第5話 緑色のフェンス

 グ〜ギュルギュルギュル〜〜


 静けさの中で、間抜けな音が鳴った。隣を見ると、零二が少し顔を赤らめていた。


「なに、お腹空いたの? 」


 ちょっとからかうみたいに言ってみた。私は悪魔だから、お腹が空くと言う感覚はよくわからない。でも味覚はあるから、私にとって食べることは娯楽のようなものだ。零二の言う通り、私は正真正銘生きてなどいない.


「まあね、悪い? 」

 

「そんなこと言ってないじゃない。まったくもう。そういえば日本の学校って『給食』ってやつが出るんじゃないの? 」


「ああ、出るよ。でもそのためには教室行かなきゃだし……。食い意地張ってるやつだと思われたくないし」


「そう」


「あーあ、僕も食べないでやってけたらいいのに」


 ふいに肩にかかっていた重さがなくなると、零二が私の顔をジッと見ていることに気づいた。


「なによ? 」


「や、この肌何でできてるのかなーって。人間と一切変わらないように見えるからさ」


 言うなり、私の頬をツンツンつっつき始める。私はされるがままになった。


「考えたことないわ、そんなの」


「ふーん、気にならないの? 」


「うん」


「そっかー……」


 零二は私の両頬をつまみ始めた。


「楽しいのー? そんなことしてー」


「うん」


 楽しいと言っている割には零二は無表情だった。



 

 そして4時間経った。


 零二がハッと我に返ったような顔になったのは、どこかのスピーカーから音楽のようなものが鳴り響いたからだ。


「え、嘘。もう5時? 」


「そうみたいね」


 零二はやっと私の頬から手を離した。そして、夕方の冷えた風の音に耳を澄ますように、そっと目を閉じて、開けて、そして立ち上がった。


 零二がおもむろに向かったのは緑色の不安定なフェンス。オレンジ色の夕日を反射して光るのは、まるで美しい天へ誘うようだった。


 そこへ腕をもたれて、癖のようにフェンスの一部を爪で引っ掻いた。


「ねえシルビア。空を飛ぶのってどんな感じ?」 


「どんな……って言われると難しいわね。でも、気持ちいいわよ。人間を見下せて」


「ハハ、やっばりシルビアも悪魔だね。人間のこと、そんなに嫌い? 」


「ええ、とても」


「僕たちやっぱり気が合うみたいだ」


 零二が握りこぶしを作って突き出した手を指を広げて覆ってみた。


「私の勝ち」


「うわ、すげえウザイやつ」


 零二はグーをチョキに変えて、瞬時に私はグーをつくって、それを見越した速さで今度は零二が私の手を包み込んだ。


「ねえ、飛んでみる? あなたも」


 少し悔しかったのかもしれない。昨日まで廃人みたいな顔してたくせに、勝ち誇ったみたいな顔しちゃってさ。


 私は、零二の返事を聞く前に翼を羽ばたかせていた。白くてふわふわな羽じゃなくて、光の全てを跳ね除ける邪悪な翼だけれども。


 掬い上げるように零二の身体を持ち去って、屋上を飛び出す。耳元で風が鳴る。零二の悲鳴のような情けない声が聞こえた。


「ちょ……っ、いきなりはナシだって! 」


「なによー、こわいの?」


「全っ然、そういうんじゃないけどね! 」


 私の首に腕を巻き付けている格好では全く説得力がなかった。


 面白いので、羽を動かすのを止めて急降下してみた。普段はしない飛び方だ。風を切る轟音が耳の奥で鳴り響く。


「ちょちょちょちょ、死ぬ死ぬ死ぬ! 」


「だーいじょうぶよー」 


 地面に着く直前で浮かび上がる。零二は一気に気の抜けたような表情になった。


「死ぬかと思った……」


「死にたいんじゃなかったの? 」


 単純に、純粋な気持ちで尋ねた。


「あ、たしかに」


 零二は顎に手を当てて、考え込むように唸る。やがて納得したように頷いた。


「まあ、臨死体験ができて良かったかも。うん」


「良かったの? 」


「うん。生身の肉体じゃ、試すことなんてできないから。貴重な体験を提供してくださりありがとうございます、シルビアさん〜」


「ちょっと、なんか私のことバカにしてない!? 」


「気のせい気のせい」


「あ、ちょっと待ちなさい! 」


 逃げ帰ろうとする零二を追いかけた。


 ひとつだけの影は長かった。

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心臓を喰らう 半チャーハン @hanchahan

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