第1話 エンブレムの効果

「私はケイト・イーロス。女神ルル様がタイミング良く現れてくれなかったらこの命はありませんでした。本当にありがとうございます」



 リッテの父親が深々と頭を下げてくる。

 それをルルは冷ややかな目で見ていた。



――やっぱりわかってなかったよ、この人――。



 そう思っているとリッテの母親が間に割って入る。



「あなた、女神様は『普通』がお好みなんですよ。『普通』の女神様、私はリッテの母親のマーサ・イーロスです。助けてくださりありがとうございます」



 ついには名前の部分が消えてしまった。

 もはやわざとやっているようにしか思えないほどである。


 母親につられて、リッテも頭を下げてくる。



「む、娘のリッテです。そ、その……、ルル様はこの後は空に帰ってしまうのですか?」

「リッテ、一つ教えてあげるよ。人間はね、空を飛べないんだよ?」

「でも、ルル様は空から降臨されましたよね?」



 不思議そうにリッテが聞いてくる。



――あれは落とされたんだよ。結構痛かったし……。



 あのときの出来事を思い出してルルは苦笑を浮かべる。



「えっと、あれは落ちてただけだけだから……」

「わかりました。そういうことにしておきますね」



――また絶対にわかってない返答がきたよ……。



 言い訳でもない事実を淡々と述べただけなのにこの反応である。

 もはやこれ以上言いつくろっても無駄なのではないだろうか、とルルは諦めの境地にたつ。



「ところでルル様はこれからどちらへ行かれるのですか?」



 ケイトがルルを見ながら言ってくる。



「特に考えてないですね。近くの町に行こうかな……と」

「ここから一番近い町は私たちが向かうカラザフ領の町ですね。もしよかったら一緒に来ていただけませんか? その費用も払わせていただきますので」

「あっ、それなら一つお願いがあるのですがいいですか?」

「なんでしょうか?」



 ここから先は交渉となる。

 ルルはフードを取り、真剣なまなざしを向ける。

 すると、なぜか和んだ空気が流れていた。

 そんな逆風をものともせずルルは口を開く。



「その……、食べ物をわけて貰っても良いですか? ここ数日、何も食べてなくて……」



 ちょうどそのタイミングでルルのお腹がかわいく鳴る。

 どんな無理難題を言われるのかと思っていたケイトは、その可愛らしいお願いに思わず笑い出してしまうのだった。







 護衛達が盗賊を拘束してる間にルル達は携帯食を食べていた。


 固い黒パンと干し肉。


 お世辞にも美味しいとは言えないものだが、空腹のルルにはお腹が膨れたら十分で、一心不乱に頬張っていた。その姿はさながら頬袋に餌をため込んだリスのようである。

 その様子を見たリッテは思わず笑ってしまう。



「くすくすっ。ルルさん、そんな急いで食べなくてもまだまだありますから」

「いくらでも食べてくださいね。これもルル様が盗賊達から身を守ってくれないとすべて奪われていたものなのですから」



――盗賊?



 新しいパンに手を付けながら首を傾げる。


 ルル自身はそんな盗賊を見てないのだから当然の疑問である。

 スライムバスが高高度から踏み潰していたのだから。

 わからないことはわからないので、それ以上考えないことにする。


 盗賊なんて出てきてもルルが相手にできるはずもないのだから。


 秒殺しておいて、ルルはそんなことを考えていた。



「そういえばルルさん、さっきお父さん達を助けてくれたのって魔法なのですか?」

「うっ――」



 リッテの質問にルルは声を詰まらせていた。


 あそこまで大々的に使っていては誤魔化しようもなかった。

 そもそもすでに王都から抜け出したのだから『無色の魔女』について知ってる人もいないだろう、と鷹をくくる。


 さすがに『無色の魔女』については民衆までは知られていないが、『色環の賢者』についてと世に言う魔法の属性については周知の事実であった。


 だからこそリッテでもルルの異常性はすぐに気づくことができたのだ。



「えっと、うん。治癒の魔法だよ」

「やっぱりそうなんですね! そんな魔法、初めて見ました」



 魔法自体があまり浸透してない世界なのかも知れない。

 思えば、ちゃんとした魔法を見たのは老婆の魔法だけかも知れない。

 ルルはそんなことを考えていたが、もちろんそんなことはない。


 人を癒やす魔法を初めてみたのだから、その感動でリッテは目を輝かせていた。



「リッテは魔法を使えないの?」

「私はその……、第十位魔法しか使えませんから」

「第十位……?」



 聞いたこともない単語が飛び出す。



――やっぱり数字が大きい方が強いのかな? 第百位魔法とかありそうだもんね。



 実際は全くの逆なのだが、説明されていないことをルルが知るよしもなかった。



――そういえば私も神様に魔法のレベルを見せて貰ってたよね? あれはたしか……。



「私は一位だったかな?」



 正確には『治癒魔法:LV1』と書かれていたのだが、そこまではっきりとルルは覚えていなかった。とりあえず『1』という文字だけが印象に残っていたのだった。



「やっぱりそうなんですね! すっごい魔法だと思いました。まるで『賢者』様みたいな――」

「……賢者?」



 また嫌な単語が出てきてルルは苦笑を浮かべる。

 でも、リッテの言っている賢者はルルのことではなく、全く別の人のことだった。



「知らないのですか? あっ、でもルルさんって王都の方から来られましたもんね。カラザフ領にはとってもすごい魔法を使う『白の魔法使い』様がいらっしゃるんですよ」

「そ、そっか……」



 色のことはあまり聞きたくなかった。

 おそらく『白の魔法使い』には『無色の魔女』について情報が流れているだろう。

 さすがに面と向かえば気づかれてしまうことも容易に想像ができる。


 でも、道を歩いててそう簡単に有名な人に出会うほど世界は狭くない。



――きっと会わないよね?



 そんなフラグみたいなことを考えていると、盗賊の拘束が終わったようだった。



「そろそろ出発しようと思うのですが、大丈夫でしょうか?」



 ケイトが恭しく確認してくる。



「大丈夫。えっと私は――」

「馬車にどうぞ」



 スライムバスに乗って後ろを追いかけようかな、とか考えていたのだが、馬車に乗るように促される。


 馬車の手綱は護衛の人が握るようだ。

 ルルの隣にはリッテが。向かい合うようにケイトとマーサが座っていた。


 そして、馬車の後ろにはロープでくくりつけられた盗賊達。



「えっと、あれ、大丈夫なのですか?」

「ここからなら直接衛兵に引き渡した方が早いのですよ」



 どうやら町まではもうあと一日もかからない距離らしい。

 ゆっくりと馬車が動き出す。

 それがなんだかものすごくゆっくりに感じられた。



――べ、別に跳ね回りたいわけじゃないよ!?



 なんとも言えない感覚に襲われるルル。

 全く危険のない移動のはずがどこか物足りないと感じている自分もいる気がして……。


 すると、石でも踏んだのか、馬車が大きく揺れる。



「わわっ」



 体を崩したルルはリッテに抱き留められる。



「大丈夫ですか?」

「うん、ありがとう」

「済まないね。あまり乗り心地は良くないだろう?」

「い、いえ、大丈夫ですよ……」



 苦笑いしながら隠れるようにお尻をさする。



――これは長時間座るのはなかなか大変かも……。そうだ。



 こっそりとルルはスライムをクッションにして座る。

 たったそれだけのことでずいぶんと痛みが和らぐ。


 それを見たケイトが興味深そうに聞いてくる。



「ルル様、それは?」

「あっ、いきなりだったらびっくりしますよね。これは私のスライムです」

「なるほど……、そうやって柔らかいスライムを敷くことで揺れを緩和できるのですね」

「す、スライムじゃなくても柔らかいクッションを敷くだけでも大きく変わると思いますよ」

「なるほど。そんな方法があったのですね。これは商品化できそうです」



 ケイトが目を輝かせルルの方に身を乗り出していた。



「えっと、あの……」

「おっと済まない。つい興奮してしまった」

「お父さん、ルルさんに手を出そうとしたら怒りますよ!」



 リッテが頬を膨らませて怒る。



「そ、そんなことするもんか! 俺が愛しているのはマーサとリッテだけだ!」



 必死に言い訳をするケイト。

 しばらく二人に詰められていた。


 しかし、ルルの興味はすぐさま窓の外へと移っていた。



「あ、あの壁ってもしかして――」

「はいっ。あれがカラザフ領地になります」

「もうすぐ着くんだね」



――一体どんな町なのだろう?



 今まであったことも忘れ、すっかり町への期待に関心が向くのだった。

 ただ、このときルルはまだ致命的な問題に気づいていなかった。






「では、身分証をお願いします」



 カラザフ領の門へたどり着くと門兵が言ってくる。

 ケイト達はあっさり渡していたのだが、ルルの動きはそこで固まる。



――そ、そうだ。私まだ身分証を作っていなかった……。



「あ、あの……、も、もし、身分証がなかったら町の中へ入れない……とかですか?」

「供託金を預けてくださると大丈夫です。金貨一枚になります」



 さすがにそこまでのお金を持っていない。

 いや、正確にはアベルから貰っていた白金貨一枚があったのだが、それをルルはただの銀貨と勘違いしていたので、持っていないと思い込んでいた。



「お金がないなら私たちが代わりに出しましょうか?」



 ケイトの提案を飲もうとしたが、そこでアベルから貰っていたネックレスのことを思い出す。

 あの困ったときに役に立つと言われた何の役にも立たなかったネックレスである。


 また失敗しては恥ずかしいので、ケイト達には見えないように門兵にネックレスを見せる。



「あの……、これではダメでしょうか? アベルって人からもらったものなのですが」



 エンブレムを見た門兵が呆けていた。

 何度もエンブレムとルルの顔を見返していた。



――やっぱりダメなんだ。



 最初からわかっていたこととはいえ、ガックリ肩を落とす。

 どうすることもできないので、ケイトからお金を借りようと考えたときに兵士がなぜかその場で土下座し出す。



「えっ? えっ?」

「あなた様に先ほどのような失礼な態度を取ってしまい申し訳ありません。いかような罰もお受けしますので、何卒命だけはお助けください――」



 真っ青な表情に変わった門兵にルルは訳もわからずにその場であたふたとしていた。

 それもそのはずでルルが見せたのは『色環の賢者』たる証。

 身分証としてはこれ以上ない証であった。


 そもそも『色環の賢者』相手に身分証を求めること自体が無礼である、

 絶対の実力者相手にそのような態度を取ったのだから、その場で首を刎ねられたとしても文句は言えない。


 しかし、門兵には妻がいれば生まれて間もない子供もいる。

 ここで死ぬわけにはいかなかったのだ。

 少しでも生き残る可能性を、とごく自然に土下座をして許しを請うていたのだった。



「か、顔を上げてください。わ、私が何かしたのでしょうか?」



 困惑するルルの顔は真っ赤に染まっていた。



「ご、ご慈悲を与えてくださるのですか?」

「だ、だから何を言ってるのかわからないのですが」

「あぁ、神に感謝します」



 急に天に向けて祈りだしていた。



「あぁ、もう。一体何なの、この町は――」



 結局ルルが町の中へ入れたのは一時間ほど経って門兵の意識が地上に戻ってきてからだった。

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