心臓の音は聞こえない

ShiotoSato

第1話――普通の少年と特別な少女

 ――耳元を何かが通り過ぎる音。

……蚊の鬱陶しい羽音だった。


「……」


…随分と嫌な目覚めをお見舞いしてくれたもんだ。

こうなったらこっちも強烈なはたきをお見舞いしてやる。


ヘッドライトを点灯させ、懸命に辺りを見回す。


「……」


まだ目が明るさに慣れない。

僕は半開きの目を擦ると、再び蚊の居場所を探し始めた。


「…!」


いた!

狙いを定めて、すかさず上からはたき込む。


そしてそのまま――


「あ、痛っ!!」


僕の手は蚊を仕留めずに、ベッドの外枠に食い込んだ。


「っ〜…」


ただでさえ嫌な今日の目覚めは…最悪になった。


痛くて、動くことも出来なくて。ふと天井を見上げる。


――真っ白な天井。

まるでここが病院なのではないかと錯覚するほど、無機質な白。


嫌気が差して、僕は痛みに耐えつつ照明のスイッチを押した。

部屋の中がほのかな電球色に色づく。


…一日が、始まろうとしていた。



―――――――――――――――――――――



 部屋の中の象、ということわざがある。


部屋の中に大きな象が居るのに、部屋の中の人間は知らないふりをする――

転じて、分かっていることについてあえて触れない、知らないふりをする――


要はタブーを言い表したものだ。


このクラスにいる奴らもそれと同じ…。

厄介ごとには知らん顔で、何も行動を起こそうとしない。


その点、僕は違う。

僕はこのクラスの誰よりも色んなことを知っていて、そして色んなことを考えて生きている。脳死で生きている奴らとは根本的に違うんだ。

だからこそ僕は特別なわけで――


「……ねぇ、聞いてる?遠林とおばやしくん」


「ひっ!」


誰だ!?


「ちょ、ちょっと何もそんなに驚かなくても…。次移動教室だよ?」


「え、あぁ…ありがとう…」


学級委員の、ええと…米山さん、だっけ。

緊張してついどもってしまった。


…彼女は鍵閉め当番だから、僕に気づいたのだろう。

既に教室には僕だけが取り残されていた。


ひとり席を立って廊下に出る。


……。


…僕は、このクラスのなのか?

ふとそんなことを考えた。


誰にも相手にされず。

誰かと話すこともなく。


友達なんて、今まで一人もできた試しが無い。


…でも、寂しくはない。

僕は特別なんだから。



―――――――――――――――――――――



 学生寮付きの大きな建物。それが僕の居る

学校――私立三ヶ峰みつがみね高校だった。


寮の各部屋にはテレビ、風呂が備え付けられており、また学習用のパソコンも生徒一人一人に与えられる。

おまけに寮の一階には売店(コンビニ)まで入っているという、文句のつけようがない最高の環境だ。


これほどまでに環境の良い学校は、珍しい。

そしてここまでの環境を学校側が提供する理由を、僕は知っている。


それは――ここがにある施設だから。


僕も、他の奴らも。

この学校にいる子供はみんな、身寄りのない孤児だ。


そんな子供たち――僕も含め――400人ほどを集めて、去年学校としての体裁を成したのがここらしい。


表向きは"子供達の自立支援・福祉の提供を念頭に置いた学校"を謳っている。

が…実際の所はそうやって善意を見せびらかして、名声や利益を得ようとしているんだ。

少なくとも僕はそう考えている。


つまり子供たちは商売道具、というわけだ。


「ふざけやがって…」


誰の目も無い自室。


僕はノートパソコンで学校への悪評があるかどうか調べていた。

けれどネット中どこを調べても、この学校に対するイメージはクリーンなものばかり。


…流石に嫌気が差す。

こうなったら僕がSNSで愚痴の一つでも呟いてやろうか。


すぐさまTwisterを起動し、ツイートを打ち込む。


『はっきり言って三ヶ峰高校は最悪。俺たち孤児を商売道具だと思ってる』


勢いよくエンターキーを叩いた。

ツイート完了――。


「…ふぅ」


時計に目をやる。

時刻は午後の9時半を回っていた。


満足したし、売店で何か買うか…。



―――――――――――――――――――――



「……ん?」


売店に行く途中、何かが目に留まった。


階段の近く――ひとりの少女がいる。

明らかに何か困った様子で、落ち着きがない。


(こんな時間に…ど、どうしたんだろう?)


見たことのない子だ。

歳は…僕と同じぐらいだろうか?


……。


「…あ、あの…大丈夫?」


「え…?」


僕の声に気付いたのか、彼女の顔がこちらを向き――


「っ――」


そして僕は、息を呑んだ。


彼女の、琥珀色の瞳。

そこから放たれる怜悧れいりで冷ややかな眼差し。

まるで全てを見透かすような。

息もつかせぬ、鋭利な視線。


途端に、僕の体は金縛りに遭ったかのように硬直して。


彼女はやがて――


「――っ、ご…ごめんなさい」


そんなことを言って、逃げるように去っていった。


「え……」


僕だけが取り残されて。


「……」


その場で立ち尽くし、ただ茫然として。

今度は僕が困惑する羽目になった。



―――――――――――――――――――――



 朝になっても、昨日の出来事が頭の中で繰り返されている。

昨日のあれは一体…何だったのか。


考えても謎が深まっていくばかりだった。


凍てついてしまいそうなほど冷たい、あの

眼差し――。


「……?」


……さっきから、教室の中がやけに騒がしい。

近くの席同士で話す子、教室の後ろで固まっている子たち…。


いつもの光景が今日は特に顕著だ。

何かあったのだろうか?


そんなことを思っていると、担任の鈴重すずしげ先生が教室に入って来た。


「起立…気を付け、礼」


米山さんが号令をかけ、朝のHRホームルームが始まる。

先生はいつも通りの優しい口調で話し始めた。


「はいおはようございます。えっと…まず最初に」


クラス全員を一瞥いちべつする。


「もう知ってる子もいるかと思うけど…えー、このクラスにね、新しく転校生の子が来ました」


転校生――。

その言葉に、教室中がザワザワとした。


「はい静かに静かに…。それじゃ早速なんだけど…大丈夫かな?」


教室の入り口を見やる。

廊下のほうへ先生が出ると、やがて――


「え……」


――ひとりの少女が姿を現した。

彼女は教卓の横まで行くと、こちらに向き直り。


「…小海零花おうみれいかです。これから、よろしくお願いします」


瞬間、心臓を掴まれたような衝撃が走る。


…僕は見たんだ。

彼女――小海零花の、琥珀色の瞳を。



































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