神の器としてあらゆる感情を捨てるために教会へいった聖女ですが、孤児の少年たちが尊すぎて禁忌しそうです

超新星 小石

第1話 

 その昔、暗黒の風が王国に吹き荒れました。


 暗黒の風は病を運び、人々は次々と倒れてゆきました。


 けれどその時、風と添い遂げた聖女様に神の力が宿り、暗黒の風を浄化したのでした。


 以来、聖女様は歴史の中に度々現れました。


 ある時は荒んだ獣の心を癒し、


 またある時は毒を吐く植物を鎮め、

 

 人々を救ってきたのです。


 聖女様は産まれた時から、その左手の甲に印をもっているとされました。


【ストラデュウスの聖典、第八章四節より】 


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 気づけばそこはなにもない真っ白な空間でした。


 天も地も境界線が曖昧で、まるで雲の中に迷い込んでしまったかのようです。


 わたしは常に鋭敏なはずの五感が酷く鈍くなっていることに気づき、これは夢なのだと思いました。


 いつ覚めるのでしょうか、と自問しながら海月さながらに漂っていると、わたしの視線のさきに白いワンピースを着た少女があらわれました。


 少女は白い空間のなかにうずくまり、足元にすりよる子猫を愛おしそうに撫でています。


 そんな彼女の正面に鎧を纏った兵士が現れ、子猫の首をつまんでもちあげました。


 少女が、あっ、という顔で見上げると、兵士はくるりと振り返りどこかへ歩き去りました。


 少女は追いかけることはせず、ただ俯いて、膝に顔をうずめていました。


 いつしか彼女の輪郭がぼやけて体が透けてゆきました。それはまるで彼女を構成するなにかが、雲のなかに溶けだしているようで……ああ、消えてしまうのだな、と思いました。


 わたしは消えていく少女のその姿を、ただ淡々と眺めているばかりなのでした----。


「シルベット・プリマ・ヴェーラ。そなたをこの城から追放する」


 そうおっしゃったのは我が父にしてこの神に愛されし土地であるギモーヴ王国の国王様。


 我が父といっても、わたしは生まれてこの方一度たりとも国王様を父などと気安く呼んだことはありません。


 こんな話をするとどちらか一方に極端な性格の歪みがあって、だとか、意地の悪い姉妹の策略で、とか、そういった理由を邪推する者も少なからずいることでしょう。


 ですが、違います。


 わたしと国王様は確かな絆で結ばれており、この度の追放宣告もある種の成人式のようなものなのです。


 少なくともわたしは、そのように受けとめているのです。

  

「ついにその時がきた、ということですか。国王様」


 わたしは玉座よりも一段低い床の上にかしづいたまま、左拳を胸に当てて問いました。


 わたしの問いに国王様は顎にたくわえた白髭をさすって頷きました。


 目を閉じて頷くそのお顔はどこか愁いを帯びているようにも見受けられましたが、特に思うことはありません。


 わたしたちは、ただ粛々と、ただ淡々と、情報のやりとりをするだけなのです。


「うむ、これも運命よ。そなたがその左手の甲に神の印をもって生まれた時からのな」

「これは誇りでございます」

「そうだろう。でなければ武芸にその身を捧げ、勉学に精神を捧げ、芸術に魂を捧げることなどできまい。いまのそなたは限りなく無(ゼロ)に近い。だがそうでなければ神の器たる【プリマ・ドール】たりえぬのだ」 

「承知しております。この世に生を受けてから十六年と幾月。わたしは神をこの身に受け入れるためだけに生きてまいりました」


 わたしの胸に渦巻くのは誇りだけ。ただそれだけ。


 それ以外の感情は過酷な修行とともに削ぎ落してきました。


 空っぽであることを望まれ、わたし自身も望みました。


 聖女とはそうあるべきだと多くの文献が記し、またそれらを咀嚼する有識者たちからも伝え聞いていることなのです。


 人の身でありながら人としてのあらゆる感情を失った人形にならなければ、神をこの身に宿すことはできません。


 神を宿すことができなければ、この土地に大いなる災厄が訪れることになります。


 神へ、そしてこの土地へこの身を捧げること。それがわたしの宿命であり、生きる意味なのです。


「うむ……。そうだな……だが……」

「? なんでしょうか、国王様」

「いや、なんでもない……そなたは余の誇りだ。ただ、そう、たったの一度も父と呼ばれなかったことが少々悲しくてのう……」

「呼ぶことだけなら、できますが」


 そう、呼ぶことだけならば。


 そこに心はともなっていません。


 父という存在にどのような感情を抱けばいいのかなんて、わたしにはわからないのです。


「いや、いい。余迷いごとをいった。許せ。兎にも角にもそなたはもうこの城にもどってくることはない。最後の試練を終えるころには、すでにそなたは神を宿し、そなたではなくなっていることだろう。仮に城に戻ってきたとしても、それはもはや----」

「いまのわたしではありません」

「……そうだ」

「それでは国王様。いってまいります」

「ああ……達者でな、我が愛しき娘よ」

「……では」


 震える声でわたしを娘と呼ぶ国王様にかける言葉もみつからず、わたしは立ち上がり、迷いのない足取りで謁見の間を出ていきました。



「シルベット! もう行ってしまうの?」


 自室に戻る途中に呼び止められ、振り返りました。


 そこにいたのは薄紫色のドレスに身を包み、頭には黄金のティアラを乗せた王妃様。


 その後ろには濃紺のローブを纏った王妃様の専属宮廷魔術師の女が付き添っています。


「王妃様。ええ、用意ができ次第すぐにでも出発するつもりです」

「なにもそんなに急がなくてもいいじゃない。今夜が最後になるかもしれないのよ? 国王も交えて三人で食事でもどうかしら?」

「もうしわけありませんが、そのような場を設けていただいたとしてもわたしはすでに必要な情報は取得しております。情報の再確認という意味であれば喜んでお受けしますが」


 わたしがそういうと、王妃様は顔をくしゃりと歪め膝から床の上に崩れ落ちました。


 彼女の背後で、専属宮廷魔術師の女が顔をにやけさせています。


 こんな光景を目の当たりにしてもわたしは動じません。揺れる心がありません。


 泣き崩れる王妃様を見ても、その後ろで嘲る配下を見ても、悲しみも怒りも沸いてこないのです。


 王妃が泣いている。配下が笑っている。その情報だけが網膜から伝わってくるだけなのです。


「ああ、どうして貴女なの。どうしてわたくしの娘が神の器になんて。心を失った人間だなんて紙人形同然ではありませんか!」


 わりと酷いことをいわれているような気がしましたが、これも王妃様の悲しみゆえなのでしょう。


 これまでの経験からこんな時は慰めの言葉をかけるべきだ、と思いましたが、一瞬の思考の間に専属宮廷魔術師の女が王妃様の肩に手をかけました。


「王妃様、シルベット様の前でそのようなことをいってはなりません。お気を確かに」

「ごめんなさい、ショコラーデ。ありがとう」


 王妃様はショコラーデと呼ばれた女に手を借りて立ち上がると、ハンカチを受け取り頬に垂れた涙に押しつけました。


 これほど感情的に振舞っていても化粧を気にする冷静さを残しているのは淑女たる者としてぜひ見習いたいところです。


 これは拒絶でも軽蔑でもありません。わたしはいま、素直に学ぼうと思っています。


「シルベット」

「はい、王妃様」


 王妃様はわたしをまっすぐ見つめました。目を赤くしたまま背筋を伸ばし、一度鼻を啜りました。


「もしも貴女が嫌だと言えば、この国は貴女を神の手から守ります。国王もわたくしが必ず説得してみせます。その上で、いまいちど、貴女の気持ちを教えてくださらないかしら?」

「考えるまでもありません、王妃様。わたしはの左手の印を持って生まれたその日から、神を宿す依り代として宿命づけられているのです」

「ならばわたくしだけでも! わたくしだけでも貴女を守ります! ああ、シルベット! どうかいかないで! わたくしの大事な愛娘!」

 

 王妃様は縋りつくようにわたしを抱きしめました。


 秋に咲く花の香りの香水がふわりと漂います。


 これは、わたしとおそろいの香水です。


 いつか王妃様から贈られていらい、わたしはこの香水しかつけていません。


 王妃様もまた、この香水しかつけてこなかったのでしょう。


 わたしたちの匂いはとてもよく似ています。


 顔立ちも、どちらかと言えばわたしは王妃様に似ているでしょう。


 アッシュグレイの髪に灰銀色の瞳。幼い頃は灰かぶりの姫だなんて呼ばれ、将来大成するに違いないと囁かれてきた二人なのです。


 実際に王妃様は、宮廷魔導士から王妃という地位を獲得しました。


 わたしは生まれながらにして聖女という役割を得て、その役目をまっとうするに値する人間へと成長しました。


 やはりわたしたちは親子なのだと、少なからず思います。


「ありがとうございます王妃様。ですがそれは神にあだ名す行為。ひいてはわたしの悲願を妨害する行為となってしまうでしょう」


 それでもわたしの口から出てくるのは淡々とした言葉だけ。


 互いの類似点を強く意識したとしても、わたしの心は揺るぎません。


 そうあるべくして育てられてきたのですから当然です。


 わたしがはっきりと自分の思いを告げると、王妃様の肩越しにショコラーデがくすくす笑っていました。


「うう……ぐす……シルベット……。貴女は……貴女はわたくしの誇りです……。けれど、それが悲しい……とても悲しいのです……」

「……はい」

「どうか、最後までやりぬいてください。それが貴女の選んだ道というのなら、わたくしは全力で応援いたします」


 王妃様はわたしの肩を掴んだまま体を離すと、「さようなら、シルベット」と告げました。


 その声は、国王様と同じく酷く震えていたのでした。








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