最終話 - 後編 死ぬべきヤツを殺る話し⑥
見知らぬベッドで、目覚めました。
そこが病院だと気づくまでに、さらに時間を要しました。
あたりを確認しようにも、両足が固定され動けません。というより、激痛で動かすことが叶わないのです。
ほどなく、看護師さんが教えてくれました。
転落した僕と市松さんは、偶然そこを通過中だった土砂を積んだダンプカーの荷台に落ち、奇跡的に助かったのです。しかし、僕は両足骨折。市松さんは左足と肋骨の骨折、頸椎捻挫、そして、頭を七針縫う大けが。一ヵ月は車いす生活だそうです。
異変に気づきダンプカーを路肩に停止させた運転手は、荷台で失神している僕と、その傍らの市松さんとを発見し、驚愕したそうです。
彼女は、顔中砂だらけで、血を流し、涙とよだれにまみれながら、娘の名を呼び続けていたそうです。それは、はぐれたわが子を呼ぶ、ケダモノの咆哮だったのかもしれません。
病室の窓に切り取られた景色を見つめ、僕はある仮説にいたりました。
市松さんは、おそらく僕の母を轢いていない。
前話で、彼女はいいました。
≪「これ、東京みやげです」
土手に腰をおろした市松さんから、聞いたことはあり、見るのは初めての、小さなお菓子を渡されました。
「先週、赤坂へ、行ったんです――」≫
赤坂から徒歩で行ける距離に、国会図書館があることを、スマホで調べました。
それが主目的だったかは知り得ませんが、彼女は、そこで十七年前の新聞記事を読んだのです。母の事故の。
≪「そうだ。母の名前くらい調べればわかるだろう。当時の新聞を見たんだ」
「日付もわからないのに? 戸籍謄本だって他人が見ることはできないのですよ」≫
いいえ、僕の記憶を少し検証してみれば、日付などたやすく絞り込めるのです。
あの雪の日、僕は祖母と家で留守番をしていました。祖母はこういったことは前述のとおりです。
≪――あら、あれは霙だよ。予報でいってたとおりだねぇ。
――みぞれ?
――もうすぐ年に何回かの雪になるよ。つもったら、あした保育園でゆきだるまつくれるねぇ≫
一日留守番をしていて、『明日は保育園で雪だるまを作れる』と、祖母がいっていたのだと、そんなことも僕は市松さんにすっかり打ち明けました。ということは、このやりとりがなされたのは、十七年前の真冬の日曜、または祝日である確率が高いことに、彼女は気づいたのでしょう。僕が病気などのため、平日に一日留守番をしていた、という可能性もゼロではありませんが、事実、事故は日曜に起こりました。
それが十二月から二月の三か月間だとすると、それだけで十数日に絞り込め、年に数度しかない雪の日、となれば、天気欄と組み合わせ、誰でも日付はほぼ特定できるはずです。その翌日、または翌々日のA市の地方版を順に見てゆけば、母の事故の記事はきっと見つかる。
そのように新聞で概要を把握した市松さんは、なぜそこに無い、母が傘を持っていなかったことをも知っていたのでしょうか。
事故現場がどのような場所で、あたりに何があるかは、写真のように記憶しています。あの県道は実家の近くですから。
ふと思いついた僕は、車いすに乗り、一階で公衆電話と電話帳を十数年ぶりに使いました。
『はい、〇〇不動産です』
「あの…… ハンジョウと申します。〇〇の孫の……」
祖母の名を出しました。
『え? ハンジョウくん? おぉ、久しぶりだね。〇〇さんの葬式以来か』
「突然申し訳ありません。あの、最近女性が、母の事故の件で、そちらを訪ねてきませんでしたか?」
『女性? あ、来たね』
「本当ですか?」
持ち慣れない緑の受話器を握りなおしました。
『ただね、僕は外出中だったんで、他の若い社員が応対したから、あまり、というか、ほとんど何も教えられなかった、と聞いてるよ』
「……そうですか」
『どうして? 何かあの事故が――』
「あの、”黒ずくめの男”(実際には実名が入ります)の電話番号を教えて頂きたいのですが、可能でしょうか? 番号がわからなくて……」
≪「お、ハンジョウくん、おかえり」
特にこの”黒ずくめの男”は、まさに重要参考人でした。疑いの理由は、事故現場からわずか十メートルの場所に住んでいること。そして、あのアニメの”黒ずくめの男”に似ているからでした。
どちらも、”探偵のカン”に過ぎません。
現場近くに住んでいる、といっても、その県道沿いには他にも住宅が連なっています。また、黒ずくめ、も誤りで、この背の高い白髪まじりの紳士が、冬には黒いコートを着、ハットをかぶっていた、というだけのことです。地主で家柄も確か。町内会の役員でもあるこの方がわが家の仏壇にお参りにくると、僕は顔をしかめ、挨拶もせず、その涙だってどうせウソ泣きだろう、と、部屋へ引っ込んでいました≫
不動産屋にはかなり訝しがられましたが、”黒ずくめの男”の電話番号を聞きだしました。
公衆電話のダイヤルボタンを押すたび、指の震えが、大きくなります。
『はい、もしもし』
少し、声が老いていました。が、彼でした。
「あの…… ハンジョウと申します。〇〇の孫の……」
長い間。
いちども心を通わせなかった者同士の距離が、横たわっていました。
「……驚いた」
埋まらない時間が、また隔たります。
「ずっと、気になってたんだ…… まさか君から連絡がくるとは……」
「……大変お世話になったのにご無沙汰しており、申し訳ありません」
電話機に、頭を下げていました。
「あの、ちゃんと改めてご挨拶に伺いたいのですが、いま、公衆電話からで、その、あまりお金もなくて……」
『もしかして、お母さんのこと?』
「えっ、あ、はい、そうです。その件で、最近女性が来ましたか?」
うなずきが返り、
『十七年前の轢き逃げ事件について教えてほしいと。知りあいかね? 同じ被害者団体の人とか?』
「もしかして、三十代の、痩せた女性でしょうか? 髪がショートカットの」
『……そうだね』
その仏花を持った女性は、自分は被害者の息子の友人だ、過失運転致死罪の時効はわずか十年であまりに短い。法改正に向け自分になにかできることはないか、事件を調べている、と。
目を、閉じました。呼応するように、長く閉じられていた蓋が開いてゆきます。
そこにしまってあったのは、心、でした。寂しさ、悲しみ、不安。それらがかき混ぜた、胸のぐちゃぐちゃ。
「その女性に、どんなことを? 教えて、頂けませんか?」
『……こんなに時間が経ってから来るのも変かな、と思ったけど、私の知ってることは話したよ。やっぱりあの事件には思い入れがあるから。君のおかあさんのことは、産まれたころから知ってたんだよ』
「僕は、僕は、特に、母の傘のことを、知りたいのですが、もしかして、その女性にも?」
『傘? あぁ、はい、話したよ』ためらうような間。『というか、君は、知らないのか? 傘のことを…… おばあさんから聞いていない?』
「……聞いて、いないんです。じつは」
瞼の裏に、あのころの居間を覗きこんでいました。
「祖母とも、事故の状況については、あまり話したことがなくて。我が家では…… いや、僕自身が、なんとなく、避けてた話題で」
深いうなずき。なら、話そう、と。
『あの当日、私が事故に気づいたのは、パトカーや救急車のサイレンで、だった。表に出てみると、のぞみちゃんが轢かれたって。小さいころから知ってたあの娘が…… 救急車が行くと、警察官が、おたくの敷地内に傘が飛んで来なかったか、って』
「……傘」
『そう、雪だったでしょ。なのに、物証かもしれない傘が現場周辺に落ちてない、と。それで私も庭を探したし、警察も他の家や側溝まで調べたそうだが、ついに見つからなかった。それを、しばらくして、君の家にお参りに上がらせて頂いたとき、おばあさんからも訊かれたんだ。
『娘の傘を、なんとか見つけてあげたいんです』と。
『これだけ探して無いのだから、元々持って出なかったか、どこかに忘れてきたのでは?』
『いえ、そんなはずないと思うんです』
娘が傘を持って出たところをたしかに見たし、着ていたコートにはフードがついてなかった。慣れない雪の夜に傘がなければ困ったはずで、もしどこかに忘れてきたとしても、現金も持っていたし、買い直したはず。なのに、娘の指紋がついたものはもちろん、他のどんな傘も、現場付近にはなかった、と』
そしてなによりも。吐く息の音。
『娘の遺品はどんなものでも手元に置いておきたい。あの子は帰ってこないけど、あの子の物は、だれにも奪わせない』
≪「本当はぜんぶ、わたしがずっと持っていたかった。持って、あの世へ逝きたかった……」
病床で箱を抱いた細い指が、鋭い鉤爪に見えました。娘に死なれた女の情念でしょうか≫
『最近来たその女性は、熱心に私の話しを聞いてたよ。最後に、事故現場はここですよ、って案内してあげたら、お花をたむけてね。しゃがんで、ずっと手を合わせて、謝るんだよ。ごめんなさい、ごめんなさい、って。私は彼女が、事件が解決されないことを詫びてるのかと思ったんだけど…… まさか犯人じゃ、って。それくらい、悔いていたから』
≪「なぜ俺に罪の告白をした? 俺に復讐されるためだろうが。怖気づいた俺をもういちど奮い立たせ、殺させるためだろうが。お前はそうやって他者に依存しそそのかす、悪魔の化身である蛇だ。人間の罪悪感なんてものはない≫
そこまでしてあの女は、”傘が見つかっていない”という事実から”お母さんは傘をさしていなかった”という虚構のストーリーを作りあげ、僕が思いとどまらないよう、保険をかけたのです。
母の死までをも悪用する、卑劣で非道な、かばう余地などない蛇。
「”黒ずくめの男”さん。突然の電話にも関わらず、ありがとうございました」
『いや、そんな…… その……』
「僕は、もう昨日の僕じゃありません」
『え?』
「こんど、ちゃんとご挨拶に伺わせてください。そして、祖母のこと、母のこと、いろいろと教えてください」
『……うん、うん』語尾が震えます。『君は、立派になった…… 待ってるよ』
「それから、あの女性は犯人じゃありません。いや、実際のところどうだったのかはわかりません。ただ、あのひとは、弱いんです。いい大人のくせに、支えが必要なんです。そして、それができるのは、きっと、僕だけです。同類の僕が、彼女を迎えに行きます」
『……うん、うん。そうか、そうなのか』
僕が点けようとしてこなかった灯りが、長い時を経て、あの家に灯りました。必ずまたお会いしましょう、そう誓い、受話器を置きました。
傘の件を知っていたからといって、犯人だけが知る”秘密の暴露”とはいえない。冷静に考えればそう判断できたことを、あの場では、彼女にそそのかされてしまった。
悪魔の化身である蛇。
僕はそれでも、憎みきることができない。
彼女が、弱く、姑息で、人を傷つける、僕と同じ穴に棲むケダモノだからです。
そうまでして、死にたかった女。
どうにかして、殺したかった男。
恋愛感情、なのかいまだに分かりません。恋をしたことなどないのですから。
仲間意識、それにも違和感があります。友達など欲しくはない。
ただ、両足のギプスを見て、こう思うのです。
だれがなんといおうと、歩けるようになったら、僕は彼女を迎えに行く。
どの面を下げて? 拒絶されるかもしれないのに? あるいは残酷にも本当に彼女が犯人だという可能性も残っているのに?
それでも構わない。
宿題の頁を閉じたままだった自分では、もうないのだから。
彼女が、万にひとつも、僕を受け入れてくれるなら――
手をつないで、抱きしめたい。
それが、僕のすべてになる。
人として、生きてゆける。
償い。そのために、自分が、何を、いかにして、そうなってしまったのか。懺悔というにはあまりに不実で恥ずべきこの独白も、もうすぐ終わります。
警察が、二度目の事情聴取に来るからです。逮捕ではなく、身体拘束のない送致、いわゆる書類送検になるそうです。ダンプカーの会社や僕が殴り倒した男性からは告訴されないようだが、高速道路の会社からは損害賠償請求されるかもしれない、と。当然ですが、小さくはない罪に問われるのです。
さりとて、僕はいま、とても清々しい。
あの窓から、はじめての陽が昇ったから。
この、2021年の出来事を、僕はこう結びます。
僕は、僕を殺し、もういちど生まれた。
だから、どんなことでも、やり直せる。
今日も殺らなかったぁ♡ @kkym0524
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