キ(   )キ

「キツツキだ。」

 ふらりと立ち寄った画廊の片隅で、絵画ばかりが並ぶ中場違いに飾られた写真。緑が眩しい中景を撮ったのだろうけれど、僕の目に留まったのは画面右下の赤い羽毛。小さいがぶれることなく写っている。緑に浮かぶ赤は目立つ。撮影者がこれを意図したか否かはわからないが、僕はなんとなくその写真が気に入ってしまった。

「ああ、それね。置いてくれってしつこくてさ。うちは絵画専門だってのに、百歩譲って写真を置くとしても、もっと幻想的な遠景とかがいいんだがね。」

「じゃあなんで置いたんです?」

「出展料を倍出してった。」

 失礼だがそうまでして自分の作品を置いてほしい画廊だろうか。人の出入りが多いとは言えないし、認知度もそう高くはない。そもそも画廊に足を運ぶ人間なんてほんの一握りだろう。今どきならネット通販なり何なりで売ることもできるだろうに。ただ、ここになければ僕は、この写真とは出会わなかっただろうなと、ぼんやり思った。

「買います。」

「そうそう、売れやしねえよな。」

 お互いの顔を指差しあって数秒固まる。店主のさもしい頭髪を数える。三十二まで数えたところでわからなくなった。

「お兄ちゃんの眼鏡は伊達か?」

「れっきとした度入りですが。」

「……まぁ売れるに越したこたねえわな。現金で頼むよ。」

「釣りは要らないので新作が入ったら連絡ください。」

 財布から数枚の紙幣と、名刺を取り出す。トレイに置いたそれを目にした店主の反応は予想がついた。

「お兄ちゃん……紀田フィルムの?」

「い・ま・は、平社員。」

 強調部分に何かを感じ取ったようで一瞬梱包の手を止める。いやに丁寧に包んでくれた。カウンター越しに大きな袋を受け取る。

「……そうかい、まいど。」

「どうも。」

 社員の鑑、にっこりスマイルを発動したが苦笑だけが返ってきた。


■□■□■□■□■□

 高校を卒業して真莉との連絡が途絶えてから、人物の写真を撮っていなかった。三年間でいやというほど撮ったのに、まだ撮り足りない。彼女を撮り飽きるまでは他のモデルを撮る気になんてなれなかった。卒業式だって、写真部最後の仕事だと持たされた学校のカメラで彼女ばかり撮っていた。怒られるかと思ったら褒められて拍子抜けした。彼女は、私にだけ特別に見えるわけではないのだ。それが少し残念だったり、でもどうして残念なのかもよくわかっていなかった。そんなわけで風景ばかり撮っているのだが、はやく彼女を凌駕するモデルが現れて欲しいものだ。簡単に彼女を超えられてもそれはそれで複雑だが。

 なんてことを考えながら歩く。画廊に置かせてもらっていた写真が売れたというから早速新しいものを持って訪ねるところだった。数歩ごとに荷物を直す。額装したパネルは持ち運びには大層不便だ。四苦八苦しながらガラス戸を開ける。カウンター越しに店主と目が合う。扉くらい開けてくれてもいいと思う。

「はやいね。」

「準備はしてあったので。」

「ちょっと電話かけるから待っててくれ。」

「電話?」

「あんたの写真を買った人に、新作が入ったら知らせてくれって言われたんだよ。」

「私は帰っていいですよね?」

「そしたら代金振り込まなきゃいけないし面倒だろ、俺が。」

「あなたの都合じゃないですか……。」

 電話が繋がったようで、文句を言おうとするのを制される。私が言えたことじゃないが、平日の昼に電話をかけて繋がるというのはかなりの暇人だろうなと思った。昼休みかもしれないけど。

「飛ばしてくるってよ。」

「飛ばすって……具体的に何分です。」

「知らんよ。」

「何分かかるかわからないのに待つんですか、私も?」

「どうせ暇なんだろ。」

「忙しくはないですけど。」

 額を入れた鞄を壁際に立てかけて、客用の椅子に腰かける。すぐ帰るつもりだったから、暇をつぶせそうなものは何も持ってきていない。仕方がないので充電が切れるまで写真の整理をしようとカメラの電源を入れる。

「あの、開かないんですけど。」

 耳慣れない声がして振り向く。その姿を目に留めた瞬間に、反射的にシャッターを切ってしまった。

「自動じゃないよ。」「あ、すみませんつい……。」「あ、開いた。」

 ほぼ同時に三人が喋ってうちふたりはドアの話をしているのに私だけ謝っていた。しかも撮られたことに全く気付いていないみたいだ。

「で、新作はどちらに?」

「そこの鞄の中、それからそこの人が写真家。」

「えっ。」

「はぁ、どうも。」

 黒縁眼鏡の奥で丸くなった目が容赦なく視線を浴びせる。その視線から逃れるように手元のカメラに目を落とす。少し前に眼鏡をやめてから、ひとと目を合わせるのが苦手になった。私にとって眼鏡はファインダーと同じだったんだな、と思う。自分と、世界を隔てる壁。

「君が、キツツキの写真を?」

「そう、ですけど。」

「あの写真、部屋に飾ってるんだ。」

「それは、ありがとう、ございます。」

 お礼くらいは目を見て言わねばと顔を上げる。鳶色の髪が光に透けてきらきらしている。まぶしいなと、それしか出てこない。

「それと、僕の名前もキで始まってキで終わるんだ。よかったら覚えてよ。紀田尚貴。」

「はぁ。」

「君は?」

 名前を訊かれるとは思っていなくて、咄嗟にカウンターへ目を向ける。店主は休憩に出たのかいなかった。名乗るような者ではないんだけど、と心中で前置きしながら息を吸う。何も言わずに吐き出してしまった。もう一度吸う。

「新田、永実です。」

「新田さんね、覚えた。」

「はやいですね。」

「さて僕の名前は?」

「き、きだなおき……さん。」

「覚えてくれて嬉しいよ。」

 ふわりと微笑んだ顔はどこか、彼女と似ていて。ああ、だからまぶしいのだなと思った。私は壁越しの、向こう側の彼女しか見たことがなかったから。すぐにでも四角い枠に切り取って収めてしまいたい。私が、咀嚼して精査して理解できる範囲に。

「あの、いつかあなたの写真、撮ってもいいですか。」

「僕の写真?」

「いえ、はい、えーとその、そうです。」

「プロに撮りたいと思ってもらえるなんて光栄だな。今日でもいいよ?」

「そうですか? ではお言葉に甘えて……。」

 いきなり撮られても平気な格好を普段からしているのかこのひとは、とかやっぱり相当な暇人だなとか、感想がぐるぐるめぐる。

「じゃあ外、でましょうか。」

「近くに雰囲気のいい公園があるよ。新田さんお昼は食べた?」

「いえ、まだです、けど。」

「なら一緒に食べない? ご馳走するよ。」

「いえ、お構いなく。」

「遠慮しなくていいのに。」

「初対面の人に遠慮するなって方が難しくありません?」

「それもそうか。じゃ、また今度振舞わせてよ。」

「はぁ。」

 なかば無理矢理名刺を握らされる。紀田尚貴。変な人だ。勝手に次回を約束されていたこともこの時は気づかなかった。

「そうだ。新作、見せてくれる?」

 頷いて立てかけてあった鞄から額を取り出す。表面のガラスがくっきりと反射して目がやられる。

「これ、自分で吹いたの?」

「いえ、子供が遊んでたんです。」

 球形の遊具と、シャボン玉。どこか懐かしい光景。初めて歩く道だった。

「……好きだよ。」

「えっ? あ、ああ……はい、ありがとうございます。」

「キツツキと同じ大きさだよね? はい、お代。」

「あの、多いですけど……。」

「お昼代の足しにでもして。」

「う、受け取れませんってば。」

「もらってよ。いま細かいのないんだ。」

「……すいません。」

「なんで謝るの。正当な対価を授受することに何ら罪はないでしょ。」

「本当にそう思ってますか。」

「もっと自信持ったらいいのに。僕はつくる側じゃないからわからないけれど、君の写真には価値があると思うよ。」

 まるで隠すのを惜しむかのようにゆっくりと額を包み直す。そうやって丁寧に扱われるのを間近で見ていると照れてしまう。

「……価値を決めるのはいつだって消費者なんです。」

「うん。」

「だから、あなたにそう言ってもらえてうれしい。」

 彼女が同意してくれたのは、彼女もつくる側だからじゃないのかと。色眼鏡なしで作品を見てくれて、感想を述べてくれる人なんて初めてだ。いいひとと知り合いになれたかもしれない。予想外の収入もあったし、と潤った財布を鞄に仕舞いながら思った。


◇◆◇◆◇◆◇◆

「はじめて会ったときさ、正直あなたのこと金ヅルだと思ってたのよね。」

「今は?」

「ごめん、今も金ヅルだと思ってる。」

「ははは。」

 クーラーの効いた部屋で、ふかふかのソファに横たわりながら見るともなしにテレビを見ている。こんな贅沢があろうか。尚貴さまさまである。

「別にいいよ。君が僕のそばを離れない理由になるならなんだって。」

「冗談よ、調子狂うわ……。」

「本当はどう思ってるの?」

「アイスとってきて。抹茶。」

「あ、はぐらかした。」

「うるさいわね、何だっていいでしょ。はやくとってきてよ。」

「えー、気になるなぁ。」

「ほら行った行った。ひと口あげるから。」

 言ってからしまったなぁと思った。立ち上がった彼はめちゃくちゃ笑顔になっていた。

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