三題噺

サンドリヨン

遠吠え、カレー、三日月

今日も遠吠えが聴こえる。とても哀しい音。この世界に1人しかいないと、そう叫んでいる。隣から聞こえてくる音が恐ろしくて、私は布団に潜る。


朝、夜中の遠吠えは鳴りを潜め、夜への力を蓄えている。私はそれをなるべく気にしないように努めて、昨日の余りものをお弁当箱につめる。見逃したドラマを見ながら軽く化粧をする。バタバタしたくないから、家を出る15分前には準備が終わるようにしていた。だけどここ最近は、夜中の遠吠えが脳を占めていて日に日に考えが脳を侵食していき、しまいには、時間ギリギリになってしまっている。


最後に鏡で顔を確認してから家を出ようとする。ガチャと隣の部屋から音が聞こえる。タイミングが被ると気まずく感じる私は、少しドアを開ける瞬間をずらす。


女の子が立っていた。それもスカートをたくしあげて。よれよれになった近所の中学校の制服。明らかに寝不足を感じさせる大きなクマ。蒼白い足肌に幾つか見える赤、だったり青だったりする鮮やかな痣。彼女は何も言わずに去っていった。


彼女なりのSOSなのだろうか。それとも私に罪を突きつけているのだろうか。もう何も分からなかった。断罪して欲しかった。お前が悪いのだと、はっきりと突きつけてくれれば、終わらせる決心も出来ただろうに。


約1か月前まで私と彼女はとても仲が良かった。


彼女に大きく変化が出たのは半年前。両親が離婚したことを聞いた。父親の浮気だそうだ。それから彼女は母親と二人で暮らしている。母親は鬱病になってしまい、仕事にもあまり行けていないので父親からの慰謝料でほとんど暮らしているような状況だった。そんな彼女の話を聞きながら、私はどうにかしてあげたいと思っていたが、思っているだけでしかなかった。最初は小さな違和感だった。仕事帰りに会う日が減った。お母さんのご飯を作らなきゃいけない。お母さんの服を洗濯しないといけない。家の掃除をしないといけない。そんな彼女のしないといけないことが増えていった。彼女と会うのは決まってカレーの日になった。カレーを作った次の日は夕飯を作らなくていいからと週に1回くらいはあっていた。


ある日からものを叩くのとは少し違う不思議な音が隣から聞こえてきた。あれはなんだったの?彼女に聞いてみても要領を得ない。立ち上がるとき少し足が痛んだらしかったので、断りを入れることも忘れてスカートをめくる。痣があった。私はすぐに通報した。


結果だけを言うと状況が悪化しただけだった。彼女の母親はさらにヒステリーを悪化させたらしく、彼女は日に日に憔悴していった。私にはもうできることは何も無かった。


今日も遠吠えが聴こえる。


いつも1時間近く続く声が今日は10分もしないうちに終わった。


嫌な予感がして隣の部屋に駆け入る。意図的か偶然か、鍵は空いていた。薄い月明かりの中、赤く照らされた血溜まりに彼女は座り込んでいた。私が何とかしなくちゃと思った。警察を呼び、彼女をソファに座らせる。


最後にした雑談を覚えていますか?と彼女は聞いてきた。彼女は三日月が好きだといった。満月は明るすぎるし、新月は暗すぎる。半月よりも少し暗い三日月が一番自分を表しているようだと。そして私にも似ているからと。


彼女は続けて言った。長い夜が訪れる。だけど目印として私に立っていて欲しいと、そうすれば頑張れるからと。それから彼女は警察が到着するまで私の胸で泣いていた。


数年たった今、私は彼女を迎えに来ていた。あの頃鳴いていた狼はもういない。

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