月より遠い恋をした
カエデネコ
第1話
藤の花が咲く山の方からゆっくりと降りてくるたった2両の電車が見えてきた。さらに右手に朝の少し青みの薄い海の波がゆらりゆらりと穏やかに揺れている。
ガタンゴトンと電車が走る音とカンカンカンと踏切の音が混ざり合って聞こえてきた。だんだん音は大きくなって近づいてくるのがわかる。
この時間は通学と通勤の時間の人達がいるから四十分毎に電車がくる。これを逃せば、次は一時間後だ。
乗らなきゃ……今の電車に乗らなきゃ遅刻しちゃう。学校に行かなくちゃ。
キキーーッと甲高いブレーキ音。シュワーとドアが開く。皆の足が電車のドアに向かっていく。
乗らなきゃ……乗らないと。
駅の前に設置されたベンチに座り込んだまま私は動けなかった。また見送ってしまった。出発してしまった後の駅は静かだった。駅の前を車だけが行き交う。
また行けなかった。学校に……。朝からずっと頭痛のする頭を抱える。膝に学生鞄を載せてうずくまる。
私はやっぱりダメな子だ。涙が滲む。下を向いていると黒い靴と紺色のソックスが涙でユラユラと揺れた。
「えーと……大丈夫?」
足元に茶色のぬいぐるみのような……犬!?ハッハッハッと嬉しそうに私の黒い靴に体をこすりつけている。小さい茶色のふわふわの毛並みの犬だった。
顔をあげると、そこには私と同じくらいの年齢の男の人がいた。女の子のような可愛い顔をしていて、色素の薄い髪と目。海で遊ぶのか、少し日焼けした肌。まだ朝夕は肌寒い気がするけれど、短パンを履いている。
「いつものことなので、しばらく休めば大丈夫です」
「いつも……うん。よく見かける。前もここで座っていたよね?水、飲む?怪しい者じゃないよ!毎朝、ここ散歩していて、体調悪そうだし、気になってたんだ。病院行かなくて大丈夫なの?」
駅の自販機で買ってきたと思われるミネラルウォーターを差し出してきた。怪しい知らない男の人と喋るなんて……と、思ったけど、同年齢で学校へ行っていない雰囲気の彼に少しだけ同類の仲間意識が芽生えてしまった。
なぜ彼は行かないのだろう?なぜこの時間にまったりと犬の散歩をしてるんだろう?
「ありがとうございます。病院は大丈夫です」
水を一口飲むと、少しだけスッキリしてきた。犬がクルックルッと楽しげに回っている。
「可愛い犬ですね。トイプードル?」
「うん。僕の相棒!ムームーって名前なんだ。ムーって呼んでる」
「ムー!?ムーちゃん!?変わった名前ですね」
私は思わずクスッと笑ってしまう。
「鳴き声がムームーって感じでさ、それでムームーにしたんだ」
水をペットボトルから出して、ムーちゃんに水飲み用の容れ物に入れてあげて飲ませている。嬉しそうにペロリとなんどか舐めている。その仕草も可愛い。
「撫でても良いですか?」
「どうぞ!ムー、撫でてくれるって!」
ヨシヨシとフカフカの毛並みを撫でるとムーは嬉しくてクルックルと回る。尻尾をちぎれんばかりに振っている。生きている温かな体温が手に伝わってきて、ホッとする。
「あ……頭痛治ったみたい。次の電車に乗れそう……」
そっか。良かったねと無邪気な笑顔をパッと見せる彼は学校へは行かないのかしら?
「学校へは行かないんですか?」
「誰が?え?……まさか僕!?」
キョトンとする彼に私は頷いた。
「いや、ごめん、僕……26歳なんだ」
「にじゅう………ろくーーっ!?」
顔を赤らめている。わ、私はものすごく失礼なことを言ってしまったのでは!?十歳近く私と離れてる大人の人だったなんて!
「ごめんなさいっ!間違えてしまって、失礼なこと言ってしまいました」
「いやー、よく言われるんだ。童顔で背も低いとか顔も女っぽいとかさ……気にしないで!」
いや、すごく気にします。ごめんなさいをもう一回繰り返す。カンカンカンと警報機の音。
「あ、ほら!行くんだろ?いってらっしゃい!元気になって良かったね」
優しい人は手を振って去っていく。ムーちゃんが早く行こうよ!と先へ先へ急ぎ、待てよーと言っている飼い主の方が引っ張っられているので、彼のほうが、むしろ散歩されてるんじゃないかしら?と可笑しくなった。
私はホームへ向かい、学校へ着くまでの間、少しずつミネラルウォーターを飲んだ。今日は晴れそうで、少し夏を感じる青空が窓から見えた。
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