17作品目「君がなにをしたって、なにを言ったって、私は大丈夫」
連坂唯音
君がなにをしたって、なにを言ったって、私は大丈夫 前編
地平線の彼方で、白い光が一瞬ほとばしった。光源から波状となった光の衝撃波が、青空に広がる。衝撃波が通過した空はその青さを失い、たちまち灰色に変わった。さらに衝撃波は地上をかすめる。地上からも色は消失する。緑の草原はたちまち灰色となり、山は真っ黒になった。海もコールタールのような、どす黒い色にそまる。
こうして、世界の色は失われた。
モノクロとなった草原を見渡して、二人の人間は言葉を失った。一人は杖をついた四十くらいの女。もう一人は、その女の手を小さな手で握る少年だった。
「何、今の爆発………。それにこの景色は………」そう言って、ニンジンや肉の入ったかごを腕にかけたまま、女は少年を抱きしめた。かごの食材は墨色一色だった。
「大丈夫、お母さん。俺ね、世界が白黒に急に見えるようになった。お母さんもかい?」
少年は母の腕に手をおいた。
「大丈夫よ、ミミ。どうやらあたしだけに起こった現象ではないのね。遠くの方でなにか光ったと思ったら、見えるものすべてが無色になってしまったのは少し驚きだけど。いえ、無色というよりも色の燃えカスといった感じね」
母も少年ミミも特に怯える様子を見せなかった。彼らは目に映る景色が荒んでしまったことに多少驚いていたものの、どこか超然とした態度を取っていた。
母はミミの顔に手をあてて、泣き笑った。手のひらが触れている目尻には、深い傷口が刻まれている。
「もうあの人と一緒に生活を送らなくて済むと思ったら、今起こったことなんてたいしたことじゃない。あなたと一緒に生きてどこかへ行けるのなら、なにもいらないわ」
そう言ってミミの頬を撫でた。母は笑っていたが、寂しさを隠しきれていない表情だった。
親子は抱擁をつよめた。
数日が経った。太陽が沈み、月がのぼり、そして太陽が顔をあらわす。時間の経過はあっても、黒のモノクロームとなった世界は変化をみせなかった。
「お母さん、トマトとトカゲが獲れたよ」
ミミは、野生の食材を腕いっぱいに抱えながら丘をのぼって大声で言った。丘の上には小さな木造の小屋があった。小屋から母が杖をついて迎えた。
「ありがとう、ミミ。あんたに働いてもらってばかりで、こんな私でごめんね」
「そんなことを言わないでよ。お母さんの足が動かないのは、あいつのせいじゃないか。お母さんのためなら、俺はいくらでも大変なことをやってやる」そう言いながら、ミミは獲った野菜や爬虫類を地面に並べた。
「このトマトは多分、熟しているはず。白黒現象のせいで、赤色か緑色分からなかったんだ。だから、すこしかじって甘さがあるかどうか確かめたよ。一応、採ってきたトマトは食えるはずさ。くそ、世界が白黒になっちまっただけで、トマトが熟しているかどうかを見極めるのにこんなに手間がかかるなんて」
ミミは地べたに腰を下ろして、ため息をついた。母はもういちど「ありがとう」といって、ミミのとなりに座った。前方に広がる、風情の消えた景観に目を向ける。
「この現象はずっとつづきそうだね。新しい町へ向かうための地図も、この現象のせいで読めなくなったちゃったし、どうしよう」母が言った。
母の手には地図が握られていた。地図の注意書きに『空に浮かぶ星彩を頼りに、ニュータウンへ向かってね』とある。
「でも、こうしてお母さんと二人で暮らすのも悪くない気がするよ」ミミが言った。
世界から色が存在しなくなってから、一週間が経過する。
ミミは雑木林で、薪用の枝を集めていた。ミミが巨大樹のそばをとおったとき、それを発見する。
見上げても樹冠の頂が見えないほど大きな樹だ。ふと足元をみると、違和感のある草丈の低い植物が生えている。違和感の正体とは、その植物が緑色に発光していたことだった。ミミは目を見開く。
「色だ! 色があるぞ! 緑色がある………なんでっ?」
ミミはその植物に顔を近づける。その植物の葉がミミの顔にふれたとたん、植物の発光がつよまった。ミミの周囲にまばゆいやわらかな緑色の光がひろがり、あたり一面が緑に染まる。
すぐに光は弱まる。植物は火のように燃えて消えた。
周囲を見渡す。葉や木に緑が宿っている。自然を感じる。
「もしかして、元の世界の色に戻ったのか?」
ミミは視線はさまざまな方向に向ける。しかし、真上を見上げて硬直した。
「………なに………これ」ミミの口が開く。
ミミは驚いた。木や草の葉、茎に本来の色が戻ったことに。ミミは驚いた。空の色は相変わらず灰色であることに。ミミは驚いた。木の幹や枝はすべて真っ黒であることに。
「なぜ………緑だけ」
つづく。
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