餌やり

小狸

短編

 まるで動物の餌やりのようだ――と。


 それを初めて見た時に、僕は思った。


 西田にしだ家の日常の話である。


 昨日父と母が言い争っていたから、そこのどこかに原因があるのだろう。おそらく僕がヴァイオリンを習い始めたことだろう。


 父は不服だったのだ。


 うちの家計がとか、男が、とか。


 そんなことを散々言っていた。


 自室で勉強する僕にも、良く聞こえてきた。


 ああ――僕のせいなんだな、と思った。


 僕がヴァイオリンなんて弾きたいと思ったせいで、こんなことになった。


 うちはそういう余裕のない家庭なんだ。


 恵まれない家なんだ。


 仕方ないんだ。


 そう思って、ヴァイオリンは売却することに決めた。


 次の日――土曜日。


 父の仕事は休みであった。


 朝食の時間になった。


 父は部屋から出て来なかった。


 だから母は――父の部屋の前の床に、トレーに乗せた朝食を置いた。


 その様子を、リビングの横の階段の下から、僕は見た。


 見て――しまった。


 まるでそれは、動物への餌やりのように乱雑に、苛立ちをぶつけるかのように、中の汁物が多少こぼれるのをもいとわない置き方に――全てを悟った。


 ああ――うちの両親は、仲が悪いのだ、と。


 見なければ良かったと思った。


「お父さんは?」


 小学生の妹は、父が食卓に居ないことを不自然に思ったらしい。


「お父さん、体調が悪いみたい」


 母の口調は、どこか苛立ちを噛み締めるようであった。


 妹も妹で察するところがあったのか「ふうん」と言って、そのまま朝食の納豆を混ぜた。


 僕はそんな二人を見ながら、二階にいるであろう父のことを考えていた。


 あのまま朝食に手を付けないのだろうか。


 朝食を終え、自分の食器を洗って片付けた後、僕は二階にあるトレーと、その上の朝食を見に行った。


 すると朝食は既に食べ終えられていて、またも乱雑に、トレーの上に食器があり、それが床に置いてあった。


 ご飯粒は残さず食べなさい――。

 

 散々僕らを叱っていたくせに、かなり粒を残していた。

 

 洗うのが大変そうである。

 

 僕はそっと、そのトレーを手に取って階段を下り、食器を洗った。

 

 こびりついて、やはり取れにくかった。

 

 ちゃんと洗い終える頃には、妹も食事を食べ終わっていた。


「はい、私と交代~」


 とそう言って、妹は自分の食器を洗った。


 自分の食器は自分で洗え――。


 そう言っていたのも、父だったか。


 よくもまあ、自分にできないことを他人にやれって言えるよな。


 そんなことを思いながら、僕はリビングへと戻った。

 

 母が横にいると気が付いたのは、その時である。

 

 妹に聞こえないような小さな声で、こう言った。


 「それ、洗わなくて良いから」


 その時の母の表情は、見なかった。


 こうして、我が家の家庭内別居が、静かに始まった。




 

 おしまい(家族が)

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餌やり 小狸 @segen_gen

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