コカトリスの雛と鶏の雛を見分けるのは存外難しいらしい

World Document > とある路地裏、とある野営地

(公開:2**5/07/10 Wed. 12:00)


 ◇


 〈忘れられた都〉、〈取り残された地〉、ウォルミーザ。

 その通りは、いつの頃からか占術小路と呼ばれている。道行く人を呼び止め小銭稼ぎに勤しむ者から仕える主を求める者まで、占術を生業とする占者せんじゃが多く集まるのだ。

 古典的な札占いに水占い、それでは目立てぬと独自性を押し出した音占いやら火花占いやら、様々な占術が集まる通りの存在は昨今では広く知られていて、占者に用はなくとも観光気分で見物に訪れる者も多いのだという。

 自然、訪れる客目当てに軽く食べられる物を売る店なども増えて、いまではちょっとした屋台街の様相だ。

 そんな占術小路のはずれから人ひとり通るのがやっとという狭い道――というよりもただの建物と建物の隙間――に入った先、行き止まりにある鋳鉄の門扉の先を知る者は少ない。

 古い枯れ井戸を囲む小さな中庭のような空間があることも、日中でも薄暗いこの場所に、毎日決まった時刻になると現れる老婆がいることも、限られた人間のみが知ることなのだった。

 この日、老婆は客人を迎えていた。

 三月に一度の間隔で顔を出す男とは、そこそこに長い付き合いだ。男が老婆に求めるものはいつも同じ、そして老婆が男に求める対価もいつも同じ。よって余計な対話の必要もない。男の顔を見るや、老婆はなにも訊ねることなくさっさと札占いに取りかかる。

 金属札を用いる札占いは、最古典にして最先端される。つまりは、極めて歴史が古く、それでいてこれ以上の精度を発揮する占術が未だに存在しない。まっとうな占者であれば、扱うのは決まって札占いだ。

 地面に敷いた敷物の上、老婆は鈍く輝く銀の楕円を無造作に並べていく。淀みない動きが、ふと止まった。しばし静止したのち、老婆は一度並べかけた札をすべて回収した。使いかけた金属札とは別の一揃を用いて、ふたたび最初の手順から始める。

「どうかしましたか」

 遠慮がちな男の問いに、いらえはない。老婆は先ほどと同じように札を並べ、そして再度、その手をとめる。

「これでは駄目だ」

 ぼそり、独りごちた。

 ごく短い黙考、そして老婆はさらに別の一揃を取り出した。青みを帯びて見える銀の輝き。先の二度で用いた金属札とは明らかに異なるもの。

 男が固唾を呑んで見守る中、三度の札占いが始まり、そして今度こそ滞りなく終わった。

 どちらからともなく、詰めていた息を吐き出す。

「――それで、」

 結果は、と目で伺う男に、老婆は端的に告げた。

ことわりの乱れ、異物、混沌、混乱」

 まあ、なんだ、と老婆は苦く笑った。

「正直、よくわからんのだ。ただ、なにかが起こるらしい――としか」


 ◇


 ウォルミーザの老婆と同じ頃、セセネア大森林の片隅に位置する野営地で、一人の若者がやはり札占いを行っていた。

 彼、クラウス・ハルネが用いるのは黒銅札の一揃で、言葉を飾らずに言えば安物だ。街中で若い男女の恋の行方を占う程度の占者もどきには充分な占具でも、命を預けるには若干心許ない。彼は戦場を駆ける傭兵隊の一員だった。

 クラウスが属する傭兵隊は現在、正規軍の一中隊及び他の傭兵隊二隊とともに、セセネアの森の東端に留まっている。敵は森に潜む盗賊――ただし、大集団。数ばかり膨れ上がっただけの寄せ集めとは言え、たかが盗賊退治と侮ってかかれる相手でもなかった。

「やっばいな、これ……」

 ぶつぶつ呟きながら黒銅の札を並べていく。これで四度目だ。

 術が、うまく進行しない。どうしても途切れてしまう。まるで完遂を妨げられているかのように。

 占術とは、行く末を識る術だ。数多ある可能性の中から蓋然性が高い未来を読み取り、読み取った結果から現在発生している事象を計る、それが占術なのだ。

 よって、対立する相手方の占者が行う術を妨害するのは常套手段だ。大国同士の大規模な衝突であれば、妨害合戦、往々にして呪詛合戦で双方ともに占者がことごとく無力化されてからが本番ですらある。

 しかし、だ。

 いま相手取っているのは盗賊だ。占具こそ安物だが、自分はそこそこ能力の高い占者であると自負している。というか、占具の質が今ひとつなのを自前の能力で穴埋めしている。それができてしまう程度には優秀なはずだ、己は。

 その自分に対して、たかだか盗賊風情が抱える占者だか魔術師だかの妨害が実を結ぶなどということがあるだろうか。

 そも、早朝に占術を行ったときは、まったく問題はなかったのだ。朝から昼までのわずかな時間でどこかから優れた術師を確保してきた――あり得ない。

 自身の占具を一枚摘み上げ、表、裏としげしげと観察する。薬指ほどの長さの楕円形をした金属札は、一般に流通する占い札に多く、札の形状に別段のこだわりがないクラウスは、安価だからという身も蓋もない理由で好んで用いていた。さらには、占術の精度を重視するなら都度毎の使い捨てが鉄則であるところを、一揃につき五、六回は当たり前に使い回しもする。

 クラウスの属する傭兵隊や、傭兵隊に仕事と金を与える正規軍の名誉のためにはっきりさせておくと、占具に必要な金が与えられないというわけでは断じてない。単に、まだ使えるものならとことん使いきりたいというだけだ。それでこれまで問題なくやってこれた。

 とは言っても職業占者の嗜みとして、常日頃使用する安物の黒銅札とは別に、高精度の占術を行うための占い札の準備はある。非常時のための備え、淡い緑を帯びる白銀の札。ミスリルの占い札が五揃ほど。

「うあああ、使いたくねえ……」

 占い札の質は、第一に材料である金属で決まる。そして質がいい札の材料となる金属は、総じて高い。鉱石の段階ですでに高いのに、加工にかかる手間と技術のため、占い札になる頃には価格が跳ね上がっている。

 その馬鹿高い値が、一度の占術で急落する。

 占術に用いられた金属札は、厳密には札に用いられている金属は、傷むのである。占者、特に宮廷や大貴族に仕える占者がオリハルコン喰らいだのミスリル喰らいだのと称される由縁である。

 本来使い捨てが基本の占い札なので、一度使用した時点で札としての価値はほぼ消えている。それに加えて金属としての価値も大幅に落ちるのだ。

 比較的安価な銅札なら元の値段もそれほどでもないだけ落ち幅もたかが知れているが、お高い占い札の場合は驚くほど値が落ちる。

 よって、ミスリル札は使いたくない。

 いやまあ、どうしようもなくなれば迷わず使うけども。別にクラウスの私物ではなく、傭兵隊の金で購入したものだし。

 ただ黒銅札で占術がうまくいかないからと、一気にミスリル札はどうかと思うのだ。よほど切羽詰まった状況でなければ、徐々に占具を高品質のものに取り替えていくのが定石なので。

 他から占具を借りられれば――、黒銅札より質がよく、ミスリルほどではない手頃な金属札が何揃かあれば。

 ――本当であれば、ここにいる占者はクラウス一人だけではなかったはずなのだ。

 大森林に入ったときはクラウスの他に二人の占者が同行していた。それが、他の傭兵隊が雇い入れたばかりという占者は早々に姿をくらまし、正規軍の中隊付従軍占者は一昨日の戦闘で運悪く飛んできた矢に当たり後方送りである。

 負傷した中隊付占者はしょうがない。受けた傷と年齢を考えればこのまま引退となりそうだが、慰労金で食うには困らないだろう。不幸中の幸いである。

 腹立たしいのは傭兵隊所属の占者のほうで、こちらはどうやら逃走したらしい。それもセセネアの森に入って早々に。ちょっとした小競り合いを見ただけで逃げ出すような奴が傭兵隊になど入るなと言いたい。もっとも、ただ消えただけでなくお仲間の所持金やらなんやらが失せてもいたそうなので、元から窃盗目的で近づいていたのかもしれないのだが。

 消えた占者については、中隊付の占者とクラウスと、二人の占術が、ともに討伐対象の盗賊集団とは関わりなしとの結果を弾き出したため、ひとまず捨て置けということになっている。

 二人の占者がいまも残っていれば、占具を融通してもらうこともできたかも知れないのだが。黒銅札だけで軍と行動をともにする占者はそういないから、最低でも純銀札くらいは携えていただろうに。

 自分は純銀も金も用意してなかったけど。この仕事から解放されたら占具商のところへ行こう。さすがにちょっと自らを省りみてしまった。

「いや、待てよ」

 逃げた占者が自身の金属札を残している可能性はまずないだろうが、中隊付占者のほうはどうだろう。本人の持ち物はなくとも、中隊の備品として予備の占具があったりはしないだろうか。

 急いで正規軍の兵士、いや、隊長格の誰かを探さなければ。そして予備の金属札を使わせてもらう。予備がなければ、あるいは、借りた金属札でも占術が失敗するようなら、ミスリル札を。それでもなお駄目なら――。

 それはつまり、想定外の何事かが発生しているということだ。

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