記憶が意識を操作する

森本 晃次

第1話 別荘の少女

                 第一章 別荘の少女


 昭和四十年代前半、世の中にはいろいろなものが溢れ、古いものと新しいものが共存する世界ではなかっただろうか? 進歩するものはどんどん新しくなり、古いものは相変わらず。古いよきものだけがそのままならいいのだが、悪しき伝統までそのままだったりするから厄介だ。少年時代の中西恭三は、自分のことを何も分からないまま成長している自分に疑問を持っていた。

 ただ一つ言えることは、

――他人と同じでは嫌だ――

 という思いを持っているくせに、他人のことはおろか、自分のことも何も分かってない自分に、嫌気が差していたということだった。

――皆、理解して生きているのかな?

 と考えたりもした。

 それは、まわりのことも含め、自分のことを分かっているのかということであり、いつも余計なことばかりしか考えていないと思っていることから、

――またしても、余計なことを考えているんだ――

 と、奇妙な堂々巡りを繰り返していることに、思わず苦笑していた。

 ただ、余計なことを考えている自分が嫌いではなかった。余計なことというのは、他の人が考えるようなことではないだけに、

――他人と同じでは嫌だ――

 という思いに沿っているというのは、皮肉なことだった。

 そこまで考えることができるくせに、自分のことが分からないというのは、

――意外と自分のことをいうのが、一番難しいことなのかも知れない――

 と感じていた。

――自分のことが分かってこその他人のことだ――

 という考えも間違っていないと思っている。だからこそ、前に進まないのであって、中西少年にとって、余計なことを考えることと並んで、

――奇妙な堂々巡りを頭の中で繰り返している――

 ということでもあった。

 中西少年がもう一つ自分に懸念を持っていたのは、

――何に興味を持っていいのか?

 ということだった。

 興味を持っていいかという考え方自体が、まるで他人事なのだが、それは何かに興味を持つということがそれまでになかった証拠でもあった。

 幼少の頃から、

「あなたは、何にでも興味を持っていたわね」

 と、母親から言われていたが、当の本人はそんな意識はない。幼少の頃の意識など、ハッキリと覚えているわけでもないため、自分だけに言えることではなく、皆同じことだと思っていた。

――どうして俺は無意識に、人と比較してみたくなるのだろう?

 もし、これが意識的であれば、こんな疑問を浮かべることはなかったに違いない。しかし、これが無意識であることから、自分に疑問を感じるのだ。

 ただ、そのことが自分の中にある、

――他の人と同じでは嫌だ――

 という自分の基本的な性格に行きつくということだと、その時初めて考え方が結びついたのだ。

 中西少年は、まず自分に興味を持つということよりも、自分が何に興味を持つかということが一番大切だということに気が付いた。そして、改めて考えてみると、何に興味を持っているか、自分の中でどこにも発見できなかった。

 勉強もできない。それはできないわけではなく、興味がないくせに、疑問ばかりが頭にあるために、最初の段階から先に進まない。分かってしまえば、簡単に先に進むことができるはずなのに、どうして先に進まないのか、自分でも悔しく思うほどだ。

 たとえば算数、

「一足す一は二」

 こんな当たり前のこと、考えるまでもないはずだ。

 だが、中西少年は考えてしまった。

――どうして、一足す一は二なんだ?

 その答えは、どこからも出てこない。先生に聞いても、困ったような顔をされてから、左右の手の人差し指をそれぞれ立てて、

「ほら、この一足す一が……」

 と、両方の指を合わせてみた。

「ああ、なるほど」

 とでも、中西少年が言うとでも思ったのか、したり顔の先生に向かって、

「じゃあ、それは、一であり二であるというのは、どうやって証明するんですか?」

 考えてみれば、何とも憎らしい少年である。

 自分でもその時中西少年は憎らしいと感じた。しかし、決してしたり顔はしていなかった。真剣そのものの顔をしていたのだろう。もし、その時中西少年がしたり顔をしていたとすれば、先生は苦笑いを浮かべただろう。しかし、先生が中西少年にした表情は、真剣な表情からの恐怖を帯びた表情だった。

 子供の中西少年に、それが本当は怯えの表情であるということは分からなかった。ただ、先生のその時の顔が尋常ではないことだけは分かっていた。

 中西少年が恐怖の表情を初めて感じるまでに、それからあまり時間を感じなかっただろう。それも、先生が中西少年にした表情がなかったら、恐怖の表情を初めて感じることもなく、疑問を感じたまま過ぎていたかも知れない。もし、そうだったとするならば、それ以後の中西少年の人生、いや、この物語自体が成立していなかっただろう。中西少年の感じることの一つ一つが、この物語では重要な意味を果たしているのだろう……。

 中西少年は、忘れっぽいところがあることを、自分でも気にしていた。

 学校で出された宿題を忘れていくこともしょっちゅうで、先生から、

「どうしてやってこないの?」

 と、言われても、

「忘れていました」

 というのがやっとだった。その言葉が先生には、

「宿題をするのを忘れていた」

 ということだと思っていたのだろうが、中西少年としては、

「宿題自体があったことを忘れていた」

 と言いたかった。

 だから、中西少年の目は澄んだ目をしていた。

――この子は、自分が宿題をするのを忘れていたくせに、何という目をするの?

 と思ったことだろう。それなのに、こんな澄んだ目をされては、それ以上責めることは、責めている方が辛くなるような思いである。

――やっぱりこの子は、何かある――

 と、何人の先生がそう思ったことだろう。中西少年は勉強はできなかったが、なぜか先生たちや、大人たちの間で強い印象を持たれることの多い存在だったのだ。

 そんな時だっただろうか。あれは、中西少年がまだ小学三年生の頃のことだった。中西少年は、住んでいた家の近くの防波堤で、いつも海を見ていた。

 中西少年は、本当はあまり海が好きではなかった。潮の匂いを感じると、頭痛がしてくることがあったからだ。それなのに、学校が終わってから家に帰るまで、いつも防波堤から海を見ていたのは、夕日を見たかったからではない。

「潮風を感じない時間があるんだ」


 と、普段は潮の匂いを感じたくないくせに、潮風を感じない時間を味わいたいがためだけに、防波堤にいる。

「それこそ、無駄な時間なんじゃないか?」

 と言われるかも知れない。

「でも、潮を感じる時間があるからこそ、潮の匂いや風を感じない時間を味わいたいと思うんだ」

 と、この時ばかりは、自分の意見をしっかり持っていた。

 要するに、中西少年は、

――自分で納得できるかできないか――

 ということがすべてで、興味があるかないかは二の次であった。

 中西少年は、潮を感じながら海を見ていると、

「この光景だけは、いくら年月が経ったとしても、変わりはしないんだ」

 と、自分に言い聞かせていた。

 実際に、この言葉は中西少年の口癖で、

「お前、いつも防波堤にいるけど、ずっと見ていて楽しいか?」

 と、聞かれた時も、同じことを答えていた。

 質問に対して正確な回答ではないことに、質問した方も、

「なんじゃそりゃ」

 としか言えなかったが、心の中では、

――まあ、確かにそうだわな――

 と、納得させていたのも事実だった。

 そんな相手の心の声が聞こえたのか、その時の中西少年の顔は、普段することのない「したり顔」だった。

 防波堤では、座っていることもあれば、肘をついて横になっている時もある。別に決まっているわけではないが、潮の匂いを感じない時間帯になると、肘をついて横になっていることが多かった。

――横になって見ると、空と海がより立体的に見えるんだよな――

 と思っていた。

 立体的に見えるということは、それだけ空が遠くに感じられるということで、

――海と空の間に、大きな隙間があるんじゃないか?

 と、中西少年は真剣に考えていた。

 中西少年がそんなことを考えるようになったちょうどその頃、中西少年は、誰かの視線を感じるようになっていた。それがどこから来るのか分からなかったが、怖いとは思わなかった。見られていると言っても、それほどきつい視線ではなく、どこか暖かい雰囲気を感じたのは、気のせいだったのだろうか?

 中西少年が、横になって海を見ているちょうどその時、中西少年の頭を向けた先の方から、足音が聞こえてきた。最初は、足音に気付くこともなく、集中していた。それは海からの潮風が来なくなったことを意識しなければならないための集中だった。本当は集中しなくても感じることはできるはずなのだが、集中することが無風状態を、

――自分が味わうため、そこにいる――

 という自分を納得させる理由にするためだった。

 それでも、足音はそんな中西少年の気持ちを知る由もなく近づいてくる。

 中西少年は、足音がする方を振り向いた。足音に気付かなかったはずなのに、気が付いた瞬間、最初から足音に気付いていたような気がしたのだから、おかしなものである。

 そこには、一人の少女が立っていた。

 その女の子は、キョトンとした表情で、

「何してるの?」

 と、言いたげだった。

 口元を見ている限りでは、確かにそう言ったような気がしたが、声を聞いたわけではない。それでも、彼女の声を感じたように思えたのは、彼女の声がまるで蚊の鳴くような弱さであることを知ったからである。

――こんな声をする女の子がいたんだ――

 彼女の声を初めて聞いたのは、

「こんにちは」

 という言葉だった。

 その時は普通の発声だったはずだ。それなのに、最初から、消え入りような小さな声が印象として残ってしまったのは、きっと最初に聞いたか聞いてないか定かではない防波堤で自分を見下ろした時に動かした口元から想像した声があったからだった。

――この子を守ってやりたい――

 と、中西少年は思った。

 しかし、最初に見た時の印象から、

――何から彼女を守ろうというのだろう?

 と思った。

 本当であれば、「何から」などという言葉は生まれてこないはずだ。初めて会った相手に感じることではないことくらい、分かりそうなもののはずなのに、どうしてそう思ったのか、

――まるで親心のようじゃないか――

 という、不思議な気持ちになった。

 ただ、この気持ち、間違いではなかったことを将来に知ることになるのだが、この時の中西少年には、

――彼女の神秘性が感じられることだ――

 という意識にさせるに十分であった。

「お嬢様、大丈夫でございますか?」

 下から、一人の男性の声が聞こえた。年配の男性であることは察しがついたが、お嬢様と呼ばれた彼女は、それが自分のことであるという意識がないかと思うほど、年配の男性の声に一切の動揺はなかった。

 女の子を見上げた中西少年は、彼女の表情が笑っているように見えるが、そのわりに不自然であることに気が付いた。横になっているから不自然に見えるということは、すぐに分かったので、肘を伸ばして、一度本当に横になり、それから、再度起き上がってみた。かなり時間が掛かったような気がしたが、実際にはあっという間のことだったようだ。

 見下ろされているのに、劣等感を感じなかった。今までの中西少年は、勉強ができないことから劣等感の塊だった。

――自分が納得できないことだから、勉強ができない――

 という理屈を分かった上で、

――他の人と同じでは嫌だ――

 という、繋がるだけの理屈を持っていながら、意識だけは、まわりから見下ろされていることに対して劣等感を持っていたのだ。

 劣等感というのは、厄介なもので、一度感じてしまうと、それを払拭することはなかなか難しい。無意識のうちに徐々に劣等感は膨らんでくる。そのことを自覚できないことが払拭できない一番の理由になっていた。

 だが、優越感も同じであることに徐々に気が付いていった。そのことが中西少年がまわりに敵を作る原因になってくるのだが、分かってきた時には、すでに遅かったりもした。

 だが、その思いがあったせいで、子供の頃の記憶が、ある時を境に、まるでそこに段差があるかのように遠い記憶になってしまったことを感じたのも事実だった。

 それはまるで、海を見ていた時に感じた、

――海と空の間に、大きな隙間があるんじゃないか?

 という思いであった。

 それを感じた時、中西少年は、

――記憶は立体感のあるものだ――

 ということが分かった時であった。

 しかも、記憶に立体感があるというのは、平面の記憶が折り重なって一つの立体になっていることを示すものに他ならなかった。

 だが、この時、さらなる疑問が浮かび上がった。

――平面は高さがないもの。いくら積み重ねても立体にはならないんじゃないか?

 と思っていたことだった。

 そのことを人に話すと、

「一枚の紙であっても重ね合わせていくと本になるだろう?」

 という答えが返ってくる。確かにその人の言う通りであった。しかし、中西少年が違和感を感じているのは、

――紙は本当に平面なのか?

 という思いであった。まるで「一足す一は二」の発想である。

 平面というものの定義を、

――厚みのないものだ――

 として考えている中西少年は、最初から次元という発想を感じているのかも知れない。

 中西少年は、女の子から声を掛けられた時、感じなかった劣等感がそのまま彼女への優越感に繋がった。

――劣等感がなければ、優越感が存在すると言うわけではないはずなのに――

 と感じたが、彼女との関係は最初から、同等のものではなかったような気がした。

 だが、自分が声を掛けてきた時、暖かいものを感じたことで、自分に感じた優越感は、

――この人を守ってあげたい――

 という思いが強かったことから生まれたことのように思えた。

 気が付けば、彼女の屋敷に招かれていた気がしたのだが、彼女からお誘いの言葉を受けたという意識はなかった。まるで、

――懐かしい場所に帰ってきた――

 という感覚を味わったのだが、中西少年は、自分がそこまで厚かましい人間だとは思っていなかった。

 もちろん誘いを受けて、断る理由もなければ、そのままついていくだろう。特にこの時代の大人の考え方から、

「そんな厚かましいことはしないでよ」

 と、かなりの高い確率で言われることは分かっていた。

 中西少年は、そんな大人の考え方は嫌いだった。

「誘われて断ったら、失礼に当たる」

 と思っていたのだ。

 もちろん、誘う方が本心から誘っているとは限らないだろう。だが、その時の中西少年には、どうしても、自分に都合よくしか考えられないところがあった。それが子供心というものなのかも知れないが、

――いつも素直でありたいな――

 という思いがあったのも事実である。その頃の中西少年には、素直という言葉ほど信憑性の高い言葉はなかった。それだけ自分を納得させられることをたくさん感じたいという思いを抱いていたのだろう。

 中西少年を見下ろしていた少女の名前は、中原みのりと言った。みのりは、近くのお屋敷に住んでいて、時々散歩に出かけていたということだが、その時たまたま見かけた中西少年が気になっていて、三回目に見かけたその日、声を掛けてみようと思ったようだ。

「お嬢様は、好奇心が旺盛なのですが、なかなか人に声を掛けることはいたしません。よほどあなた様が気になったのでしょうな」

 と、いつも彼女に付き添っている、自称「世話役」という、木村さんだった。

 下の名前を何というのかは知らない。みのりが木村さんとしか呼ばないので、中西少年も男性のことを木村さんと呼んでいた。名前も一般的に多い名前なので、木村さんと呼ぶ方が、却って違和感がないのかも知れない。

 中西少年は、みのりよりも、むしろ木村さんの方が話しやすかった。それは中西少年がみのりのことを女性として意識しているからなのかも知れない。ただ、まだ小学生の低学年。女性を意識するには早すぎる。

「小学三年生なんだね。私は五年生になるの」

 みのりを見ていると、お姉さんというイメージしか湧いてこなかったので、五年生と言われて違和感はなかった。むしろ、年上であってくれた方がありがたい。小学三年生の男の子が、同い年の女の子と何を話していいのか、想像もつかないからだ。年上であってくれた方が、話をしていても、相手がしてくれる話に頷いているだけでいい。それは実にありがたいことだった。

 みのりが屋敷に招いてくれると言われた時、最初はどうしようか、迷った中西少年だった。

「知らない人について行ってはいけません」

 という大人の忠告を間に受けていたのも事実である。実際にちょうどその頃、学校からも、言われていたことで、実際に先生が見回りをしていた。子供たちには、大人からの話は伏せられていて、情報として流れてきたわけではなかった。

 子供心に、テレビでニュースが中継されるごとに、

――せっかく楽しみにしていた番組が潰されるのは面白くない――

 と思っていた。

 考えてみれば、同じ小学生の女の子だとは言っても、身分が違っていると思えるほど、住む世界の違いを感じさせる女の子であった。

――他の同級生連中だったら、絶対について行かないよな――

 と感じた。

 これも、他の人と同じでは嫌だと思っている自分らしい。

「木村さんって、普段は無口なのよ」

 と、みのりは言っていたが、

「みのりお嬢様は控えめな方で、私以外の方とは、お話をなさいません」

 と、木村さんは木村さんで、みのりのことをそう表現していた。お互いに気を遣っているように見えるところが中西少年には見え、そこが面白い二人に興味を持った。

 見ていると主従関係が絶対に感じられるが、木村さんを慕っているみのりを見ると、中西少年の方でもついつい「木村さん」と呼んでしまうのだった。

 ただ、中西少年が自分から木村さんに直接話しかけることはなかった。どうしても、意識として、

――みのりの家の召使い――

 というイメージで見てしまって、自分と直接話をしてはいけないのだという気持ちにさせられる。

 しかも、木村さんに対しては、どう表現しようとも、意識としてはどうしても、

――召使い――

 ということになってしまう。それでは、せっかく木村さんと距離を置こうとしているのが台無しになってしまいそうだ。

 木村さんは、いつ、どんな時でもみのり中心であろう。みのりのことを第一に考え、それゆえ、みのりが中西少年に興味を持ったら、木村さんも、同じように興味を持つ気持ちになっていたに違いない。

 中西少年は、木村さんが小学生時代、どんな小学生だったのだろうか? と感じた。自分と同じくらいの時、どんなことを考え、どんな風に自分を納得させてきたのか、興味があった。

 ただ、直接話をしないと自分で最初に思った手前、想像でしかないことを、少し後悔していた。それでも、みのりのことを見ている上で、避けて通ることのできない木村さんとの気持ちの交流は、中西少年には大切なことであることに間違いはない。

 木村さんを見ていて、木村さんが子供の頃を思い出そうとするのと同時に、自分が大人になった時、

――木村さんのような人がそばにいたら、どうだろう?

 ということを想像している自分がいるのに気が付いた。

 ただ、木村さんを見ていると、どこか腹が立ってくるところがあった。小学三年生の時には、それがなぜか分からなかったが、小学五年生くらいになってくると、それがなぜだか分かってきた。その年齢が奇しくも、初めてみのりと出会った時の彼女の年齢と同じであったのは、実に皮肉なことだった。

――ということは、彼女にもウスウス何か気付くものがあったのかも知れない――

 と感じた。

 中西少年が気付いた腹が立つことというのは、

――どうしてここまでペコペコできるのか?

 ということだった。

 もちろん、仕事なのだから、仕方がないということも、小学年生になってくると分かってきた。小学三年生では、

――仕方がない――

 ということすら分からないのだから、ぺこぺこするのが従順だということ。そして、従順なことに腹を立てるという感覚がまだ分かっていなかった。

――三年生から五年生になるまでの間に分かっているというのは、その間に段階的にいろいろなことが分かってきたのか、それとも、どこか幼児期と、少年期の間に、どこか切り替わる一瞬があるのかのどちらかなのだろう?

 と、大人になるまでに考えてみたが、結局分からなかった。大人になってからでも、それは同じで、次第に、そんなことがどうでもいいのだという気持ちに変わって行くのだった。

 しかし、小学五年生になってから、木村さんに腹を立てるようになったということは、自分がそれだけ一匹狼であり、人のためになどということを考えるような人間ではないということに気が付いた証拠だった。

 ただ、小学三年生の時にみのりと出会った時、自分の人生が変わったように思っていたが、その変わったように思ううちの幾分かは、木村さんとの出会いも含まれているような気がする。

――みのりと木村さんとの関係から、木村さん一人であって当然だが、みのり一人だけと出会っていたとしても、自分にここまでの影響を与えることなどなかったことだろう――

 と、感じるようになっていた。

 中西少年が、みのりのことにもっと興味を持った原因の一つに、木村さんの存在があったのは捨てがたいことだった。

 しかも、木村さんを見ていると、

――将来において、どこかで出会うような気がして仕方がない――

 という思いが、自然と自分と重ねて見ていることに気付くと、みのりに対しては、

――自分が大人になってから、みのりのことを見守っていくような気がしてくるから不思議だ――

 と感じるようになっていた。

 みのりという女性が、このまま年を取らずに、ずっとそばにいてほしいと感じていたくせに、想像するのは、自分だけが年を取ってしまっていることだ。相手に年を取らないでいてほしいと想像するのであったら、自分も同じようにずっと年を取らないでいる設定になるはずなのに、一体どうしてだったのかと、最初は分からなかった。

 みのりの住んでいる屋敷は別荘だということだが、どう見ても豪華な屋敷で、住んでいる人はみのりと木村さん、そして身の回りをしている一人の乳母のような人がいるだけだった。あまりにも広いお屋敷なので、通いで乳母の補佐をしてくれる人を雇っているという話を聞いたことがあったが、中西少年は出会ったことはなかった。どうやら、客の前に出ないというのは、暗黙の了解になっていたかのようだった。

 だから、中西少年はこのだだっ広い屋敷に、みのりと木村さんの二人だけが住んでいるかのように思っていたのだが、本当はそうではなかったのだ。

 それだけ屋敷の中は広かった。使っていない部屋もたくさんあるようで、しかも、

「今日も夕ご飯一緒に食べて行ってね」

 と言われて、一緒に食べる食卓では、数十人は座れるであろうと思われるテーブルに、たった二人での食事になる。

 もちろん、そこには、木村さんと乳母の人がフォローするかのように立っていて、食事を運んでくる人がいるのだが、中西少年には、食事を運んでくる人の存在が、まったく感じられないほど、自分の住む世界とは違う世界であるということを、無意識に、いやより意識的に感じ取っていたのかも知れない。

「どうして、こんな広い部屋に、一人だけ」

 と聞いてみたい思いをグッと堪えていることが、木村さんと乳母の人以外をまったくの黒子のように感じさせないと、自分がその場に存在していることを納得させることができないからに違いない。

 その食堂に飾っている絵の一枚は、いつも中西少年が見ていた防波堤から見える海の景色に似ていた。

――海と空の分かれ目まで分かるような気がする――

 と思って見ていると、その絵から目が離せなくなってしまう。

 しばし、まわりに気付かずに絵に集中している時もあっただろうが、木村さんはおろか、みのりもそんな中西少年を見て何も言わないのは、不思議な気がした。

――退屈しないのだろうか?

 そう思っていると、みのりという女の子には、自分たちが感じている「退屈」などという言葉の概念が、そもそも存在しないのではないかと思えてくるから不思議だった。

「みのりさんは、いつも一人でいるような気がするけど、寂しくないのかい?」

「寂しくないわよ。木村さんもいるし、私は本を読むのが好きなので、寂しいなんて思わない」

「でも、僕の感覚だと、こんな広い屋敷に、たった数人しかいないなんていうのは、余計に寂しさを感じるような気がするんだけど、どうなんだい?」

「私は、寂しいと思わないのと同じで、退屈だとも思っていないの。きっと、今を満足しているからなのかも知れないわね」

 と言っていた。

――何を満足しているというのだ?

 子供心にも、大きな屋敷に住んで、苦労を知らないから、そんなことが言えるのだと思っていたが、実はそうではなかった。

――みのりの言っていることが本当のことであってくれたのだとすれば、それが一番の救いだったに違いない――

 と、みのりに対して感じた。

 みのりという女の子には、

――真っ白い透明さ――

 というのが、イメージされている。

 真っ白いのに、透明だというのはおかしな気がするが、みのりに限っては不思議ではない。みのりと一緒にいれば、少々疑問に思えそうなことでも、疑問ではなくなる。つまり、――素直に気持ちを受け入れられるのがみのりだ――

 と、感じることのできる人に、小学三年生で出会っていたというのが、その後の中西少年が自分の人生を顧みる時の指標になっていた。

 勉強に興味を持ち始めたのは、その時に見た絵が影響していたのかも知れないと、中西少年は思っている。絵を描くようになったのは中学生になってからのことだったが、何かに興味を持ったのは、確かにその絵を見た時が最初だったということを、中学に入って、絵を描くようになってから、思い出すのがその時の絵を見て、絵自体を思い出すというよりも、衝撃を受けたということを思い出すからだったのだ。

 みのりの屋敷に初めて招かれてから、最初の三日間ほどは、木村さんとみのりが、最初に出会った防波堤のところに同じくらいの時間にいれば、迎えに来てくれていた。

「本当に、毎日すみませんね」

 と木村さんに言われたが、こっちは時間を潰すというよりも有意義が時間を過ごすことができているようで、しかも、おいしい食事を楽しむことができる。まさしく願ったり叶ったりではないか。

 別に約束をしているわけではなかったので、四日目以降からは、防波堤で待っているなどというまどろっこしいことを止めて、直接屋敷に赴くようになった。

 それも毎日のように立ち寄っていて、学校が終わってから直接行くことが多くなった。その方が学校が終わるのを楽しみにしていればいいので、学校にいることが億劫ではなくなっていた。

――みのりが大きな屋敷で、寂しいのではないか?

 という発想になったのは、自分が学校にいる間、感じている孤独と虚しさをみのりの立場に置き換えて考えてみた時、感じた思いが、

――寂しさ――

 だったからだ。学校にいて、孤独と虚しさを感じていると、この上ない退屈な時間が襲ってくるのを感じていた。だからみのりに対しても、

――「寂しさ」があるのではないか――

 と、感じたのではないだろうか。

 みのりと木村さんを見ていると、最初は、

――完全なる主従関係以外の何物でもない――

 と思っていたが、ただ、その時一緒に感じたのは、

――ここまで徹底した主従関係って、本当にあっていいものなのだろうか?

 世間一般常識や、過去の歴史を知るはずもない、まだ少年の中西だったが、子供心に違和感があったのだろう。

 そんなことを考えていると、自分の家庭環境を思い出していた。

 自分の家庭では、昭和四十年代にありがちだったように、父親の厳格さが家庭を支えていた。しかも、世間体を極端に気にして、自分が人の家にいくら招かれたとはいえ、上がりこんでいるなど話したりすると、

「人様の家に上がりこんで、何してるんだ」

 と、言われてしまう。

 母親にしても、

「お父さんの言うことを聞かないと知らないわよ」

 というのが口癖で、母親の意見というよりも、父親に逆らっていることが罪悪であることを前面に打ち出している。完全な責任逃れにしか見えないだろう。

 子供にそんなことは分からないが、何とも気分が悪いものだ。父親も母親も子供の頃から嫌いだった。

 自分が大人になったら、

「お父さんやお母さんのような親にだけはなりたくない」

 と、口にしていた。それは子供の頃だけではなく大人になっても同じことで、そんな中西少年を、両親はさぞ訝しいと思っていたことだろう。

 大人になってから自分が子供の頃に感じていたことが、

――結構間違いだった――

 と感じることも多かったが、親に対しての思いだけは、変わらなかった。やはり、自分は両親のような親にはなりたくなかったのである。

 ただ、それでも、親とから主従関係を求められていたという意識はなかった。意識がなかったからこそ、命令されているようで腹が立ったのだろうが、

――こんな考えを持っている人は、きっと他にはいないだろう――

 という思いで、大人になった時、自分が子供を持った時にどう感じるのか、その時に想像もつかなかった。

 自分に照らし合わせて見ているせいもあるのか、いかにも主従関係に見えている木村さんとみのりは、実は主従関係などではなく、厚い絆のようなもので結ばれていることを、次第に感じるようになっていた。

 木村さんは、優しそうに見えて、どこか強さを感じた。それが、木村さんの中から感じられた寂しさであることを、その時まだ子供だった中西少年に分かるわけもない。

「いつもこんなにおいしいものが食べられて羨ましい」

 と言った中西少年に対し、寂しそうな表情になったみのりの表情が忘れられない。それを見た木村さんがすかさず、

「それでしたら、これから毎日でもお誘いいたしますよ」

 と、ニコニコしながら話した。

「そうよ。そうすればいいんだわ」

 と、その言葉を待っていたかのように、みのりが歓喜の声を挙げた。

 もちろんその言葉を待っていたのは中西少年も同じだったが、

「そんな、厚かましいことできません」

 という言葉が口から出そうになったのを、躊躇した瞬間だったその時、みのりの表情がその時の自分とは正反対だったことに気が付いた。

 もちろん、躊躇してしまったのは、家庭環境のせいだろう。自分の本当の気持ちを隠してまで、遠慮しなければいけない自分が情けなくなり、同時に遠慮の欠片もないみのりが羨ましかった。みのりに対しての気持ちとしては、おいしいものを食べられることよりも、遠慮なく自分の気持ちを表現できるみのりが羨ましく、そして眩しく見えたのだ。

 嬉しい気持ちになっている中西少年に、

「本当に毎日すみません」

 と平気な顔で言える木村さんもすごいと思った。普通ならそんな風に思うことはないのだろうが、中西少年は自分の環境が、世間体を気にする父親にいいように作られていってしまうと思っていたので、余計にちょっとした気遣いを嬉しく感じる。

 どんなに遊んでも余りある広さの屋敷の中で、みのりと過ごすスペースは限られていた。

 みのりの部屋か、食事をする時に入る大広間か、他の部屋がどうなっているかなど気にもならない。ただ、無限の広さがあるように思われて仕方がなかった。

「中西君は、私が最初に見た時にいたあの防波堤には、いつも行っているの?」

「うん、本当はそんなに海が好きだっていうわけじゃないんだけど、あの場所だけは好きなんだ。逆にいうと、他に好きな場所がないだけということだよね」

「私は、ここからほとんど出たことがないので、他の世界のこと教えてくれると嬉しいわ」

 と、みのりが言った言葉を聞いて、驚いたような表情になった自分を感じたが、本当はそれほど驚いているわけではなかった。みのりがこの屋敷からほとんど出たことがないのは分かっていたからだ。

 それは、みのりがこの屋敷の外にいる姿を想像することができなかったからだ。いつも白いワンピース姿のみのりは、この屋敷の中だからこそ映えている。もし表でいつもこの姿だったら、目立ちすぎて、まわりから浮いてしまうのは目に見えていた。

 そしてもう一つ言えることは、

――みのりのそばには、いつも木村さんがついている――

 ということだった。

 みのりは一人でいても、それはそれで美しい。しかし、美しさ以外を考えた時、みのりの存在は、木村さんを無視して存在できないような気がするからだ。

 木村さんはみのりの前ではあくまでも黒子のような存在であり、みのりの引き立て役に徹しようとしているようだが、中西少年には、

――木村さんこそ、みのりが木村さんの保護を求めているわけではなく、木村さん自身を求めていることに気付くべきだ――

 と思うようになっていた。

 そして、同時に、

――みのりさんがここまで輝けるのは、木村さんがいるからだ。僕にも木村さんのような存在の人がいてくれればいいのにな――

 と感じた。

 だが、その心の中に、

――自分が木村さんのような存在になれればいい――

 という思いは、その時にはなかった。

 それは、とても消極的な考え方であり、子供の頃からそんな消極的な考えでは、成長していく中で存在しているはずの無限の可能性を、自らが摘み取ってしまうということを意味しているのだ。

 みのりの家の庭も、結構広い。最初は気付かなかったが、裏庭の奥には海が一望できる展望台のようなものがあり、そのまわりの少し丘になったところには、芝生が綺麗に整備されて広がっていた。

 みのりがそこに初めて案内してくれたのは、初めてみのりの家に行くようになって、一週間が経った時だった。

「これはすごい」

 入場料を取ってもいいくらいだと思えるほどの景色に、中西少年は魅了されていた。

「ここは、木村さんが一番気に入っている場所なんです。最初からご案内できればよかったのですが、木村さんから、一週間待ってくださいと言われていたので、私は木村さんの言いつけに従いました。木村さんは普段は本当に従順なのですが、たまに強硬に自分の意見を押し通そうとすることがあるんですよ。面白いでしょう?」

 と言って、みのりは微笑んだ。

 その表情を見た時、

――彼女は本当に木村さんを慕っているんだな――

 と感じた。

 その時、漠然と見ていた木村さんが、なぜか気になると思っていたわけが分かってきた気がした。

――そうだ、この僕も木村さんに憧れていたのかも知れない。言い方は悪いが、見た目、年端もいかないこんな小娘に、ぺこぺこしているのを見ると、どこにプライドがあるんだろうって思ってしまう。それなのに、どうして気になるのかと言われると、すべての面でみのりに慕われているからなのだろう――

 と思ったからだ。

 人から慕われるということが、羨ましく感じるのは、自分の父親には、

――他人から慕われる――

 などという要素が、どこから見ても考えられないからだ。

 最初、木村さんを男として見ると、

――何とも、情けない人だ――

 と思えた。

 自分が子供だったというのが一番大きな理由だが、自分の父親と無意識に比較してしまっている自分を顧みると、

――木村さんよりも、僕の方が情けない気がする――

 と思わせたのが、みのりにどれだけ慕われているかということが分かったからだ。

――お父さんが、他人から慕われるなどありえることではない――

 子供としての偏見が入っているせいもあるが、おおむね自分の考え方に間違いはないだろう。

 中西少年にとって、最初はみのりといることにドキドキする毎日だったが、次第に木村さんにも惹かれていく自分を感じた。木村さんもそのことが分かるのか、みのりに対しての接し方とは違うが、暖かさを持って中西少年に接してくれる。それがありがたかったが、さらに中西少年を喜ばせたのは、みのりに、

「彼を、裏庭の海が見える展望に案内してごらんなさい」

 と進言してくれたことだった。

 みのりも素直な子供なので、中西少年が喜んでいるのを自分の「手柄」にしたわけではない。このことを教えてくれたのが他ならぬ木村さんであると話してくれた。中西少年は、そんなみのりにも愛着を感じていた。

「こんな開放的な家庭、まるで夢のようだ」

 と、木村さんに話すと、

「そうですか? でも、中西様もステキなご家庭を築けそうに思いますよ。まだお子さんなので、もちろんピンとは来ないと思いますが」

――こんな人がお父さんだったらな――

 自分の父親よりも、木村さんによほど紳士的なイメージを感じた。

――木村さんがいなかったら、みのりの屋敷に行こうとは思わなかったかも知れないな――

 と思うほど、木村さんに対しての思いは強かった。

 それが、尊敬の念であるということを知ったのは、もう少し大人になってからだったが、その前に、みのりに対しての気持ちが自分の初恋だったということを思い知らされることになった。

「初恋というものは、淡く辛い思い出が多い」

 と言われるが、みのりの屋敷に毎日のように赴いている時に、みのりとの別れが訪れるなど、考えてもみなかった。

――僕の方から離れない限り、別れが訪れるなんてありえないよな――

 と思っていた。

 それだけ、みのりが自分を信頼してくれていると思っていた。

 信頼してくれていたのかどうか、今となっては分からないが、

――そう思っていなければ、やりきれない――

 と、思った。

 みのりの屋敷に毎日のように出かけてから半年ほどが経った時、屋敷にはもう誰も住んでいなかった。

 別れが突然に訪れたのだ。

 中西少年が屋敷に行くと、そこにはまだ誰かが住んでいた「暖かさ」があったのだが、なぜか、前の日までいたはずの人間の気配が感じられない。

 二日、三日と経つうちに、木村さんもみのりも、その顔の記憶すら、どんどん薄れていってしまっている自分に気が付き、驚愕してしまった。

――そんなバカな――

 まるで、覚えていることが罪であるかのように、記憶の欠落は静かに進行している。静かすぎて通りすぎた記憶は、やりきれない気持ちと同時に、自分がこれから何をすればいいのか、途方に暮れさせる効果は十分だった。

 中西少年は、半年間の記憶を必死に思い出そうとしていた。しかし、思い出そうとすればするほど忘れていってしまいそうで、思い出すことが恐ろしくなった。

――思い出さなければいけないのに、思い出そうとすると、確実に忘れていってしまう――

 子供の頭で必死に考えていたが、堂々巡りを繰り返すことだけがハッキリと分かっていて、それ以上考える気力が失せていた。

 最初の方は、木村さんへの意識が結構強かったのだが、それが二週間ほどで、興味はみのりに移っていた。小学三年生というと、異性に興味を持つことのない年齢だが、明らかにその時の意識は相手を、

――女の子――

 という意識で見ている目であった。

 さすがに女性として見ることはできないと思っていたが、初めて彼女の屋敷を訪れて一か月も経つと、みのりに対して、今までに感じたことのない思いがこみ上げてくるのを感じた。

 それが恋愛感情ではないことは分かっていたが、そばにいるだけでドキドキする感情は、恋愛感情に違いない。異性への興味が湧いてくる前であったが、ドキドキする感情が恋愛感情であるということは、マンガを見ていて知っていた。

 その頃のマンガといえば、恋愛マンガは少なかったが、みのりが読んでいた少女漫画を見るようになると、分かってくるようになってきた。

 相手がみのりでなければ、少女漫画など読むことはなかっただろう。

「中西君、これなんかいいわよ」

 と言って、これ以上ないというほどの笑顔を見せられると、断ることはできない。

「この間のマンガ、どうだった?」

 と、みのりが聞いてくることはなかったが、断れずに読むことを約束したのだから、中西少年は、真面目に読んでみようと思った。

 最初から、嫌な気がしたわけではないが、読んでいくうちに、

――なかなか面白い――

 と思うようになった。

 さすがにみのりの前では、自分が少女漫画に興味を持ったなどということを悟られるのが恥かしく感じられた。なるべく素知らぬ顔をしているので、みのりもマンガについて触れてこないと思っていたが、中西少年が少女漫画に興味を持ったことを分かっていたのかも知れない。

 時々、

――してやったり――

 という表情をするみのりの中に、

――私は、あなたのことは分かっているつもりよ――

 と言いたげではないかということに、じれったさのような、それでいて、くすぐったいような思いを感じた。

 中西少年は、みのりの記憶が消えていく中でも、その感覚を忘れることはなかった。

――これが初恋というものなのだろうか?

 と、感じたのは、自分が小学五年生になった頃で、知り合った時のみのりの年齢になった時だったというのは、偶然だろうか?

 その頃になると、やっと異性に対しての感情が湧いてくるのを感じていた。みのりに対して感じた、

――じれったさ、くすぐったさ――

 この二つが、異性に対しての初めての感情だったことは間違いなかった。

 中西少年にとって、この半年間は何だったのだろう?

 最初の一か月でみのりに対して初恋に似た感情を得た。その後の五か月間を、思い出すことは難しかった。

――最初の一か月の方が、その後の五か月よりも、ずっと最近だったような気がする――

 そんな思いが、中西少年にはあった。しかし、だからと言って、五か月が惰性のようなものだったとは思っていない。絶えず何かを考え、何かを求めていた。しかし、それが何だったのか、覚えていないのだ。

 覚えていない理由に、最後の一か月が影響しているように思えた。最後の一か月は確かにそれまでとは違っていた。何かを求めながら、求めていたものを諦めなければいけないような感覚に陥っていたからである。

 何を諦めなければいけなかったのか、最初から分かっていたような気がする。

――分かっていたはずなのに――

 それにしても、この思いは一体何なのだろう? それまでにも、ほしいものがあって、手に入れられなかったものはたくさんあったはずだ。

――いや、手に入れられないものの方が、もっと多かったはずだ――

 それがどんなものなのか、その時の中西少年には分からなかった。

 ただ、黙って目の前から消えてしまうというのは、どういうことなのだろう?

 何の前触れもなく、前の日まで、いつもと同じように笑って過ごしていたはずの彼女が、どうして目の前から消えてしまったのか、不思議で仕方がなかった。

 確かに、あまり表情を変えることのない彼女だったが、その中に寂しさを一切感じなかったのは、

――相手に同じ思いを感じさせたくない――

 という思いが働いているからなのか、それとも彼女自身が、

――相手の悲しむ姿を見たくない――

 という思いからなのか、どちらにしても、最初に感じた、

――じれったさとくすぐったさ――

 そのうちのじれったさを、今さらながらに感じることになるなど、想像もしていなかった。

 ただ、このじれったさが、異性に対して感じた最初だったということを思い出すのは、実に皮肉なことであった。じれったさというのが、

――自分の想いが伝わらない――

 ということだけではなく、本当は伝わっているのに、伝わりすぎているくらいであることが分かっている時、じれったさを感じるのかも知れない。伝わったかどうかという思いは、意識しては感じることができない。あくまでも無意識に感じたことを、後から意識として追いかける方が、本当に相手に伝わることになるのではないかと思うのだった。

 そんな時に思い出したのが、自分の家族のことだった。いつも体裁ばかりを考えて、人のことを考えようとはしていないと思っていた。それもじれったさを感じさせるものだった。

 同じじれったさでも、相手のことを考えてのことなのか、体裁ばかりを繕って、相手にじれったさを味あわせるのかで、まったく違った印象を与えてしまう。

 しかし、結果は同じことになるというのは、どういうことなのだろう? 結果が同じであれば、相手に対しての思いに、どう差別化させればいいというのだろう?

 ただ、お互いに気持ちが伝わったか、それとも伝わっていないかということが重要なことであり、そう思うと、目の前から消えたとはいえ、みのりと木村さんを、どうしても憎む気にはなれなかった。

「どこかで元気でいてくれさえすれば、それでいい」

 と思ってしばらくは相変わらず、平凡な日々を過ごしていた。

 中学に入ってからも、成長期でありながら、毎日が平凡にすぎていった。まわりの連中に乗り遅れたという自覚は十分にあったが、別に乗り遅れたことで、自分に劣等感を感じるようなことはなかった。

 小学生の頃を、毎日あまりいろいろ考えずに過ごしてきたが、中学に入ると、

――何もなくても、何もないなりに、これから起こる何かに対し、期待している自分がいる――

 と、感じていた。

 平凡にすぎていくことに対し、焦りはなかったが、自分の期待していることがどんなことなのか、ハッキリと見えてこないことが不思議だった。

 中学二年生になった頃だっただろうか。その頃まで使っていたカバンが急に壊れたことがあった。

 最初は誰かの悪戯ではないかと思ったが、それにしては、悪質ではないか。ショルダーバッグのプラスチックの部分が、真っ二つに折れていた。確かに重たいものを持つことが多かったのだが、こんな折れ方をするなど、考えられなかったのだ。

 翌朝目を覚ますと、何か胸騒ぎのようなものがあった。

 まっすぐに前を向いて歩いているのに、近づいてくるはずの目的の場所が、歩けば歩くほど遠くなっているような気がして、目を覚ましたのだということを意識していた。

――夢を見たのかな?

 夢は目が覚めるにしたがって忘れていくものだというが、まさしくその通りだった。

 夢に出てきたのが、どこだったのか、意識がうっすらとしていた時は覚えていたはずだった。それなのに、

――あれは夢だったんだ――

 と、起きてしまったからこそ感じる「夢」だということを意識した瞬間、それがどこなのか、永遠に分からなくなってしまった。

 夢の中だとはいえ、初め見る光景ではなかったように思う。実際に夢ではない現実で見た光景だったのか、それとも、夢の中で見た光景をさらに夢で思い出したということで、

それはまるで、

――夢の続きを見ているようだった――

 と思わせるほどのものだった。

 しかし、

――夢の続きなど見ることはできないのだ――

 と思っている中西には、少年時代から今に至るまでの自分の意識の中を引っ張り出さなければ思い出すことはできないものだと思った。

 普段であれば、すぐに諦めたに違いない。しかし、昨日のカバンが壊れたということを思い出したことで、

――このまま思い出さないのは、気持ち悪い気がする――

 と、感じた。

 すると、いつのことだったか、虫の知らせを感じたような気がした。

――そうだ、あの時だ――

 あれは、みのりと木村さんが自分の目の前からいなくなる前のことだった。前の日だったのかも知れないが、今ではハッキリとはしない。二人がいなくなるような予感があったということを、後になって思い出した。それは、その時、

――前に見た夢の景色を、以前どこかで見たような気がする――

 という思いにさせられたからだった。

 中学の時に、カバンが壊れたのを「虫の知らせ」だと感じた時、思い出したのが、みのりと木村さんが住んでいた屋敷の奥にあった古井戸から、一人の男性が殺されているのが発見されるという夢だった。

 どうしてそんな夢を見たのかというと、その前の日に、誰もいなくなった屋敷を探検すると言って、数人の冒険心豊かな連中が古井戸を中心にいろいろ探検していた。中西は行かなかったが、その時に、一人の友達が行方不明になっていた。家に帰っているのかと思い、家まで行ってみたが、まだ帰ってきていないということで、その夜は、皆で探したが見つからず、翌日の夜になって、捜索願を出そうかと言っていた時、まるでそのタイミングを狙ったかのように、行方をくらましていた少年がフラッと帰ってきた。

「どこに行っていたの?」

 と聞かれても、

「ものすごく疲れた」

 というだけで、そのまま爆睡してしまった。その状態で話を聞くわけにもいかず、結局その日は何も聞けないまま一夜が明けたが、次の日に、当然のごとく親からいろいろ聞かれたが、本人曰く、

「何も覚えていない」

 というだけだった。

 医者に見せたが、

「これは一時的な記憶喪失ですな」

 ということで、それ以上、聞きただすことはできなかった。本人が自然に思い出すまで待つしかないということで、結局思い出さないまま、時間だけが過ぎていった。

 中西が、誰かが殺された夢を見たのは、友達が行方不明になる前の日だったのである。まさしく「虫の知らせ」を感じさせた。だが、それが本当に「虫の知らせ」だったのか分からない、いくら友達とはいえ、それほど仲が良かった連中ではない。どちらかというと仲が悪い方だっただけに、自分でも不思議だった。

 しいていえば、

――自分の思い出の場所を土足で踏みにじられた――

 という意味で、中西にとって、友達を恨んでいたのは事実だった。

――恨みの思いが、殺人事件という陰惨な事件を思わせるような夢に繋がったのではないだろうか?

 と、考えたとしても無理もないことだった。

 そんな印象的な意識も、大人になるにつれて、次第に忘れていった。

――いや、忘れなければいけないことだったんだ――

 という思いもあり、子供の頃の記憶で、忘れてしまってもいいことと、忘れたくないことの二つだけではなく、忘れてしまいたくても忘れられなかったり、忘れたくないと思っても忘れてしまっていることもあることを悟った。特に忘れたくないことを忘れてしまっているのではないかと思うことは、

――記憶のどこかに封印している――

 と考えるようになっていた。

――子供の頃のことを全部忘れたとしても、絶対に忘れないことがあるのかも知れない――

 と思っていると、子供の頃に感じたことで、今覚えていることは、その時、最初から分かっていたことではないかと思うようになっていた。予知能力というほど大げさなものではないが、忘れることができないほど印象的なことだったのは、予感めいたものを感じていたことが実現してしまったことで、忘れられなくなってしまったのではないかという思いである。

 だが、その反面、予知できたということが、自分の中にある未知の能力として、却って怖いという感覚が芽生えたのも事実だった。テレビドラマなどで、特殊能力を持った人は、その能力を持ったがゆえに、他の人とは違うということで、自分の中にジレンマが生まれ、苦しむことになるということも分かっているからだった。

 もちろん、自分にそんな特殊能力が備わっているなどとは思っていない。特殊能力があって、最初から分かっていたのだから、忘れられないという思いがあるということは、逆に、

――忘れられないことがあるのをどのように説明すればいいのか?

 ということを考えた時に、

――最初から分かっていたことだ――

 と思うことで、自分に納得させようとしたのだとするならば、特殊能力は、自分を納得させるための一つの考え方に過ぎなくなってしまう。中西は、後者の方がいかにも説得力があるように感じるが、どうにも逃げ腰のような考え方に、複雑な思いを感じずにはいられなかった。

 中学に入った頃は、まだ木村さんとみのりのことを毎日のように思い出していたが、二年生になった頃から、次第に記憶が薄れていくのを感じた。忘れていくことに違和感を感じていたが、いつまでも毎日のように思い出すことの方が不自然だったのではないかと感じるようになると、この間まで目を瞑れば浮かんできたみのりの顔が、すでに浮かばなくなってくるのを感じていた。

 元々、人の顔を覚えるのは苦手だった中西少年。こればかりは、大人になってからも変わることはなかった。仕事の上で困ることもあったが、子供の頃からのことなので、今さら治ることもなく、仕方がないことだとして諦めるしかないのだろうと思うしかなかったのだ。

 そんな中西少年が中学に上がる頃まで、みのりや木村さんの顔を忘れなかったのは、ずっと夢に二人が出てきていたからだろう。どのくらいの間隔で夢に出てきていたのかハッキリとはしないが、結構頻繁だったのは、間違いないようだ。

――これだけ夢に出てくるのだから、顔を忘れないのも当たり前のことだ――

 みのりと木村さんの顔は、「覚えている」という感覚ではなく、「忘れられない」という感覚なのだということを意識したのは、思い出そうとして目を閉じても、二人の顔が瞼の裏に浮かんできたとしても、おぼろげにしか浮かんでこなくなった頃だったような気がするからだ。

 二人の顔が、おぼろげにしか浮かんでこない時期というのは、結構長く続いたような気がする。普通なら、それまでハッキリと覚えていたはずの顔が思い出せなくなったのなら、完全に浮かんでこなくなるまでというのは、時間の問題のはずだ。忘れてしまうというのは、それだけ自分の意識の中で、

――もはや、ここまで――

 という意識が働いているからなのかも知れない。一度忘れてしまう方向に流れていってしまうと、その波を抑えることはすでにできなくなっているはずなのだ。それなのにしつこく意識にあるのは、忘れられないという意識の方が、覚えているという意識よりも強い証拠ではなかろうか。

 中学生になっても出てくるみのりは、まだ小学五年生のみのりだった。あのまま一緒にいれば、すでに高校生になっているであろうみのりを思うと、かなりお姉さんであることは想像できる。

 中学生になった自分の意識の中にいるみのりは自分よりも年下のはずなのに、まるで頭が上がらないお姉さんの雰囲気がある。もし、これが高校生のお姉さんを想像できたとすれば、かなりしっかりしたお姉さんを想像することしかできないと思う。

 それにしても中学生という年齢が成長期だということは分かっている。しかし、中西少年は自分が成長しているという意識がない。むしろ、どこかで成長が止まってしまったのではないかと思うほどだ。

――ということは、どこかで辻褄を合わせようと、一気に年を取る意識が生まれるのかも知れないな――

 中学生というと、実年齢よりも年上に見られたいという意識が働いていた。

――背伸びしたい――

 と思う年齢でもあり、それが精神的な成長なのだと思っていた。

 しかし、中西少年には、年上に見られたいという感覚はない。逆にもっと子供に見られたいと思う意識が残っていた。それが、自分が成長しているという意識を鈍らせている証拠なのかも知れない。

――では一体、いつ頃から、自分は成長が止まったと思っているのだろう?

 と感じたが、思いつくこととすれば、小学五年生だったのかも知れない。

 それは奇しくも、出会った頃のみのりの年齢だった。そして、中西少年がこの頃から成長していないと感じた理由は、他にもあった。

 子供の頃の記憶の中で一番大きな節目だったのかも知れない。

 それは、両親が決定的な決裂を迎え、離婚したことが大きな影響を与えた。

 中西少年は、当然のように母親に引き取られた。父親は親権を簡単に手放し、離婚はスムーズに進んだという。

 泥仕合にならなかっただけでもまだよかったのかも知れないが、子供にとって泥仕合だろうがスムーズであろうが、両親が離婚したことに変わりはない。最初は、まわりにどのように接していいのか分からなかった。まわりも中西少年に対して、まるで腫れ物にでも触るような感じだった。

 そんな態度を取られると余計にまわりに近づきにくくなってしまい、

――人に気を遣うなどというのは、偽善だ――

 という風に思うようになった。

 どうして素直に接しようとしてくれないのか、それが少年の中西には分からなかった。自分にわだかまりがないのに勝手に気を遣われるのは、却って自分が孤立することになるように思えたからだ。

 だが、孤立したからといって寂しいという思いではなかった。離婚したのは、中西少年にとって、別に辛いことではなかった。それを勝手にまわりが変な気を遣うものだから、気になっていないものでも、何か身構えてしまう自分に気が付いたのだ。

――本当に余計なお世話だ――

 と、大人が気を遣うということを穿き違えているように思えてならない。その頃の自分にとって大人の世界は、

――見てはいけないものを見てしまった――

 としか感じることのできないものだったのである。

――両親が離婚して、成長が止まってしまったような気がする――

 と、中西は考えた。どうしてそう思うのかというと、ハッキリとした根拠があるわけではない。しかし、

――親になりたくない――

 という意識が、自分の中に潜在しているからなのではないかと思うようになっていた。それは親というだけではなく、

――大人になりたくない――

 というもう一歩先の気持ちがあったからなのかも知れない。それは、お互いに煩わしいと思いながらも、人に気を遣うことを止めない、そんな大人にはなりたくないという思いが強いからだろう。

 両親が離婚したことで、自分にとって煩わしいと思っていた目の上のタンコブが一つ消えた。それが、自分の中の時計を止めた期間があることに気付かないまま、

――あんな大人になりたくない――

 という気持ちにさせたに違いない。

 中西は、それから父親と再会することはなかった。すっかり父親のことを忘れていったのだが、高校生になる頃には、今度はまたみのりのイメージが頭の中によみがえってきた。クラスメイトの女の子に、みのりの面影を残した女の子がいたからだ。

 瓜二つとは言わない。もし、本当に瓜二つなら、却って意識しないようにしたかも知れない。似ていることの方が、よほど思い出の中にいるみのりを思い出すことができるからで、瓜二つであれば、現実にいる人間の方に目を奪われてしまい、記憶の中のみのりの存在がまるで幻に過ぎないことを感じさせるかも知れない。

――本当にみのりは存在していたのだろうか?

 そんな考えを持ちたくないというのが本音だった。

 その女の子の名前は浅野涼子と言った。中西にとっては、みのりが初恋だとすれば、初恋の面影を残した女性に出会ったことで、

――二度目の初恋――

 を果たしたことになるような気がした。

 初恋のイメージがそのまま自分の好きな女性のタイプになるということは自分でも意識していた。自然と女の子を見る目が、

――みのりを探している――

 という意識に繋がっていた。ただ、自分の中の思い出を壊したくない思いがあるので、なるべく、似ているという程度で、本当に瓜二つの相手が現れないことを願っていたのは本当だった。

――子供だったあの頃に戻りたい――

 という叶わぬ思いを抱くことになるからだ。

――別荘に住んでいたお嬢様であるみのり――

 そのシチュエーションだけで、子供の頃のことが、まるで夢だったかのような錯覚を覚えるのである。

――忘れていたはずなのに――

 涼子を見た瞬間、顔を忘れていたはずのみのりのことを、顔だけではなく、子供の頃の記憶までもが、クッキリと思い出せてきたのは、不思議なことだった。それだけ、涼子の特徴のある顔のパーツが、みのりに似ていたということだろう。

 だが、性格はまったく違っているような気がする。

 二人とも、あまり表情を変えることはないが、いつもニコニコと純粋さが表に出ていたみのりとは違い、涼子はいつも冷静で、必要以上のことは考えない性格に見えて仕方がなかった。

――二人を並べてみたら、意外とまったく似ていないように感じてしまうのかも知れない――

 と、中西は感じていた。

 しかも、二人ともを知っている人は、自分以外にはいないだろうということが中西が涼子を意識するもう一つの理由となった。

 涼子と知り合ってからの中西は、それまでの人生とは違ったものが見えてきた気がした。二人が付き合い始めるまでに、さほど時間が掛からなかったのは、涼子の方でも中西を意識していたからだった。

「私は寂しいと思うことが結構あるんだけど、何に寂しいのか分からないの。その寂しさが孤独から来るものではないということは分かっている気がするんだけど、孤独以外の寂しさというのがピンと来ないのよ」

 と、涼子は話した。

 孤独と寂しさが別物であってもいいのではないかと思っている中西にとって、涼子の考え方は、納得できるものがあった。

「そうですね、僕も寂しいと思う時、それが本当に孤独な時だという気はしませんからね。僕が思うに、孤独な時に寂しいと思うのは、その寂しさがどこから来るのか分からない時に、孤独というものを理由づけることで自分を納得させようとしているんじゃないかって思いましたね」

 と話していた。

「私は、孤独ってそんなに悪いことではないと思うんです。一人で何かを考える時に一人になりたいと思う、それを孤独と表現していいのかどうか迷うところですが、それを孤独と表現するのであれば、決して悪いことではないですよね」

「寂しいという言葉も、僕はそんなに悪いことではないと思うこともあります。そういう意味では、寂しさも孤独も同じ種類なのかも知れませんね」

「孤独の中に寂しさは含まれるような気はするんですが、寂しさの中に孤独が含まれるとは私は思いません」

「えっ、そうなんですか? 僕は逆だと思っていたんですよ。寂しさの中に孤独は含まれるけど、孤独の中に寂しさは含まれることはないんじゃないかってですね」

「人によって考え方が違うんだから、そもそも同じものだと思って考えること自体が誤りなのかも知れませんね」

「会話の中で、同じことを話しているつもりでも、まわりから見ると、まったく違ったトンチンカンな話をしているように見えることがあると思うんですけど、それと似たような感覚なのでしょう」

 二人はよくそういう会話をすることが多かった。それは自分を納得させたいという思いがあることから、

――この人と話をしていると、自分を納得させてくれる答えをくれるかも知れない――

 という思いが会話に花を咲かせるものとなっているのだ。

 ただ、今まで中西が出会った人の中で、寂しさや孤独という概念とは違ったイメージでしか見ることができなかった人がいた。それが他ならぬ木村さんとみのりだったのだ。

 中西少年が、絵を本格的に描き始めたのは、中学に入ってからのことだったが、絵を描いている時に思い浮かべたのは、みのりと最初に出会った時に見ていた、防波堤からの景色だった。

――海と空の間に窪みがあり、海が空を支配するのか、空が海を支配するのか――

 という不思議な感覚が頭の中にあり、しばし絵を描いている自分の手が止まっていることに気付かない時があるくらいだった。

 その時の海と空が、どんよりと曇っていたという印象しか残っていない。グレーな空をすり抜けるかのように雲が流れていく。海は風を感じるのに、波はさほど高くなく、遠くに向かって蠢いているようにしか見えなかった。

 その光景を思い出したのは、自分が防波堤にいる時に見えた景色からなのか、それとも屋敷の中で見た絵の影響なのか、そのどちらにしても、空と海を思い出す時は、みのりと木村さんの二人の存在が欠かせないものになっている。

――空と海、どちらがみのりでどちらが木村さんなのか――

 二人に置き換えてしまっている自分を感じた。

 しかし、それ以上に、空と海の関係を自分と木村さんとの関係のように結びつけた気分にさせられたのは、いつもニコニコ笑顔を絶やさないみのりの存在が、その存在だけがすべてに影響しているのではないかと思うのだった。

 そして、絵を描いている時に感じたのは、

――絵というのは、目の前に見えることを、そのまま描くだけではないんだ――

 ということだった。

 時には大胆に省略することも大切だという思いに駆られた時、自分の描いた絵だけが、他の人とは違って、何かが欠け落ちているのに気が付いた。

 だからと言って、その部分が人より劣っているというものではないという考えだった。もし、人と違うところがあるとすれば、

――僕の絵は、じっと見ていると、どこかが動いているような気がする――

 それは錯覚だと分かっている。分かっているがそう感じるかも知れないということは、――一点だけを見ていると、まわりが見えなくなってしまい、視界から切れそうな部分は、気にしてしまうあまり、動いているように思えてくるのではないか――

 ということである。

 よく言えば、自分の絵には、集中して見つめる部分があるということであり、それが絵の中心にあるということだ。絵にとって大切な遠近感やバランスを崩させるだけの力を秘めた絵を、自分で描くことができているのだとすれば、中西は自分が怖くなってくるのだった。

 中西が描いている絵のほとんどは風景画だった。その中に人物を描くことはほとんどない。もし、そこに人がいたとしても、中西は、人を省いて描くようにしている。要するに静止画が多いのだ。

 中西は静止画を描くのは難しいと思っている。動いているものを描く方が確かに難しいが、静止画といっても、本当にまったく被写体が動かないというわけではない。そこには風の影響で動いたり、動物の息吹を感じたり、いや、植物にだって息吹がある。風景画を描いていると、余計にそのことを感じる。

――自然の摂理――

 それが、静止画を描いている時に感じることだった。

 中西自身は、なるべく動いていないように描いているつもりだったが、まわりの人が見ると、

「この絵はどこかに動きを感じる。それがどこなのか分からないが、探そうとして一点を見つめてしまうと、却って動きを確認することはできないように思えてくる」

 と言われたことがあった。

 大学に入って、絵画のサークルに入ったのだが、その時に先輩から言われた言葉だった。さらに先輩は中西の絵を見て、

「君の絵には、どこかに人が潜んでいるような気がする。君が敢えて人を描こうとしないのは分かっているが、思わずどこに潜んでいるのか、探してしまっている自分を感じるんだよ」

 と言っていた。

「僕にはよく分かりませんが、先輩が言うなら、そうかも知れませんね。でも、それ以上に、自分が描く絵に人の存在は考えられないんです。僕がおかしいんですかね?」

「おかしいというわけではない。人それぞれに感性があって、君には人を感じないという性質があるというだけだ。私は感性というものは、自分の中から醸し出すものではなく、まわりから受ける感情から始まると思うんだ。だから、君が人を感じないというのであれば、君の絵の中に人が出てこないというのは君にとっての真実であり、まわりがどうこう言う問題ではないと思うんだよ」

 先輩の話には一理あり、納得できる部分は十分にあった。ただ、中西自身、

――僕はいつから、人を意識しなくなったのだろう?

 と、感じるようになった。

 確かに大学に入って友達がたくさんできた。たくさんできた友達の中には、ただ挨拶するだけの人もたくさんいた。そんな連中まで友達と言えるのかどうか定かではないが、挨拶だけしかしない相手は、向こうも同じようにしか感じていない。

 中には、こちらが挨拶をしても、返してこない人も出てきた。挨拶を交わすだけなら、友達ではないという意識を持っているのだろうか。挨拶まで億劫に感じてしまうというのは寂しいことだった。

 相手が億劫に感じていると思ってしまうと、こちらもそれ以上の付き合いはできなくなる。そうやって一旦増やした友達が次第に減ってくるのだが、寂しいとは思わない。却って精錬されたという意味ではよかったのかも知れない。

 絵を描くという作業も似たようなものなのかも知れない。

 目の前にあるものを忠実に描くだけなら、いくらでもできるのだろうが、いかに不要だと思う部分を省略できるかというところに難しさが潜んでいるように思える。

 まず、どこが不要なのかを見極めることが必要になる。

 これが一番最初の作業で、さらに一番難しいものではないだろうか。ここで間違えてしまうと、すべてが終わってしまう。絵の命を、「バランス」と「遠近感」だと思っている中西は、目の前に見えていることを無意識に「真実」だと思っていることを分かっている。敢えて見えている「真実」を崩そうというのだ。そこには勇気が必要になってくるし、自分が信じていたものを崩すことで、いかにその後自分を納得させるかということが問題になってくる。

 そこまで考えてくると、

――絵を描くということは、いかに自分を納得させるかということだ――

 という結論が生まれてくる。

 そして、中西は自分の絵を見ていて、中心だけを集中して見ていると、まわりが動いているように見えるのを感じた。

 絵というものは、動いているものであっても、静止画であっても、必ずどこか一点を見つめて描くものだ。中西は中心点を先に決めて、そこから見える範囲をキャンバスに描くくようにしている。最初に決まった中心点が、不要部分の見極めにいかに影響してくるかということが、ポイントになってくるのだ。

 中西は、ずっと涼子と付き合っていた。大学に入ってしばらく会わない時期もあったが、絵を描いていて、ある時期、自分に疑問を感じた時、涼子の方から連絡をくれた。大学の近くの喫茶店で会ったのだが、久しぶりに会った涼子は、大人っぽくなっていたのには少しビックリした。

 もっとも、毎日大学でいろいろな女の子を見ていても、一人を見つめるように見ることはなかったので、新鮮さがそのまま落ち着きのある女性として目に映ったことは、少なくとも中西にとっての真実であることに違いない。

「元気にしてましたか?」

「うん、一人で絵を描くことに集中していたよ」

 というと、

「あなたらしいわね」

 と言って、少し下を向いた。

 涼子が、相手の顔を見ることもなく、少し下を向いた時、それは少なからず何かの疑問を感じていることを表していた。

「でも、絵を描くことに少し疲れてきた気もするんだ。それは今までに感じたことのない寂しさを感じたからなのかも知れない」

 涼子は意外そうな顔になり、

「あなたの口から、疲れたという言葉が出てくるとは思わなかったわ」

 と、今度は逆にまんざらでもない顔になった。

「うん、何か分からないところがあって、それを考えれば考えるほど、答えから遠ざかっているように思えるからなんじゃないかな?」

「それは、何か堂々巡りを繰り返しているように聞こえますね。でも、得てして人は堂々巡りを繰り返すものだと思うし、あなたの口からそのことが聞けたことは私にとって安心できることでもあるんですよ」

 と言っていた。

 この時に話したことが、しばらく中西の中に残っていた。

 絵を描くことは相変わらずだった。自分としては疲れたと思っていても、一つの日課のようになっているので、自分から日課を崩す勇気はなかったのだ。

 ただ、惰性になりかけていたのも事実だった。少しずつ描く内容が大雑把になっていく。集中力がなくなっているのも事実だった。

 その頃から、自分の記憶力が急に低下してきたことに気が付き始めていた。

――昨日のことですら、思い出せない――

 元々記憶力のいい方ではなかった。集中している時に覚えなければいけないことはちゃんと覚えていたのだが、最近では、覚えなければいけないと感じなくなったからなのか、それともいつものように覚えていることだから意識しないでいいと思ったのか、覚えているだろうと思うことを完全に忘れてしまっている。

 完全に忘れるということは、却って難しいことだ。漠然とでも覚えていることがあって、その中に少しずつ忘れていく要素が生まれることで、覚えていると思っていることを完全に忘れるプロセスに入ってしまったことを自覚することはあった。

 しかし、完全に忘れることなどできない。気が付けば、忘れるプロセスを意識しないことが、記憶の中に封印されたことを教えてくれる。もちろん無意識なので、教えてもらったことを意識するのは、後になって、何かを思い出そうとした時だけだ。それも思い出そうとしたことを思い出せれば、プロセスがあったことは問題ではないので、気にすることはない、思い出せなければ、そこまで行きついていないから、意識することもない。どちらにしても、記憶の中に封印されたプロセスを思い出すことは皆無に近いことであるに違いない。

 自分の絵ではなく、美術館で絵を見ていると、どうしても最初にどこか一点に絞って見てしまうくせがついていた。

――仕方ないな――

 と思いながらも、自分の絵との違いを一生懸命に探している。どんなに有名な画家の絵であっても、自分の絵との違いを見つけると、

――ここは自分の方が優れている――

 という場所を探してしまう。そして意外と簡単に見つかった気がしてくるのだ。

 どうしても、贔屓目に自分の絵を見てしまうのは、絵を描いている時の自分が普段の自分と違って、まるで他人のように思えることから、作品も他の人とは一味違うものを生み出している感じがするのだった。

 中西が絵に興味を持ったのは、防波堤から見える海と波の境目を見たからだったが、それだけでは、ここまで絵にのめりこむことはなかっただろう。絵に興味を持ったとしても、実際に描こうと思うようになるには、誰かに思いきって背中を押してもらう必要があるのだ。

 その背中を押してくれた人は、他ならぬ木村さんだった。

「私もね。高校時代から絵を描くのを趣味にしていましてね。私の影響からか、みのりお嬢様も、絵をお描きになるんですよ。そういう意味では、この土地は海も山もあっていいところではないでしょうか?」

 と話していた。

「私は人物画が多いかしら?」

 と言ってみのりが描いた絵を見せてもらった。そこに描かれていたのは、一人の女性 で、誰がモデルなのか分からなかった。

「この絵のモデルは?」

「私は、自分で想像した人を絵に描くようにしているんです。だから、モデルというのはいないんですよ」

「それで、よく描けますね?」

「ええ、どうしてなのかしら?」

「それだけ想像力が豊かなのかも知れないですよ?」

「そうなのかしらね。でも、一つ言えることは、おかげで見たものをあまり忘れないようになったような気がするんです」

「忘れないというのはすごいですよね」

「私の中では、『忘れてはいけない』という意識よりも『覚えていよう』という思いが強いのかも知れないです。『忘れない』と『覚えている』というのは似ているように思うんですが、『覚えている』という感覚の方が、前向きな気がするんですよ」

 確かに忘れないという意識の方が、覚えているという意識よりも印象深い気はしているが、前向きという意味では、みのりの言う通り、覚えているという方が強いのかも知れない。それはまるで、「減算法」と「加算法」の考え方の違いに思えた。

 高校生になって、そのことを思い出した時に感じたのは、将棋を得意としている人の話を聞いた時だった。

「一番隙のない形は、最初に並べた形で、一手指すごとにそこに隙が生まれるものだ」

 という話を聞いたことがあった。

――動けば、隙ができる――

 というのは、「減算法」の考え方だと思った時、

――記憶にしても、絵を描くことにしても、加算法の方になるのかも知れないな――

 記憶というものは、意識という箱から、記憶という箱に移行する時に、「忘れない」、あるいは「覚えている」という感覚に変わるのだろう。

 意識という箱の中から記憶を見た時、「覚えている」という思いがあり、逆に記憶という箱の中から意識を見た時、「忘れない」という感覚になるのかも知れない。記憶というのは、過去の記憶すべてが累積されているところであり、増えていくところ、そして意識というのは、記憶に送られる前の、考え方を育むために置かれている場所であり、記憶に送られると、その場所からは消えてしまう。つまりは消えてしまった意識だけを見てしまうと、「忘れる」という感覚になるのだろう。

「忘れてはいけない「

 と思うことは、記憶の中に行ってしまったものを呼び起こすことに自信がないから、ずっと意識しておこうという無意識な思いであり、それは、かなり無理をしていることにも繋がっている。

 無理をするということは、冷静さを失わせ、焦りを呼ぶ。後ろ向き以外の何物でもないだろう。

 せっかく自然にしていれば、無理をすることもなく、覚えていることもできたのかも知れないが、無理をしてしまうことで、隙を作ってしまう。それがいかにも「減算法」の一番の問題点であり、

「まるで絵に描いたようだ」

 という絵を描くことを比喩に使われることの皮肉を生むことになるのだろう。

「そういえば、あの時、みのりが描いた絵。あれは誰だったんだろう?」

 という疑問が解決したのは、しばらく会わなかった涼子と再会してからだった。

 最初に涼子に会った時に、

――初めて会ったような気がしない――

 と感じたことが、涼子と付き合うきっかけになったのだが、似ていると思ったのは、みのりの面影を感じたからだった。

 しかし、今から思うと、みのりの面影というよりも、みのりが描いた人物画に似ていたというイメージが今では強くなっていた。

――だけど、あの時に見た人物画と、みのり自身が似ていたという感覚はなかったんだけどな――

 最初にみのりに感じた、「似ている」という感覚、そこにウソがないのだとすれば、再会した時に感じた涼子に対して、みのりが描いた絵が似ていると思ったのであれば、みのりと、みのりの描いた絵が似ているということでなければ成り立たない。

――それとも、最初に出会った時の涼子と、再会した時の涼子とで、どこかが違っているのだろうか?

 とも考えられる。

 第一印象から以前に会ったことがあるかも知れないと感じた相手と、付き合っていくうちに相手への印象が変わっていくということは得てしてあるもののようだし、しかも涼子とはしばらくの間遠ざかった期間があったことで、今度は知っているはずの相手なのに、初対面のようなイメージを感じると思う正反対の感情が、同じ人間に対し、まったく別人の印象を与えたとしても、そこに不思議はないのかも知れない。

 さらに、遠ざかっていた間、中西の中で、何か見る目が違ってくるような何かがあったかも知れない。本人には意識はないが、少なくともみのりと最初に付き合っていた時期は、それまでの自分とはまったく違った感覚であり、しばらく離れていても、今度は寂しいという感覚がまったくなかった。

――今は離れているだけで、また涼子とは近い将来、付き合うことになるんだ――

 という思いを、かなり高い確率で感じていたからだった。

 涼子と再会した時、最初に感じた

――前から知り合いだったような気がする――

 というのを思い出した。

 本当に前から知り合いだったのだから当たり前のことだが、そう感じたことで、自分の気持ちがループしているのではないかという錯覚に陥っていた。

――錯覚は、堂々巡りを引き起こす――

 というのが、今まで生きてきた中で感じた一つの教訓だった。

 ということは、

――涼子に感じたことは錯覚だったのだろうか?

 まるで、一度しばらく離れて、その後再会することを最初の出会いから分かっていたかのように思うと、おかしなもので辻褄が合っているのではないかと思えてくる。

 だが、それと同じ思いを、実はもっと前にしたような気がしていた。別れた相手と、再会するのではないかという思いである。

 再会すると言っても、涼子との間での再会ほど短いものではない。一生を掛けて、再会するまでに費やす時間があるのではないかという思いである。

 もし、それが誰なのかというと、中西の中ではすでに分かりきっていた。

「みのり以外にありえないではないか」

 毎日のようにお邪魔して、ずっと一緒にいる毎日が永遠に続くのではないかという思いを募らせるほど長かった幸せだったと思っていた時期、あの日々はどこに行ってしまったのだろう?

 そう思いながらも、いつかは必ず自分の前に現れることを期待している自分がいるのに、涼子との間での恋愛感情にもウソはない。

――僕って、そんなに優柔不断な性格なんだろうか?

 ただ、この場合、優柔不断という言葉が本当に適切なのかどうか、中西には分からなかった。優柔不断というよりも、

「二人は、自分の中では次元が違う」

 というのが、言いたいのだが、もし、これが自分ではなく他の人なら、

「そんなのただの言い訳にしか過ぎない」

 としか思わないのも当然のことだった。

 人に対して当然のごとく考えるのだから、自分だけ特別だなどというのは卑怯だということは重々分かっているつもりなのに、なぜか次元が違うという言葉が言い訳として使われるとは思えない。

 涼子は、そんな中西の想いを分かっているのだろうか?

 普通分かっているのだとすれば、黙っているわけもない。だが、涼子を見ていると、分かっていてもそれを責めることのできない性格に思えてならない。

――涼子の後ろに、どうしてもみのりを見てしまう――

 と、本来であれば言い訳にしかならないような思いを、自分の中で正当化させ、納得させている。

――優柔不断ではない――

 という思いにさせるための、苦肉の策なのかも知れない。

 みのりが、中西少年と一緒だった時、すでに不治の病に身体を侵されていて、治る見込みのない毎日を過ごしていたことを、中西は小学校を卒業する時に知った。屋敷が人手に渡ってしまった時の噂として小耳に挟んだ話だったが、中西少年には信じられなかった。

――言われてみれば、そんな気配はあったかな?

 とも感じるが、俄かに信じられるものではなかった。

 みのりがいなくなった時にその話を聞いていれば、一番ショックが大きかったかも知れない。しかし、ショックが薄れていくにつれて、真実を受け入れるだけの気持ちが出来上がっていたのではないかと思った。

 しかし、かなり後になって知らされたのであれば、ショックは少ないかも知れないが、その分、リアリティに欠ける。そのため中西は、いまだに

――みのりがどこかで生きている――

 という幻想を抱いていた。

 少なくとも、木村さんの口から、

「みのりお嬢様はお亡くなりになりました」

 とでも言われない限り、信用はしないだろう。

 中西が最初に涼子に出会った時、みのりの面影を感じたが、それ以上でも、それ以下でもないという感覚に落ち着いたことに何か違和感があったが、それは、面影を与えてくれたみのりがこの世にいないという話を聞いてしまったからに違いなかった。もし、みのりがこの世に存在してくれているのであれば、涼子に対してもう少し違ったイメージを感じたことだろう。

 ひょっとすると、付き合おうなどと考えなかったかも知れない。付き合ったとしても、長続きしたかどうか。

 それは、みのりの面影がハッキリと残った中で涼子を見た時、ずっと同じ感覚でいられないと思ったからだ。最初にみのりのイメージ以外、何物でもないと感じたとしても、付き合っていくうちに、

――どうして、みのりを感じてしまったのだろう?

 と思うのではないだろうか。

 それは半信半疑でありながら、対象を涼子に絞った時、

――みのりは、もうこの世にはいないんだ――

 と思ってしまうからだ。そう思ってしまったら、みのりへの意識は記憶の中に封印されてしまう。永遠に小学五年生のあの時のみのりは、中西の中で年を取ることはないのである。

 中西も、みのりのことを封印された記憶の中から呼び起こす時は、自分が小学三年生のあの頃に戻ってしまっていることを気付かされる。

 しかし、涼子と一緒にいる時は、れっきとした大人になっている。大人である以上、記憶の中のみのりが出てくるはずはない。だからこそ、みのりの面影を感じながら、それ以上でもそれ以下でもないのだ。そのことに気付くまでに少し時間が掛かった。

 中西が絵を描こうと最初に感じた時、本当は人物画を描くつもりだった。その中の被写体は、みのりだったはずで、みのりのイメージは頭の中にあるのだが、それをキャンバスに乗せ換えようとすると、イメージが頭の中から消えてしまった。

 そのことが、

――僕には、人物画を描くことができないんだ――

 と思わせるに至ったのである。

 人物画を描くことは難しいと思っていた。しかし、絵を描くことを志した以上、人物画が描けるようになるのは目標であり、しかも、被写体がハッキリしているのだから、目標が夢に繋がっていった。

 本来なら夢というものが漠然としていて、しだいに漠然としたものが形になってくることで夢が目標に変わり、達成感を求めるようになるのが普通だと思っている。それが逆になってしまったということは、自分の中で認めたくはないと思いながらも、みのりがすでにこの世にいないことを自覚した上で考えているからに違いない。

 だが、中西の中には、

――いずれ、またみのりに会える――

 と感じているのも事実だった。

 元々、諦めが悪い方ではない中西だったが、時々、頑固なところがあった。しかし、それもまったく根拠のないことに対して頑固だというわけではない。何かの裏付けがない限り、頑固になることはなかった。裏付けとはもちろん、根拠のことで、中西の中の根拠のキーを握っているのが、木村さんだと思っていた。

 中西は、一度木村さんを探してみようと思ったことがあった。屋敷に結構長い間住んでいたのだから、消息を掴むことはさほど難しいわけではないと思ったからだ。

 しかも、当時はプライバシーの尊重は重要だったが、それ以降の時代ほど、個人情報に関して厳しいことはなかった。

 ただ、情報を得るには、ほとんど材料がないのも事実だった。個人情報が叫ばれたのは、急速なメディアの発展がモラルについてこれなかったからであり、メディアの発展前であれば、人の情報を探すというのは、想像していたよりも相当に難しいことだということをすぐに思い知らされた。

 中西は、木村さんを探していた時のことを思い出していた。

――まるで暖簾に腕押しのような感じだったな――

 それは、最初から分かっていたことをダメだと思いながらも無理に押し通したことを示していた。反応がないのを分かっていながら、押し通せば、当然暖簾に腕押し状態になることくらい想像がつくというものだ。

 木村さんとみのりが忽然と消えてしまったあの時、それから自分の人生が少しずつ変わっていったことに、中西は気付いていたような気がしていた……。

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