旅立ちの日

 新年初日、二の刻の鐘が町の中から響いた。日の出はまだ遠く、周囲は真っ暗だ。


 宿の主人が大部屋の壁際にいくつかある蝋燭ろうそく台 に火を灯す。質の悪い蝋燭なので獣の臭いが漂うが、それでも屋内が薄ぼんやりと見えるようになった。


 冬の厳しい冷え込みの中、最大で3人が眠っている1つの寝台から1人また1人と起き上がる者の姿が浮かび上がる。いずれも鈍い動きながら寝台から降り、ある者は白い息を吐きながら背伸びをし、ある者は手をこすりながら大部屋から出て行った。


 その中にユウたち古鉄槌オールドハンマーの姿もある。眠い目をこすったり大あくびをしたり首の骨を鳴らしたり背伸びをしたりぼんやりとしていたりと様々だ。


 寝台から立ち上がったアーロンがユウに声をかける。


「クソしにいくか」


「はい」


 昨日の送別会兼壮行会の影響などまったく見せないアーロンが歩き出した。そのあとにまだ半分寝ているかのようなユウがついていく。


 宿の建物の裏手には桶がいくつも並んでいた。そこには既に先客が力んでいる。


 2人も隣り合ってズボンを下ろして始めた。既に漂う臭気に新しい臭いを加える。終わると手持ちの草で拭いてズボンを穿いた。近くに葉が足りずに困っていた客に余った草を分けたユウは感謝される。


 すっきりとした2人が白い息を吐きながら仲間の元に戻ってくると、入れ替わりで3人が大部屋から出て行った。腰を下ろしたユウは背嚢はいのうから干し肉を取り出すと囓る。冷えているせいでいつもより固い。


 同じように干し肉をかみ切っているアーロンが食べながらしゃべる。


「ユウ、もう1度言っておくぞ。お前はこれから市場に行ってストロベリー商会の馬車を探すんだ。そして、隊商の長カールって奴に声をかけろ」


「甘そうな名前ですね」


「ばかやろう、いちごは酸っぱいもんだ。ともかく、そのカールって奴に昨日レセップから渡された羊皮紙を渡せ。そうしたら、お前が今回の護衛の1人だというのがわかる」


「はい」


「それで護衛だと認められたら、以後はそいつの指示に従うんだ。なに、そんな大したことはしねぇよ。荷馬車に乗って揺られてりゃいい」


「そして、盗賊が出てきたら戦うわけですね」


「場合による。隊商長が戦えと命じたら戦い、そうじゃなけりゃじっとしてろ。自分の荷物に手を付けられたらそのとき考えるんだ。あと、他の護衛の様子もよく見ておけよ。自分1人だけが馬鹿正直に突っ込んで死ぬなんて間抜けすぎるからな」


「はい」


「その辺のことは昨日までに一通り教えたからな。その都度思い出して活用するんだ。なに、お前ならできるぜ」


「わかりました」


 食べながらユウは、冒険者ギルド城外支所でレセップに隊商護衛の仕事の契約書を発行してもらったことを思い出した。隊商長カールの面接にどうにか合格した後、契約を結んだのだ。アーロンが旅費を節約するためにと探し出してくれた仕事である。


 また、微妙な表情を浮かべたレセップからも色々と助言を受けた。旅先の一般的な冒険者ギルドの概要、仕事の引き受け方、面倒事の回避方法など、1度聞いて覚えろと言わんばかりに説明される。表面上はともかく、心配してもらっていることは理解できた。


 他にも、隊商護衛の仕事は基本的に傭兵の仕事であることもこのとき初めて知る。しかし、魔物が出る地域や辺境すぎて護衛の引き受け手がいない場合は、冒険者でも隊商護衛の仕事ができると教えてもらった。


 固い干し肉を頑張って噛んでいるユウは教わったことを口にする。


「僕みたいな冒険者が長旅の旅費を節約したいときは辺境を回った方がいい。そして、1人でも潜り込める隊商を探す。他にありましたっけ?」


「要は傭兵が護衛を引き受けたがらない所を回ったらいいんだよ。慣れてくりゃ大体雰囲気でわかるようになる」


「それまでが大変そうですね」


「慣れるまでに痛い目を見るのはみんな同じだ」


 話が途切れるとユウは食べることに集中した。というより、噛むことに集中しないとほぐれてくれない。


 大部屋に仲間の3人が戻って来た。ユウたちと同じように干し肉をかみ切って飲み込む。明らかによく噛んでいない。しかし、当人たちはまったく気にしていなかった。


 最初に干し肉を食べきったレックスがユウに話しかける。


「よぉ、いよいよだな」


「はい。緊張してます。まずは護衛する馬車を探さないといけないので」


「そんなんで緊張するこたぁねーよ。わかんなかったら片っ端から聞いて回りゃいいんだ。どうせ市場の外れに停まってる馬車なんて数は知れてるし、すぐに見つかるって!」


「はい」


「それより、どうせ好きに旅をするんなら思いっきり楽しめよ! せっかくの自由なんだからな!」


「はい、そうします。行く先々でどうやって稼ごうか考えないといけないですけど」


「お前本当にマジメだなぁ。そんなもん行ったら何とかなるって! 現地でも生きてる冒険者がいるんだからよ!」


 背中を叩かれながらユウは目を見開いた。冒険者ならよそ者でもすぐに仕事を探せることを思い出す。身分は最底辺に近いが、旅先での自由度は高いことを改めて知った。


 次いでフレッドが声をかけてくる。


「レックスの言う通りだな。町民のような保証は俺たちにはないが、その代わりに自由がある。もちろん危険と抱き合わせだが、そこをどうにかする方法は俺たちが教えた。だから、お前ならやっていけるぞ、ユウ」


「はい」


「世の中は広いから、きっと俺たちの知らないことがいろんな所に転がってるぞ。それを楽しんでこい」


「はい。今から楽しみですよ!」


「そうだろうな!」


 にかっと笑ったフレッドが干し肉を噛み切った。


 次は食べるのを中断したジェイクがユウに顔を向ける。


「俺たちは、ユウにはたぶん突き抜けた何かはないと考えている。怪力と呼べるような腕力はないし、そこまですばしっこくもないし、頭もむちゃくちゃいいわけじゃない。けど、逆にそこそこ何でもできる」


「うっ、それは僕も感じています」


「世間じゃそういうのを器用貧乏と言うが、うまくやれば万能にだってなることを覚えておいたらいい。もちろん一番うまくやれる奴には敵わないが、そこそこ何でもできるということはあらゆる場面に対応できるということだからな」


「そんなにうまくいくでしょうか?」


「放っておいたらいかないぞ。自分で何とかするもんだ。1人のときは何でもできた方が生きやすいし、誰かと組んでるときはそいつを支える側に回るのもいいかもしれない」


「なるほど、一番である必要はないわけですか」


「そうだ。そして、1人で生きていけるということは、最悪その場から逃げてもやっていけるということだ」


「え?」


「もちろんそんな気軽に逃げてばかりだと癖が付いてダメな人間になっちまうが、本当にどうしようもないときは逃げるという選択も視野に入れておけ。逃げた先でもやっていけるという自信があれば逃げる選択肢も選べる。これはとても重要なことだ」


 意外な助言を受けたユウはほとんど固まっていた。立ち向かえということはよく言われるが、逃げろということは今まで言われたことがない。


 そこでユウはこれが冒険者という自由人としての助言だと気付く。町民などは身分など保障されたものの制約から逃げられないことが多いが、冒険者は違うのだ。ただしこの場合、名誉や体面を捨てることになるが、そこはその都度天秤にかければよい。


 そう考えると、とても重要な助言だとユウは感じた。今後いろんな方針を決めるときに必ず役に立つ助言である。


 何度もうなずきながらユウは干し肉を囓った。相変わらず固いが今は悪くない。


 その後も色々と5人で話を続けた。これが最後なので、ユウも色々と聞きたいことを尋ねる。


 やがて全員が干し肉を食べ終わった。そうして、背嚢を寝台に乗せて背負う。全員が背負い終わると大部屋を出た。


 日はまだ出ていないが、東の空の方はうっすらと白み始めている。周辺も真っ暗からわずかに見えるようになってきた。


 外は室内よりも冷えているせいで吐き出す息が一層白くなる。5人は円になって向かい合っているので白いもやが重なり合った。


 4人の視線を受けたユウが口を開く。


「アーロン、ジェイク、フレッド、レックス。今までありがとうございました。それじゃ、行ってきます」


「おう、せいぜい楽しんでこいよ!」


 代表してアーロンが返答した。


 それに対してユウは大きくうなずくと踵を返して歩き始める。西端の街道をわずかに北上してすぐに貧者の道に入るとその姿は見えなくなった。




 これが、冒険者ユウの旅の始まりである。以後、長い旅路を続けることになり、その先で出会いと別れを繰り返し、絶えず何かを得ては失うことになる。その果てに何があるのかはまだ誰も知らない。

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