第72話
ザアッと緑の草原のように稲が揺れる。一番好きな田んぼの景色かもしれない。刈り入れ前の金色の稲穂も好きだけど、僕は風が吹き抜ける青々とした田が好きだ。
稲の間を歩き、雑草取りしながら、時々、風が吹いた時、顔上げて楽しむ。広い田に1人立つ。心がスッとする。
景色を見てるばかりじゃなくて、仕事しなきゃなぁと苦笑しつつ、ジャバジャバと泥水の中、歩を進めていく。抜いても抜いても生えてくる雑草との戦いを延々とし続ける。
雑草を抜きながら、こないだ
『由佳さん、ごめん、わざとキツイ言い方してくれたんだよね』
『
ニヤリと笑った由佳さん。
優しいだけじゃ……無理。確かにその通りかもしれない。由佳さんに嫌な役させてしまったと申し訳ない気持ちになる。僕が言うべきことだったんだ。
あの後、桜音ちゃんに大丈夫だった?と聞くと思い出し笑いをしてて、なにがあったんだ!?と、思った。
そして桜音ちゃんは僕に言った。『お父さんに会ってくれていたんですね。ありがとうございます』……と。柔らかく優しく穏やかに笑う桜音ちゃんはきれいでドキッとした。
稲の間から生えてる草をどんどん抜いていく。暑くて、汗が滴り落ちてきた。
僕は子どもだとは……もう思ってない。でも桜音ちゃんのことを子どもにしておかないとダメだと思ってる。
それから、今、桜音ちゃんはやりたいことをみつけたって言ってた。
『もう少ししたら千陽さんにも話します。まだ自信ないんです』
どんなこと?と聞くと、困った顔をしながらそう言った。僕もそうだったのかもしれないけど、やりたいことをみつけた時、前に進もうとする時、どこか人は強くなる。
僕に桜音ちゃんは子供で追いつけないって思ってるのを感じるけど、僕も桜音ちゃんに置いていかれないようにしなくちゃと思ってるんだ。
長い長い青田を歩きながら、色々考えてしまった。腰を伸ばして、山にかかる入道雲を見る。夏が本格的に始まる。
午後になり、雨が降ってきた。今日の夕方は早めにあがり、時間ができた。
「ムー、桜音ちゃん、迎えに行ってくるか?」
つまらなさそうに縁側の窓のところで寝そべっていたムーがパッ!と立ち上がって、ワン!と返事をした。
雨上がりでところどころに水たまりができていた。ムーは水たまりが嫌いで、サッサッとうまく避けて歩く。
大きな木がトンネルになってる小道を通る。まだ葉が乾ききっておらず、水滴がポタポタと落ちてきた。
電車がそろそろ着く頃だとムーと行くと、ちょうど踏切の警報機が赤く点滅し、カンカンカンと鳴っている。ゆったりと青田の中を電車が走ってきて、駅のホームに着いたのが見えた。電車が通るとその風で緑の稲がまた揺れる。
青い2両電車はキキーッとブレーキ音の甲高い音をたてた。
改札口を学生、仕事帰りの人が抜けてくる。その中で桜音ちゃんをすぐみつけられた。僕をみつけて、千陽さん!と駆け寄ってきたからだった。可愛いなぁと頬が緩む……と、桜音ちゃんの表情を堪能しようとしたら、ムーが激しくジャンプして邪魔する……ムー……空気読めよ?
「千陽さんとムーちゃん、お迎えありがとうございます!すごく嬉しい!」
いつも来たくなっちゃうなと思う笑顔。
「おかえりなさい。こんなに喜んでもらえるなんて思わなかったよ」
ムーも桜音ちゃんに撫でてもらって、デレーっとし、ワフワフ言ってる。夏服の桜音ちゃんは爽やかで、黒髪が夕方の風に揺らされて、サラサラしている。……危うく僕もムーのようになりかける。気をつけよう。自制心、自制心……。
並んで歩き出し、角を曲がって、しばらくたったころだった。ピタッと桜音ちゃんは足を止めた。
「どうしたの?」
僕とムーも足を止め、尋ねる。ムーも不思議そうに顔をあげて僕らを見た。
桜音ちゃんは後ろをゆっくり振り返る。そして首を傾げて、不安そうな顔をした。
「なんだか……最近、視線を感じるんです。なんか気持ち悪くて……あっ!迎えに来てほしくて言ってるわけではなくて!!」
「アハハ!それはわかってる!大丈夫だよ。……視線か。なんか嫌だな。この時間帯、気をつけて電話見ておくから、僕でも誰でもいいから、なにか変だと思ったら連絡して。できればこうやって迎えに行くよ」
「大丈夫です!千陽さん、忙しいのに、大変過ぎて倒れます!無理しないでください。私の勘違いかもしれないので……」
「たまに迎えに行くよ。僕も駅から嬉しそうに来てくれる桜音ちゃんの表情が嬉しいんだ……だたそれだけ……本音は」
桜音ちゃんの顔がカーッと赤くなるのがわかる。素直な反応にまた僕は心を掴まれてしまう。
……に、しても、桜音ちゃんが感じてる視線ってのは気になる……やけにそのことがひっかかった。
栗栖家のグループトークにさり気なく、桜音ちゃんの帰宅時間、通りかかったら気をつけてほしいことを入れておいた。この通りはわりと栗栖家の皆が通る。
環が一番にオッケーと返してきたが……あいつ、寮にいるのに、無理だろと思ってしまったのだった。
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