが、郊外になるにつれてまばらになっていく。入れ替わりに、原っぱには荷馬車を見かけることが多くなった。


 この中に旅人を送ってくれる商売人がいるということだが、外見上はまったく見分けが付かない。何か目印があれば良いのだがそいうのもなかった。


 仕方なくユウは片っ端から話しかけていくが、どういうわけか誰からも断られてしまう。先客がいるから無理だとか、そもそも乗せる気はないだとか、理由は大抵どちらかだ。


 完全に当ての外れたユウは不安な表情を浮かべる。


「弱ったな。思ったよりも大変だ、これ。どうしよう」


 立ち止まってしばらく考えたユウは少し方針転換をした。今までは複数の荷馬車を所有している商売人に頼んでいたが、もっと小規模な商売人に頼むことにしたのだ。


 再び歩き始めてしばらくすると、ユウはようやく原っぱに1台だけ停まっている荷馬車を見つけた。御者台に浅黒い彫りの深い顔の青年が座っているのを確認すると近づく。


「あの、荷馬車で旅人なんかを別の町に送ってくれる商売人がこの辺りにいるって聞いたんですけど、あなたはそんな商売人なんですか?」


「そうだよ。ペニンの町まで行きたいのかい?」


「よくわかりましたね」


「ここからだと行き先はそこしかないからね。途中のノマの町に用がある人は普通いないし。でもなんでそんなところまで行きたいんだい?」


「僕、世の中のいろんな所を見て回るために旅をしているんです。今回はこのずっと先に帰らずの森っていう所があるそうなんで、その森を見に行こうと思っているんですよ」


「へぇ、見に行くんだ。冒険者みたいな身なりをしてるから、てっきり財宝を探しに行くと思ったんだけど」


「冒険者なのはそうですよ。でも、財宝って何ですか?」


「え、知らないのかい?」


「1度入ると誰も戻ってこないっていう話は聞いたことがありますけど、財宝は知らないです。何かあるんですか?」


 2人の間にしばらく沈黙が流れた。ユウとしては質問の意図がわからないので首を傾げるばかりである。


 すると、ユウの様子を見た御者台に座る青年が大笑いした。呆然とするユウをよそに腹を抱える。その笑いっぷりに笑われたユウは困惑した。


 ひとしきり笑って落ち着いた青年にユウが声をかける。


「あの、いきなりなんですか?」


「いやごめん。まさか本当に知らないなんて思わなかったんだ。そっか、本当にあの森を見たいだけなんだ。そんな人もいるんだ」


「ここに来る人って、みんな帰らずの森の財宝っていうのを探す人ばかりなんですか」


「正確には冒険者に関してだけどね。どんな財宝があるのかは俺も知らないけど、みんなギラついた目をして語ってたな。きみは今の話を聞いて興味が湧かないのかい?」


「いきなり財宝って言われてもよくわかりませんよ。それに、帰らずの森の噂が本当なら、財宝を手に入れる前に死んじゃうでしょう。それはさすがに嫌ですね」


「本当に変わってるね。冒険者らしくないな。でも、面白い」


「それで、ペニンの町まで送ってもらえるんですか?」


「おっとまだ答えてなかったね。いいよ。明日の朝ここに来てくれたら乗せてあげるよ」


「本当ですか、ありがとうございます!」


「俺はニーノ、フィサイルの町とペニンの町を往復してる商売人だ。きみの名は?」


「ユウです。冒険者をしています」


「そうか。面白い旅になりそうだな。楽しみにしている」


「はい!」


 ようやく探し当てた商売人に巡り会えたユウは笑顔でうなずいた。今度の相手はまともそうな人物なので心底安心する。旅の途中で人間関係が悪くなるのはこりごりなのだ。


 踵を返したユウは足取りも軽く街へと向かって歩いた。

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