雪女と真夏の通り雨(2)


 かゆみ止めを目の周りに塗るのはよろしくないため、ある程度氷嚢で冷やした後、眼帯を渡された俺。

 明日から夏休みだって、少し浮かれていた気分が一気にブルーになる。


「あら、智。どうした、それ……見せなさいりん


 洗濯物を取り込んでいた母さんは、俺の顔を見るなり驚いて眼帯を取ろうと手を伸ばしてきた。


「気にしんで。ちょっと虫に刺されただけだわ」

「そう? ————って、また保健室の先生に診てもらったの? まったく、そんなところ刺されるなんて、本当にとろくさいね。あんた、誰に似たんだろうだらーね」

「母さんじゃないことは確かだな……」


 母さんでは絶対ない。

 母さんは高校時代、陸上部のインターハイで二位になったこともある実力者だ。

 小さい頃から、俺が何か悪いことをして怒られる時、追いかけられて逃げ切った記憶がない。

 幼稚園の時、保護者対抗リレーでぶっちぎり優勝を決めたあの勇姿はいまだに鮮明に記憶に残っている。

 前の走者だった父さんがこけて最下位ドベになったのを一瞬で巻き返した。


 この人の息子なのだから……と、俺も小学生低学年の頃、リレー選手に選ばれたことがあるが、結果は目に見えていた。

 この運動神経のなさは、確実に母親譲りではない。

 かと言って、父さんもリレーでは転けてしまったが、別に運動神経がわるいわけでもない。

 一応、夏の甲子園常連校の元高校球児だ。

 本当に、まったく誰に似たんだか。

 自分でも自分が情けない。


「こんなにお世話になって……今度お礼にお伺いした方がいいかやぁ?」

「やめてくれ! 恥ずかしいで!」


 確かに、転校して来てまだ一ヶ月も立っていないのに二度……いや、三度……いや、四度も手当てを受けているけれど。

 そんな恥ずかしいことしないでくれ。

 恥の上塗りになる。


「それより、本当に聞いたことないのか? この家に幽霊が出るって話」

「ああ、それね、ご近所の方に聞いてみたけど、本当だったわ。親戚の人がここを管理しとった時にね、誰も住んどらんはずなのに、物が勝手に移動しとったりしたらしいわ」

「物が勝手に移動した?」

「なんでも、前に来た時は全部のタンスとか押入れとかの扉をちゃんと閉めとったに、押入れだけ空いとったとか、台所にあったお皿がテーブルから床に落ちて割れとったとか、テレビが点いてたとか……みんな気味悪がって幽霊の仕業だって近所じゃ有名だったらしい」


 そんな家だったなんて、全く知らなかった。

 テレビが点いていたとか、ポルターガイストに遭遇したことはないし、佐々木が言っていたような子供の笑い声なんかも聞いたことはない。

 きっと、誰かがいたずらにそんな噂を流したんだろう。

 リフォーム前の写真を見せてもらったが、確かに年季が入った建物で、外壁は所々崩れているようだったし、トタンも錆びていた。

 和室の障子窓も破れている。

 お化け屋敷に見えなくもない。


「まぁ、詳しくはお祖母ちゃんに聞いて見るといいわ。子供の頃は暮らしとったんだし、何か知っとるかもね」

「うん、そうだな……」


 祖母ちゃんは残念ながら今この家にいない。

 中学校の同級生だという人たちと旅行に行っている。

 旭川、札幌、小樽、函館にいる友人宅を尋ねる長旅だ。

 帰ってくるのは、おそらく探偵部のみんなが泊まりにくる当日だろう。


「あ、智。宿題は先に終わらせときん。夏休みなんてあっという間に終わっちゃうだでね」

「わかっとるわ」


 それが、この家に探偵部を泊める条件だ。

 それに俺は、もともと夏休みの宿題は最初の数日で全部終わらせるところまで終わらせて、計画的に過ごすタイプの人間だ。

 最終日にヒーヒー言いながら慌てるのは、性に合わない。

 大事なことは後回しにしない方がいい。


 俺は帰宅して早々に勉強机に向かっていた。

 集中して黙々と数学の問題集を解いていると、急にテレビの電源が入る。


「えっ!?」


 その時、母さんの聞いた噂のことが頭をよぎって、嫌な汗をかく。


 ————これは、さっき話していたポルターガイストでは?


 俺は慌てて、テレビのリモコンを探した。


「なんだ、これのせいか」


 ところがテレビのリモコンは、勉強机の端に置いてあった。

 問題集を解いている時に、リモコンの横に積んであった参考書に腕が当たり、ずり落ちた参考書の角がちょうどリモコンの電源ボタンを押しただけだ。

 ポルターガイストなんてあるわけない。


「あぁ、びっくりした」


 一安心して、また数学の問題集と向き合う。

 しかし、今度はケータイが鳴った。


『Oooh きっと来る きっと来る 季節は白く Oooh 限りない〜♫』



「うわっ!」


 設定した覚えのない着うたが流れる。


「誰だ!! 勝手にの主題歌に設定したやつは!!」


 キレながらケータイの画面を見ると、佐々木からの電話だった。

 こいつ、いつの間に俺のケータイの着うた設定を変えたんだ!?


「もしもし!?」

『おー小泉! お前さぁ、来週の土曜は暇か?』

「は……? なんなんだいきなり」

『8月3日の金曜から三日間、港祭りがあるんだよ。土曜は昼から夜まで露店やってるから、お前も行かないかと思って』

「港祭り?」

『市民の大半が集まる祭りだぜ? 先生たちも来てるし、去年なんて浴衣姿の雪子先生と会ったし……運が良ければ、今年も会えるんじゃないか?』


 ゆ、浴衣姿の雪子先生だと!?


「金曜でも土曜でもいい。行く」


 まんまと佐々木の口車に乗った俺は、冬野先生の浴衣姿見たさに必死で宿題のほとんどを終わらせた。


 そうして、港祭り二日目の昼過ぎ————


 会場近くの駐輪所に自転車を停めて、佐々木と向井と三人で会場を目指した。

 交通規制がされていて、会場には多くの人。

 一体どこから湧いて出たのかと驚くほどの人人人。


「おい、この中からどうやって冬野先生を探すっていうんだ?」

「そのうち歩いてりゃ出会うだろ?」


 佐々木は適当なことを言う。


「とにかく、まずは何食う? やっぱ、肉か?」

「そーだ! 小泉、お前まだアレ食べたことないだろう?」

「アレって?」

「フレンチドッグ!」

「……? なんだそれ」

「よし、じゃぁまずはそれだな!」


 そうして、ピンク地に紺色で『フレンチドッグ』と大きく書かれた屋台の行列に並ばされた俺。

 順番を待っていると、正面から見覚えのある巨漢が両手に買ったばかりのフレンチドッグらしきものを持って歩いて来る。

 これは、アメリカンドッグじゃないだろうか?

 あのまぶしてある白い粉はなんだ?

 砂糖か?


「お、前野じゃん! お前何? 一人で来たのか?」

「あ、探偵部!! ちょうどよかった!!」


 向井も気がついて声をかけた。

 向井の前の席に座っているクラスで一番の巨漢・前野良光よしみつだ。


「お前ら探偵だろ? 人探しを手伝ってくれないか」



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