第78話

 家にこんなやつあげなくてもと、思ったけど、桜音おとちゃんは優しくて、事情を聞くらしい。外で尋問してもいいと思うけど、近所の目があるか……。


松沢まつざわくんはどうして私の家に来てたの?なんか覗いていたよね?もしかして、最近、駅からつけていたのも………」


 松沢くんと言われた男子生徒は項垂れる。


「自分です……」


 なんで!?と桜音ちゃんは驚く。


 ……いや、ここまできたら松沢くんの気持ちを察してあげてもいいと思うよと僕は出された冷たい麦茶を飲みつつ、そう思うが静かに見守る。ムーも水を貰って飲み、満足気にペロンと舌を舐めた。


「ずっと新居あらいさんのこと、気になっていたのに何も教えてくれないから余計に気になってしまって……しかも……あの去年野球部エースだった栗栖くるす先輩と付き合ってることがわかって……」


「は!?たまきと!?」


 僕が驚くと、桜音ちゃんが慌てる。


「ち、違います!千陽ちはるさんには言いましたよ。こないだ、同じ電車で帰ってきて、一緒に家に行ったときのことだと思います!」


 あ、そういえば、なんか定期券落ちてたとかなんとか?あの時か。


「ショックで、さすがに栗栖先輩には敵わないと思って諦めようと思ったけど、夏休みに入ってしまう前にせめて思いを伝えたくて……花火大会も来てくれなかったし……」


 悪いね。僕といた。……なんて優越感を若者に感じてる場合じゃない。とりあえず二度とこんなことないようにしないとだ。


「まず、人を尾行するもんじゃないし、家まで来て、覗くのも犯罪だ。君がしたことは、してはいけないことだと思う。桜音ちゃんは怖かったんだ」


「はい……すいません……」


 僕が地面に伏せさせたせいらしく、松沢くんはちょっと曲った眼鏡のフレームを直して、つけるが、やはり曲がってる……まぁ、仕方ないよな。


「そして桜音ちゃんの彼氏は環じゃなくて、僕の方だ。環は僕の弟だよ」


「へっ?ええええ!?」


 そうなんですと桜音ちゃんも驚く彼に頷いた。たまたまあの日、環といたからか……。


「お兄さんじゃなくて!?毎日、駅に見送りに来てるから、妹思いの優しいお兄さんかと!……え?じゃあ、違う学校の生徒とか!?」


「なんで学生に見えるんだろう!?僕は10年前に君の学校を卒業してるから先輩だよ」


 ……社会人です。


「10歳も歳上の彼氏!?新居さん……すごいな……」


「すごくないけど、そうなの。これ、返すね」


 桜音ちゃんは定期券を渡す。ありがとうと受け取る松沢くん。


「好きって言っても無理だったか……最初から……」


「えっ!?私のこと好き!?」


 いや……今!?気づいた!?松沢くんの、気持ち、この流れで気づいていたんじゃ!?それでも桜音ちゃんにそう言われて、目を細めて、どこか嬉しそうに答える。


「ずっと可愛いなぁと思ってた」


「ごめんなさい……えーと、私、気づかなくて……人気者の松沢くんにそんなふうに思ってもらえて嬉しいけど……ごめんなさい。私、千陽さんのことが好きなんです」


 優しい断り方だなぁ。青春だなぁと思いつつ見守る……なんて、大人の対応をするわけもなく。ニッコリと僕は笑って言った。


「ストーカーまがいのことはもうしないよね?一度目だから許すけど、次はないよ?二度目は迷わず骨折って、警察に突き出すからね」


「ち、千陽さん、笑顔だけど怖いです」


 桜音ちゃんが怯える。松沢くんもコクコクと素直に頷いた。いや、許せることと許せないことがあるよ……ほんと、桜音ちゃんのクラスメイトだから、ちょっと待ってと言われたから我慢したけど、本来なら警察に突き出したいくらい僕は怒ってる。


 松沢くんはわりと素直な子ですいませんでした。二度としません……と謝り帰っていった。二度目がないように、ちょっと脅して釘を刺したけど、僕は桜音ちゃんに言う。


「あのさ……桜音ちゃん、栗栖家に来ない?この家を捨てておいでってわけじゃないんだ。だだ心配なんだ。僕はここに来るまでの間、なにかあったらどうしようかって怖くて仕方なかった。家は近いけど、守りたい時に、そばにいれない」


 桜音ちゃんは少し困った顔をした。そうだよな……そんな反応が返ってくるとわかっていたよと僕は思った。


 でも桜音ちゃんは『大丈夫です』とあの笑顔で自分の気持ちを我慢するような言葉は発しなかった。そのかわりにまっすぐに僕を見た。


「私、この家で待ってたらお父さんかお母さんが、やっぱり帰ってきてしまったって戻ってきてくるかなって最初のうちは期待していたんです。だからこの家を守ろう。1人でも頑張ろうって……ここに私がいたらもしかして、いつか戻ってきてくれるかもしれないって思ったんです」

 

 そう話す彼女はきっと以前なら泣いていた。両親が、戻ってくることなどないのだから……。でも今は泣くことなく、自分の気持ちをしっかり話している。強くなったなと僕は思った。


「家を譲ることも、だから嫌だったんです。思い出もなにもかも消えてしまって、ここにいたはずの私の家族や昔の楽しかった思い出もすべて消えてしまう気がしました。でも今は……あの……図々しいかもしれませんが、栗栖のお家があるのかなって私、思ってしまってます。皆がすごく親切で家族みんなで私のこと守ってくれて、私も当たり前みたいに家族にしてくれてる……だからこの家がなくても、大丈夫な気がするんです」


「でもこの家にいるんだね」


 なんで先に言うんです?なんで私の気持ちがわかるんですか?と桜音ちゃんは笑った。全部言わなくてもわかる。君のことはなんとなくわかる。


 栗栖の家があるって言いながらも、全てを頼らない桜音ちゃんは自分で立てる人になろうとしている。それからこの家に居ることができる残された時間を大切に過ごしたいんだ。だから来ない気がした。


「うーん……僕がここに住めば問題ないんだけどさ……」


「それは!すごくすごーく嬉しいけど、ずっと千陽さんと過ごすなんて、心臓が持ちません!」

 

 でもそうなったら夢みたいですと桜音ちゃんは頬を染めて言う。


 か、可愛い……可愛すぎる。いや、僕だって、そうなったら夢のようだよ!って、口に出して言えない。現状では無理だ!二人で住んでて、手を出してませんなんて桜音ちゃんの両親に言えるわけないし……さすがの僕だって、我慢できるわけないし!ホントは一緒に朝も夜もずっといたいけど!


 言葉が空を切る。言いたいけど、言えない。


「この家を譲る前に千陽さんと一緒に住んでみたかったですけど」


 心の中ですごく動揺してる僕に、可愛いことを言って、追い打ちかけてくる。思わず、うん。いいよって首を縦に振ってしまいそうになる!


 ムー!助けてくれーと茶色の犬を視線で探すと、ソファーに伸びてくつろいでいた。ムーは我が家になってる。……本当に自由だな。


「えーと……高校卒業してからなら……良いと思うんだけどさ……えーと、ほら……君の両親にも信用してもらえなくなる行動はちょっと……栗栖家に泊まるって選択もあるってことでどうだろう?台風みたいな時やこんな困った時は絶対に来るってことで!」


 わかりました。お願いしますと桜音ちゃんは言った後に、ふふっと笑った。


「今日はきっと私の勝ちです。いつも余裕ある千陽さんに勝ちました。ちょっとだけ、今、動揺していませんでしたか?」 


 余裕なんてないよ……そう見せてるだけだ。でも僕は余裕ある顔をしてみせる。


「そういうことにしておいてあげるよ」


 もうっ!と桜音ちゃんが頬を膨らませた。


 さすがに今日は怖かったらしく、栗栖家に来た桜音ちゃんだった。僕も君になにかあったらと思うとすごく怖かった。


 大事なものが増えるって自分以外のことが、こんなに心配になるし、怖くなるもんなんだなと思った。


 ……一緒に住むとか、ずっと一緒にいるとか、僕だってそれは望んでる。待ってる時の時間ってなんでこんなに長く感じるんだろう?でも桜音ちゃんの成長を見るのも悪くない。自分の気持ちを話せるようになり、心が強くなった彼女に僕はとても嬉しかった。

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