隔離
「花冷えゆうて、桜が咲いたら寒くなるんよ。舞妓ちゃんらにうつったらかなん」
初つ春はテキパキと塔子を2階奥の部屋に隔離した。
4月1日の初日から30日の千穐楽に至るまで、舞妓ちゃんたちは殆ど毎日〝都をどり〟出演する。それも1日3回だ。公演後は夜中までお座敷を勤めなければいけない。つまり年一番の稼ぎ時なので誰かが風邪をひくなんてとんでもない話なのだ。楽屋にも家にも栄養ドリンクが山積みされており、即ち根性論で乗り切ることを舞妓ちゃんたちは要求されている。
そんな鉄火場の中、不用意に熱を出した塔子は凡ゆる検査をうけさせられた。結果風邪というお墨付きをうけて隔離処分で済んだのだ。隔離部屋には山積みのレトルト食品と電子レンジ、紙の食器類が置かれている。トイレ以外は部屋を出るなということだろう。
二日間続いた高熱を耐えぬいた3月30日のお昼に襖をあけたら、ヤオイソのフルーツサンドが置いてあった。
(私が好きなマンゴーのやつだ)
塔子は母が好物を注文して置いてくれたんだと思うと嬉しく思った。お盆ごと部屋に引き込むと、布団で寝転びながらサンドイッチを頬張る。まだ意識は朦朧としながらも、何も考えずにはいられなかった。
(私も他の子と変わらない偽物の娘なんだよね。でも、愛されてないわけじゃない)
ひんやりとしたマンゴーの甘さが、愛されてる証拠だと思いたかった。血が繋がっていようがいまいが、母との関係が変わらない気がする。元々母とは一定の距離感があり、むしろ血が繋がっていないことを知ってしっくり来たとも思った。
しかし、本当の母が気にならないわけではない。
(都をどりの写真帖を漁れば勝つ春の写真を見つけられるんじゃないかな?)
おおよそ置いてある棚は目星がついていた。初つ春は思い出の品に関してはマメなので、育ててきた芸舞妓のインタビューや新聞記事を全部アルバムにスクラップしてある。
(古い方から調べればきっとママと同じ置屋に勝つ春という芸妓がいるはずだ)
思い出のアルバムの棚にずらりと並ぶ古い写真帖を捲ってゆく塔子の手が止まった。
黒く塗りつぶされている人がいる。ギュッと心臓を握られたかのような異様な恐怖を感じる。場所は初つ春の右上。
(母に勝つ春の話をしてはいけない)
そう思った時、塔子の胸に深く重い何かがのし掛かったのだった。
4月1日。満開の桜と青い空に祝福されながら都をどり開幕したが、塔子は熱がまだ続いているふりをしていた。どんな顔して母に顔を合わせたらいいか迷っていたからだ。
勝つ春の写真を塗りつぶしている母を想像すると、得体の知れない恐怖を感じた。
本当はもっとちゃんと全てが知りたいけれど、母にそれを気付かれたくはない。
具体的な案が出ないまま、布団の中で過ごすだけで1日がすぎる。夜は更けていく。ガヤガヤと家に舞妓ちゃんたちが帰ってきた音がする。
(もうこんな時間か)
うとうとしながらも熟睡は出来ぬまま朝を迎えた。母と舞妓ちゃんたちは慌ただしく準備をして歌舞練場へと出かけてゆく音で目が覚めた。
家は塔子1人を残して再び静寂に包まれる。
(春休みの時間はまだ充分にあるし、スマホがあれば気付かれずに調べられるんだろうけれど)
塔子の携帯電話は決められた番号だけにしか発信できない防犯仕様の携帯電話だ。しかし、テレビもない部屋に隔離しているのを可哀想に思ったのか、今日は差し入れと共にタブレットが置かれている。
勝つ春の名を検索で打ち込む。
京都の花街の芸舞妓はウェブなどには載らない。自分のブログもないし、SNSも禁止されている。一般のお客さんに対して有名になる必要はないからだ。写真を晒すような無作法なお客は、花街のお客としてふさわしくない。年齢層を考えても勝つ春の話がインターネットに出ているわけが無いが、調べずにはいられなかった。
何も出てこなかった。芸妓の写真すら無かった。期待したつもりはなかったが、やはり塔子はがっかりしている。不貞寝ぐらいしかすることがない。
そのまま布団に突っ伏した塔子の#微睡__まどろ__#みを打ち破るのは電話のベルだ。今時珍しい年代物の黒電話が激しく鳴る。
心臓発作を起こすかと思うくらい、ビクッとして起きた塔子はのそのそと電話に出る。
「あんた具合どうなん、何回携帯かけても出えへんし死んだかと思たわ」
久しぶりに話す初つ春の声は、少し他人のような気がして塔子は答えに戸惑ってしまう。
「熱下がったんやったら16時40分の回の券余っとるさかい、歌舞練場来よし。券は窓口置いとくしな、よそゆき着るんやで。戸締りちゃんとしてな」
矢継ぎ早にママは要件を畳み掛けると私が返事をする前に、電話は切れた。
軽く溜め息をつきながら、塔子はクローゼットに向かった。
(選択肢はふたつ。紺色か白)
紺色のワンピースはいかにも良家の子女といった制服風のオーソドックスなデザインで小ぶりなセーラーの襟が気に入っている。或いは白いワンピースは金の刺繍が特徴的なドレスだ。シフォンの層がはいったスカートの裾がふんわりと膨らみ、凹凸があまり無い薄い体を貧相に見えなくしてくれるから塔子は気に入っていた。
(帰りは寒くなるかもしれない。白いカーディガンも羽織っていこう)
あの日出逢った白い着物の男の人を思い出していた。
(また庭に行ったら会えるかな)
無意識に塔子に白を選ばせた。久しぶりのお出かけに心は踊るように軽い。悩みが少し取れたように感じるのは錯覚ではないだろう。髪も綺麗に編み込みにし、お気に入りのエナメルの肩掛けを掴む。
思ったより準備に時間がかかってしまい、庭で過ごす時間が減りそうで塔子は少し焦る。階段を早足で駆け降りて、急いで玄関の鍵を回す。勢いよく引き戸を開くと、背の高い青年が私の前に立ちはだかっていた。
栗色の目にまつ毛が長い。太めの眉毛に少し茶色がかったくせ毛の髪。鼻が高くて彫りも深い。細身だけど筋肉質な体格をしている。芸能人に似てる人はいないけど、ファッション雑誌には出ていそうな華やかさはある。
(この人、日本人じゃないのかな)
塔子がそう思った理由は服装にある。青年は五つ紋の羽織に袴を履いていた。お正月や結婚式でもないのに日本人がこんな格好するわけない。たまに迷い込んでくる観光客がいるから怖くはなかった。
(料亭と間違えて来ちゃった外国人観光客なのかな)
引き戸と同じくらいの位置の頭をさげ、背を折り曲げて、青年は塔子の顔を覗きこんできた。
「白いドレスが花嫁衣装みたいやん。お出迎えしてくれたんは嬉しいけど、思ったよりちっこいなあ。こんな子供を借金のカタに貰うんはちょっと気が引けるんやけど」
流暢な関西弁だった。超絶日本人には違いなかったが、塔子は彼が何を言ってるか理解できなかった。何を言っているかは分かったけれど、理解が出来なかったのだ。
困惑して返事をせぬ塔子を男は軽々と抱きかかえて困ったように笑った。
「まあ、塔子ちゃん?やったけ。仲良くしよや」
そして男は軽くジャンプすると瓦屋根をもう一度蹴る。漆黒の翅をはためかせる男に抱かれて、塔子は空を飛んでいた。
(わたし、まだ寝てるのかな)
急速に意識が遠のいた。
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