電車が止まる 電車の下で命が止まる それでも僕は歩調を上げる

電車が止まる 電車の下で命が止まる それでも僕は歩調ピッチを上げる


※(筆者コメント)

都会では人身事故で電車が止まることなど日常茶飯事です。ソシャゲのバッドイベントぐらいの感覚です。そして、バッドイベントのテキストなんてオートスキップして当然と言わんばかりに、「誰が何のために死んだのか」なんて思考もオートスキップされます。バッドイベントを受け、下がってしまったステータスをどうやって回復するのかやバッドコンディションをどうやって解消するのかという焦りや苛立ちを抱えた重課金ゲーマーのように、会社や関係先に詫びの電話を入れながら代替交通機関へ向けて歩調はどんどん上がっていきます。

死という歩調の完全停止に背を向けて自らの歩調を上げ続けることを強制される場所、それが都会というものです。こういうことを際限なく繰り返しているといつか自分が死を迎えたときに同じ報いを受けるのではないか、なんて考えるとビョーキ扱いされそうです。

私自身は無宗教な人間ではありますが、誰かの死に際して多少なりとも「歩調を合わせる」時間や機会を設けることが、ヒトとして適切ではないかと最近は思います。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る