第一章
第七話 乳香亭
ハルカです。
予定通り、僕達はラトナの街に到着しました。
トーマさんにとってはどうか分かりませんが、僕からすればあっと言う間でした。
毎日歩きながら文字を練習して文法も勉強して、合間合間にくだらない話をしたりもして。
もちろん乗馬や野営の学びも疎かにしていません。
ところで旅の最中魔物に襲われた話をしませんでしたが、実は結構な頻度で遭遇してはいたんです。
ゴブリンっぽいのとかコボルトっぽいのとか妙に大きい蜂さんとか下半身がタコみたくうにゃうにゃしてるお姉さんとか一つ目の巨人とか。
特に
ただ、なんというかトーマさんがあまりにも無敵すぎるせいで緊迫した場面には一度もならず、あえて言及する必要を感じなかったというのが実情です。
と、言い訳はこのくらいにしていつもの口調に戻そう。
ラトナは中東と西洋の文化が入り乱れたような、石造りのちょっと不思議な街並みだった。
通行人もそんな感じで、ディスダーシャ風の装いをした男の人もいれば、ディアンドルっぽいドレス姿の女の人を見かけたりもする。
人種と言うか種族もバラエティに富んでいた。
一番多いのは僕と同じ普通の人間――こちらで
残念ながら
とは言え、ここが本当に異世界だと言う実感が急激に湧いてきて、なんだか感動した。
「どうせならちょっといい宿に泊まりたいわね。久々の街なんだし」
トーマさんは通り沿いに軒を連ねる店を品定めするように見回している。
「そのへんは任せるけど、食事が美味しいと嬉しいかも」
「同感。ま、ハルカくんの作るご飯も悪くなかったけど」
「アストリアの宿屋よりはね」
そう、旅の間、大半の食事は僕が作っていた。
と言っても基本塩しかないのでせいぜい汁物の時に食材の出汁を意識する程度。
香辛料でもあればもう少しなんとかできたんだけどね。例の王様の治世で流通網が壊滅的な打撃を被ってるとかで、高い安い以前にそもそも売られていなかった。
ちなみにどんな食材だったかと言えば日々遭遇する野生動物や魔物達と、あとは食べられる野草。
炭水化物は途中で黒パンがなくなって以降口に入れられていない――と、要はファンタジー小説にありがちな食事情だったわけで。
だから僕達はもっと料理らしい料理を食べたいんである。
「心当たりとかないの?」
「うーん……ないこともないんだけど。直接来たのってだいぶ昔だからさ。あんまりアテになんないかも」
「それじゃ、人に聞いてみるしかないかな」
「――二つ向こうの通りにある“
「え?」
急に声がして振り向くと、頭から足元まで黒尽くめの何者かが走り去って行くのが見えた。
僕達とすれ違ったんだろうか。あんな格好の人が視界に入った覚えはないんだけど。かと言って、わざわざ後ろから近づいて話しかけてくるとも思えない。
「トーマさん、今のって」
「…………」
トーマさんは黒尽くめが消えた方を凝視している。いや、むしろ睨んでいる。
お城で騎士に囲まれた時や魔物に襲われた時でさえ割と緩めだった表情が、今は固い。
よく見ると、さっきまでなかった青緑色の円盤を持っている。
あの人に渡されたんだろうか。
「トーマさん?」
「あ、ごめん。なんだっけ?」
「いや、だからあの黒い……――わっ!」
急にトーマさんに手を引っ張られて、僕はつんのめりながらそっちに動いた。その直後、ほんの一秒前まで僕がいた場所に矢が飛んできた――かと思えばすぐに五人の茶色い覆面をした人達があちこちから飛び出して来て、僕達を取り囲んだ。
全員が丈の短い曲刀を手にしていて、時計回りにジリジリと歩きながらこちらの隙を窺っているみたいだった。それを見た通行人は関わりたくないのか、誰もが足早に立ち去って行った。
ちなみにトーマさんの表情は、半目。これたぶん面倒くさい時の顔だ。
あの黒尽くめ一人よりも脅威度が低いってことなんだろうか。
「やられたわね」
トーマさんは円盤をポケットに突っ込み、大太刀の柄に手をかけて溜め息をつく。
「ハルカくん、そこから動かないで」
「分かった」
ラトナに来るまでに何度も交わしたやり取りの直後、五人の覆面は一斉に飛びかかって来た。
僕はいつもそうしていたようにしゃがみ込む。その直後、トーマさんはこっちを見てもいないのに抜刀して、一歩も動かずに無数の斬撃を全方位へと放つ。ほとんど目で追えないけど、周りにある物が薙ぎ倒されて少し後に剣を振った風切音が聞こえて来るあたり、もしかするとトーマさんの剣は音速を超えているのかも知れない。そしてその衝撃は当然覆面達をも吹き飛ばし、ついでにフードと曲刀と隠し持っていたらしい弓矢をことごとくバラバラに斬り刻んだ。
なすすべもなくやられた挙げ句素顔まで晒された
「もういいわよ」
「お疲れ様」
納刀したトーマさんに労いの言葉をかけつつ僕は立ち上がった。
と思ったら、今度はなんだか騒がしい様子の武装集団がこちらに向かってくるのが見えた。
衛兵か何かだろうか。
「次から次へと……」
「あたし達もずらかりましょ」
「うん」
別に悪いことをしたわけではないんだけど、なんとなくあの人達はあの人達で不穏なものを感じた。
トーマさん的にもそうだったのか、単に面倒を避けたいだけなのかは分からない。
とにかく僕達は路地裏に駆け込んでから、トーマさんは僕を抱えてあちこちを足場に何度も飛び上がり、建物の上を伝って衛兵らしき人達を撒いた。
「確か“
「二つ向こうの通りって言ってた。行くの?」
「気は進まないけどね。他にアテもないしさ」
「せめて評判通りの食事にありつけるといいね」
「まったくだわ」
その後、僕達は黒尽くめの君イチオシの宿に向かった。
果たして噂の
でも、土地柄なのかこの店が特別なだけなのかは分からないけど、店内は掃除が行き届いていて店主や店員も清潔そうだ。アストリアの宿屋とは大違いで少々面食らってしまった。
ほぼ満室なのに二人部屋がひとつだけ空いているあたり、どことなく作為を感じなくもないけど。
「ハルカくん、ここお風呂あるんだって」
「へー……それって結構珍しいんじゃない?」
「そうなの。ご飯までまだ時間あるしさ、さっぱりして来なよ」
「そうさせてもらうよ。いい加減あちこち痒くて」
部屋に案内される時、トーマさんとお店の人が話してると思ったらそのことだったらしい。
僕としては非常にありがたい。
旅は楽しくて充実してたけど、清潔に保てないのだけは辛かったから。
いつも近くに綺麗な水源があるわけじゃないしね。
ちなみに僕に薦めるだけだったところから予想はつくと思うけど、トーマさんはたぶんお風呂に入らない。
何がどうなってるのか分からないけどあの人、常に清潔なので。
……どうやって確認したのかって? そんなの一緒に旅をしていれば自ずと分かる。
髪質は初めて会った時から変わらずふわふわで何日経ってもベタつく様子はないし、顔に汗が浮かんだ形跡もない。
そしてここだけの話――年頃の女性の体臭に言及するのをよく思わない人もいるのは承知で言うと――あの人はまったく汗臭くならない。
食べたり飲んだり、あと暑がったりはするから代謝がないわけじゃないと思うんだけど。
そう言えば魔物の解体で手がべっとり汚れた時も、軽く水洗いするだけで綺麗になっていた。
もちろん匂い移りもなく、むしろ直後ですら微かにお花みたいな香りが漂っていた。
もう根本的に人間とは別の存在なんだと思う。少し羨ましいくらいだ。
つまり何が言いたいのかと言うと、お色気シーンは期待しないでね。
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