雪女と異端の文化祭(了)


「くそっ!」


 俺はとりあえず警察に連絡しようと自分のケータイを手にしたが、ハッキングされている。

 電源を入れた瞬間に、こちらの操作とは全然違う機能メニューを押され、勝手に写真や動画を撮られた。

 ハッカーがインカメラで俺の焦っている顔を見ているのだろう。


「緊急事態だ。向井、聞こえるか!?」

『おう、どうした? 何があった!?』

「408教室に行って佐々木と合流しろ。俺も向かう」

『お、おう! 了解!』

「広瀬、職員室に行って警察に電話しろ。構内で人が殴られていると」

『えっ!? なんですって!?』

「いいから、言う通りに動け!」

『りょ、了解です!!』


 今の俺に使えるのはこの無線機くらいしかない。

 とにかく急いで408教室に向かわないと……伊勢谷会長が死んでしまう。

 俺は上の階へ行くため、階段を駆け上った。


『こちら佐々木、日菜子と合流した。何か叩くような音とうめき声は聞こえているが、内側から鍵をかけられているせいで中の様子がわからない、どうなってる?』

「わからない? ドアの窓から見えないのか?」

『内側まどに黒い紙か布が貼られているんだ』

「……とにかく、伊勢谷会長が信者たちに襲われてるんだ。ドアを壊してでも中に入れないか?」

『壊すって言われても……なんの道具もないし……』

「隣の教室から椅子とか、あとは……えーと、消化器とか……なんか固いものだ」

『そ、そうか! わかった』


 ああ、やばい。

 息切れしてきた。

 探偵部の部室から408教室って、こんなに遠かったか?

 ちくしょう、俺、マジで体力がなさすぎる。

 喉の奥が痛い。

 本来なら視聴覚室の前を突っ切れば早い408教室なのだが、凍死事件の時に爆発して壊れた天井や壁の張り替え工事のため、近道が封鎖されていて、遠回りしなければならない。

 不便すぎる!!


「あ、ちょっと、小泉くん!」

「え……?」


 408教室を目指して走っていた廊下の途中に、なぜか408教室の中にいたはずの神谷先輩が立っている。

 そんなバカな……神谷先輩は確かに、日菜子と一緒に408教室に入って集会に参加していたはずだ。

 日菜子を教室の外に出して、内側から鍵をかけた。

 伊勢谷真帆と会話していたじゃないか。


「神谷……先輩……? どうして、ここに……!?」

「私が聞きたいくらいなんだけど……私の待機場所、ここであってるよね? 無線機、雪子先生に渡してから戻ってこなくて……みんなケータイも繋がらないし、儀式はもう始まってる?」

「雪子先生……?」


 今、なんて言った?


「私、集会の参加者になる予定だったでしょ? でも、急遽変更になったからって、雪子先生に言われてここで待ってたんだけど」

「ここで待ってた? いつからですか?」

「えーと、みんなでカメラのセットをしていた時かな? 403教室の前で待機していてって、言われて……」


 それじゃぁ、408教室にいたのは、冬野先生!?


「と、とにかく、408教室に行きましょう!! 大変なことが起きてるんです!!」


 神谷先輩と一緒に408教室の前に行くと、丁度佐々木と向井が近くにあった消化器でドアの窓ガラスを叩き割っている最中だった。


「え、なんで神谷先輩と小泉がそっちから来るんだ!? 先輩中にいたんじゃ……!?」

「冬野先生だ……」

「え……?」

「中にいるのは、冬野先生だ。いいから、とにかく早くドアを開けろ」


 内側に黒い紙が貼られて割りにくかったようだが、ガラスは割れて、その破片で紙を引き裂き、ドアの鍵を開ける。


 教室の中は、真っ暗だった。

 俺が監視カメラで見ていた映像では、ロウソクの光が灯っていたのに、全部消えている。

 外は昼間の天気が嘘みたいに曇っていて、月明かりすらない。

 廊下の誘導灯の明かりしか、頼れるものはなかった。


 日菜子が手探りで照明を点けると、パッと教室内が照らされる。

 目に飛び込んで来たのは、白い狩衣を着ている伊勢谷真帆の手を踏み潰し、木の棒で起き上がれないように背中を床に押させつけている————制服姿の冬野先生だった。


「遅いわよ。探偵部。警察にはちゃんと連絡したでしょうね?」

「は、はい……」


 一体何があったのか、そこにいた巫女やもう一人の狩衣の男も、全員が床に倒れている。

 おそらく冬野先生が被っていたであろう前髪の長いカツラも、床に落ちていた。


「は、離せ! この雪女!!」

「うるさいわね。黙って寝てなさい、この気狂きちがい腐女子が」

「うぅ……」

「何が月神つきかみよ。私は神月かみつき派よ。異論は認めないわ。体の弱い月宮君の方が受けに決まってるでしょ!?」


 え、マジでなんの話……————?



 *


 その後駆けつけた警察により、とりあえず全員逮捕された。

 事件に関与した元手芸部の二人と、神谷先輩の弟も一緒に。

 巫女の姿をしていたのは森口さんで、狩衣の陰陽師的な格好をしていたの速水の姉・梨花と神谷先輩の弟・将生だった。

 伊勢谷真帆の手にはしっかりと手錠がかけられ、連行されながら何かほざいていたが、俺にはよくわからない世界の話。


 神谷先輩は、手芸部の後輩たちと弟が事件の主犯格であったことにショックを受けて階段に座り込んでいた。


「将生と月宮くんの関係は知ってたけど……まさかこんなことになっていたなんて……」


 なんの相談もされなかったと、自分の手で涙を拭う。


「あなたを巻き込みたくなかったんじゃない? F中手芸部の顧問の先生に聞いたけど、あなたは卒業した後も、手芸部の活動をOBとして手伝いに行っていたんでしょう?」


 冬野先生は制服姿のまま、神谷先輩の隣に座った。


「月宮くんが亡くなって、学校に来なくなった弟さんを励ましたのもあなただって、聞いているわよ」


 いつも冷たい、クールな冬野先生がなんだか慈愛に満ちた表情を向けているように見える。

 俺は少しだけ、神谷先輩に嫉妬した。



 *



 文化祭最終日。

 探偵部の発表会は過激すぎるということで中止になってしまい、暇になった俺は、土産にクレープを持って保健室を訪ねた。

 冬野先生はまたいつものように扇風機の風を浴びながら、読んでいた文庫本をデスクに伏せて置き、クレープを受け取る。


「あら、梨が入ってる」

「お好きかと思いまして……」

「さすが探偵部。わかってるわね」


 洋梨の缶詰が入ったクレープにかぶり付く先生。

 鼻先に少し生クリームがついている。

 可愛い。


「————それにしても、どうして先生は犯人が彼女だとわかったんですか?」


 昨夜の事件、まだわかっていないことが多すぎる。


「気づいたのは、当日のお昼くらいかしら? 一年生の展示を見に行った時に、速水悠花さんが二人いると思ったの————」


 気になって一年生の学年主任に名簿を見せてもらったところ、二組に伊勢谷真帆がいることに気がついた。

 学生証用に撮った顔写真で、伊勢谷真帆はメガネをかけていなかったが、髪型と顔つきが速水に似ているし、何よりあの日、怪我をして保健室に相談に来た日、本物の速水悠花は風邪で欠席している。

 それに、速水悠花は演劇部には所属していない。

 保健室で作戦会議をした時、演劇部だからと自負していたのを冬野先生は聞き逃さなかった。


「違和感はあったのよ。制服の名札、材質が違うような気がして。多分自分で作ったのね」

「なるほど……それじゃぁ、あの場にいた全員をどうやって倒したんですか? みんな武器持っていたのに」

「…………」


 この質問をした途端、冬野先生はまたクレープにかぶりついた。


「……それより、ハッカーの方が捕まってないのよ。小泉くん、PCをハッキングされた時、能面の画像を見たんでしょう?」

「え、そうですけど……神谷将生じゃなかったんですか?」


 てっきり神谷将生がハッキングしていたのだと思った俺は、先生が質問に答えていなかったことに気づかない。


「私もそう思ってたんだけどね、ネット掲示板で上で知り合った人らしいわよ。もうケータイのウィルスは自動的に削除されたからいいけど、これからは気軽に怪しいメールは開かないことね」

「……そうですね」


 何もかも見られているなんて、ごめんだ。


「ああ、それと、こっちも消さないと。ケータイ」

「へ……?」


 手を差し出されたので、言われたまま俺はポケットからケータイを出して、冬野先生に渡してしまった。


「盗撮はダメよ」


 昨日どさくさに紛れて撮った、制服姿の冬野先生の写真。

 全部削除されてしまった。


「えええっ!?」

「ええじゃない。あとで佐々木くんのケータイも持って来なさい。盗撮は犯罪なの」

「いいじゃないですか、一枚くらい!」

「ダメ」

「それじゃぁ、一緒に撮ってください」

「は?」

「盗撮じゃなきゃいいんですよね? 待ち受けにするので……!! ほら、クレープ!! 俺が買って来たクレープ食べたでしょう!?」

「う……」


 そうして、渋々許可を得て、一緒に撮ったツーショットの写真は、今でも大事に保存してある。

 冬野先生は相変わらず無表情だったけど、鼻のクリームについていることに気づいていない。

 時代がケータイからスマホに変わってからも、データはずっと残ったままだ。




(第二章 雪女と異端の文化祭 了)



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