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荒木さんがカウンターで椅子を引いた音に僕は振り返った。彼女はファイルと資料の端を揃えて立ち上がったところで、僕は本棚で資料を選んでいる最中だった。

「瀬川君、ごめんだけど今日これで上がるね」

荒木さんはファイルを手にしてこちらへ近づくとそう言った。僕が「そう」と答える間に、彼女はファイルを元通りに片付ける。

「店長二階かな?」

「たぶん。呼べば来ると思うけど」

「店番もしてもらいたいし、ちょっと呼んで来るよ」

荒木さんはそう言うと僕の返事も待たずに駆けて言った。僕は彼女の背中を追ったそのままの目で壁の時計を見る。ちょうど午後七時。普段の荒木さんの退勤時間より二時間も早い。

一、二分そのままでいると、店の奥から荒木さんと店長の話し声が聞こえてきた。それはだんだん近づいて来て、二人はすぐに店に姿を現した。荒木さんはすでに荷物を肩にかけている。

「それじゃあ店長、お疲れ様です」

「お疲れ。気をつけてね」

ソファーの前で挨拶を済ませ、荒木さんがこちらにやって来る。すれ違い様に「お疲れ様、瀬川君」と言って彼女は店を出て行った。ガタガタとうるさい引き戸が閉まった後は、店の中が静まり返る。

「荒木さん、何か用事があるんですか」

僕は目当てのファイルを手にして、まだそこにいる店長に問い掛けた。店長は流れるような動きでソファーに座ると、リモコンを操作してテレビをつけた。

「あれー?気になる?」

僕は眉間にシワを作ると長く息を吐いて店長を見た。そのまま自分の部屋へと向かう。

「嘘嘘、いつものあの子とファミレス行くだけだよ。ちょっと、リッ君ー?」

店長の声を背中で聞きながら、廊下を歩き自室に閉じこもる。机にファイルを放って椅子に腰掛けた。まったく店長め、余計なことばっかり。別に心配なんてしていない。不安にもなっていない。第一、僕にそんな権利があるだろうか。



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