最期の晩には温すぎる
@kajiwara
招かれざる客
ふわりと形良く乗っている、オムライスの上部をスプーンで掬う。待ち切れない様に、その少女はスプーンに乗っているオムライスを口に運ぶと、ごくん、と飲み込んで目を輝かせながら向かい側に座る父親へと満面の笑みを浮かべて言う。
「美味しい!」
「宗吉さんの作るご飯は全部美味しいもんな」
そう父親が称賛すると、カウンター内でワイングラスを整理しながら壮年の男性――――田中宗吉は微かに口元を微笑ませながら、謙遜する様に父親へと言葉を返す。
「香菜さんのお眼鏡に叶って光栄です……。凄くドキドキしてましたが」
「もう。宗吉さんってばいつも来てるのに」
母親からそう言われ、いえいえ、いつも初心のつもりで作っておりますので……と宗吉は腰低く答える。香菜だけでなく、両親ともに宗吉の作った洋食を残さず綺麗に完食している事がある種言葉以上の称賛を意味している。すっかり食事を堪能した三人に、宗吉は小さなお盆にのせて、最後のデザートを提供する。
「こちら、ちょっとしたサプライズで……」
「えっ、そんな頼んでないのに……」
「もし美味しければ会計の時に感想でも。次のレギュラーメニューにしますので」
目に見えて香ばしさが伝わってきそうな、焦げ茶色が鮮やかに彩るクリームブリュレを振る舞う。三人ともその小粋なおまけもしっかりと食べ終わり、母親がとても美味しかった、また是非食べたいと伝えてくると宗吉は照れ臭そうに採用しておきます、と答えた。
「バイバーイ!」
父親に抱っこされた香菜が元気に手を振るのを、宗吉は同じく手を振って見送る。ここはとある県の小さな洋食店――――ひだまり、という名の洋食店だ。開店したのは五年前。店主、もとい全ての料理を司るシェフは勿論宗吉。決して都内のレストランなどに比べたら店内は広くはない。し、奇抜であったり、本格的なフランスやイタリアなどの現地の料理を再現した、だとか本場から素材を直輸入した(勿論宗吉自身が厳選した良い食材は使っているが)、という拘りがウリでもない。
しかし、香菜に提供したオムライスを始め、ミートソースやナポリタン、ハンバーグやムニエルなどの宗吉が技術と真心を全力で込めて提供される洋食は美味、どこかホッとする味らしく地道にリピーター、もとい地元に住む人々の胃袋を掴み、その結果馴染みのある、いつ来ても美味しいレストランとして愛されるようになった。
「宗吉さん!」
厨房内で元気な声が響く。明日使う食材、タラをしっかり下ろしたり、野菜の類を細かくカットしている赤毛交じりの短髪の青年が整理を終えた宗吉に声を掛ける。宗吉はその青年に顔を向けると、柔和な表情で。
「大吾君、後は俺が仕込んでおくから上がってくれ」
「えっ、俺もう少しやっていきますよ。量多いですし」
「良いよ良いよ。いつもありがとな」
宗吉にそう言われて、大吾は使っている包丁をすぐさま洗い、腰元のエプロンを取り外す。外して心配そうな表情を浮かべて。
「宗吉さん、ホントに一人で大丈夫ですか……?」
「少なくとも君より体力はあるからな」
と、宗吉がグッと両腕を上げるとポキポキ、と妙な音がして大吾は思わず苦笑いする。じゃあ俺、今日は上がります、と言いつつ大吾はポリポリと首を掻く。何となく帰りたがらない大吾に、宗吉は小さく何かを察してあげる様に溜息をついて。
「……喧嘩したのか、ほのかちゃんと」
ギクッ、という擬音が出そうな感じで肩を震わす大吾に、ちょっと待ってなさいと宗吉はレジ内の下にあるメモ帳を一枚千切ると、エプロンポケットに挿してあるボールペンでさらさらと何かを書き出す。そうして書いたのを大吾に手渡した。大吾が不思議そうにそれを眺めていると。
「前に彼女が好きな食べ物を話してくれたろ。その食べ物の旨い調理法だ」
「良いんですか、秘蔵のレシピとかじゃ……」
「代わりにちゃんと仲直りする事。それが条件だ」
あ……あざっす! と大吾は深く宗吉にお辞儀をすると、代わって軽い足取りで店を後にする。やれやれ……とその様子を微笑ましく眺めながら、宗吉は大吾含め、雇っているスタッフが帰宅後に残った仕込みをする。この時間がある種、宗吉にとっては最も心が落ち着く、安らぐ瞬間だ。
賞味期限の近い食べ物をどう活かせば有意義に使えるか、無駄なく、かつお客様の満足が出来る様に工夫できるか。それは食材達と宗吉の言葉を交わさぬ会話、セッションである。勿論、そのセッションが上手くいかない時もある。だが、それもまた経験としての糧となる。無駄な食材が無いように、無駄な経験もない、と宗吉は考えている。さて、取り掛かるかと俄然やる気になっていた、その時だった。
ホールの方で客の来店を知らせる、ドア上部のベルが鳴り響いた。
大吾の奴、裏口から出ないで横着して店側から出たな、と宗吉は呆れながら厨房からホールの方へと出向く。そこには、一人の人物がドアを塞ぐように立っている。一目見て、宗吉は微かに心がざわめく。失礼ながら、奇妙な客だと感じたからだ。
ドアに今日の営業が終わった事を示すプレートを、準備中と反対返しで回していたはずだが、その客は堂々と入ってきた。上に、外の天気は全く雨天などではなく終始快晴な筈だが、下は黒いジャージに上から被さる様に青色の大きめなレインコートを羽織り、かつ頭をフードですっぽりと隠している。宗吉は比較的男性の平均身長より高い方だが、そんな宗吉よりも背丈が高いのも威圧感を醸し出している。
――――強盗か。宗吉は頭の片隅でそう懸念を抱く。しかしこういうケースは全く初めてではない。過去に何度か宗吉が、あるいは他スタッフが職務中に2回ほど強盗が入ってきた事はあった。その際には身の安全を最優先にして、レジ内の現金、今日の分の売り上げを手渡したら運がいいのか、すぐに退散してくれた。のちに警察のお縄になり全てではないにせよ、現金もある程度返ってきた。
仮にこの者が従来の強盗であるならば、今回もそれで行けるのではないか、と宗吉は考える。ひとまず、ひとまずだと刺激しない様に、かつこれで帰るとは思わないが……柔らかく声を掛けてみる。
「お客様、大変申し訳ありません。もうオーダーストップで……」
その客、レインコートは宗吉の言葉を無視する様に近くのテーブルへとズカズカと歩き出すと、乱暴に椅子を引き出してその場にどさっと座った。傍らには何が入っているのか知れないが、かなり重そうな重量のボストンバックさえ傲慢に床置きして。
参ったな、これは……。まだ良くはないが目的は分かりやすい強盗の方がマシかも知れない。しかし長らく店をやって来ていて厄介なクレーマー、虫が入っていただの、味が薄い濃い、値段がおかしいなどの難儀な客は相手してきたがこんな系統の輩は宗吉にとって初めてだ。
地元のリピート客には警察関係者もいるし、あまり事を荒立てたくはないが警察も視野に入れようとした矢先、レインコートは宗吉に言い放った。
「すっかり別人になったみたいですねぇ、”紫陽花”さん」
その言葉が耳に入ってきた瞬間、宗吉の表情に若干変化が生じる。先程までの困った客に困惑する、気のいい店主からどことなく目つきが暗くなり、途端宗吉が無言で動き出そうとした、瞬間。
一瞬であった。
ギッと噛んだ唇から血が流れる程、宗吉はその痛みに体がぐらつく。反射的に右肩を左手で押さえながらよろめきつつ、適当な席に腰が落ちてしまう。
見切れなかった。宗吉が動くよりも手早い動作でレインコートは懐から拳銃を、サプレッサーが装着された拳銃で宗吉の右肩を撃ち抜いた。
痛みで歯を食いしばりながら前を睨む宗吉に、レインコートは淡々とした口調で続ける。
「貫通してるからまだ死ねないのはあんた自身が一番分かるよな、紫陽花さん。いや、どう呼んで欲しい? 宗吉さんかな」
「……誰だ、お前は」
宗吉がそう聞くと、拳銃を手元にチラつかせつつレインコートは両足を組んでゆったりとした語り口で。
「素敵なネーミングだよなぁ。殺した死体をお気に入りの花壇に埋めるから紫陽花って。俺もそんなの欲しかったよ。俺なんて鼠に食われかけてたから鼠だぜ。センス無さすぎだろあのジジイ」
「要件を言え。……俺の何が欲しい」
もったいぶる様にレインコート……もとい、鼠、となるその男はあー、そうだなぁと首を左右に揺らして、わざとらしく拳銃を音を鳴らしながら弄る。表情の見えないフード越しに、宗吉はこの男の正体を脳内で手繰る。そう、「敵」なら多々浮かぶ。宗吉がここに至るまでの過程で――――自分を恨み、排除したいと願うであろう人間の数は数多に。だが、老化のせいか、それかすっかり平穏な暮らしに鈍ったのか、すぐに辿り着けない。
「欲しい物はない。ただ、あんたを丸裸にしてみたいんだ」
「何をふざけた事を……」
「安心しなよ。傷つけたいのはあんただけだ。今の所な」
そう言いながら鼠は椅子から立ち上がる。そうして下のジャージを探って何かを取り出した。スマートフォンだ。そのスマートフォンを起動させて、パネルを宗吉の目の前へと突きつけてきた。
「これ、何かわかるか? 分かるよな」
宗吉は表示されている物をいやでも見てしまう。そこには人物名の一覧表があり、じっと宗吉は目を凝らす。その内容は……ひだまりをよく利用してくれる、言わば地元客の名前、住所、電話番号がびっしりとリストアップされた一覧表だ。愕然とした顔になる宗吉に対し、鼠は言い放つ。
「香菜ちゃんだっけ、さっきの子。良いよなあ健康的に育っている子は。目が眩しくて潰れそうだわ」
「お前……」
はっきりと憤怒の色を浮かべる宗吉を嘲笑う様に、鼠は指先でパネルをスライドしていく。そこにはいつ盗撮したのか、リストアップされている住人達の日常風景がいくつもいくつも表示されている。玄関先で犬と戯れている夫婦や歓談を交わしている主婦、通学路の子供……その中には先ほど宗吉の料理を楽しんでいた、香菜達家族が公園で和んでいる写真もある。写真に写る全ての人物を宗吉は知っている。五年間の蓄積で、顔も、名前も。
「最初に立場を理解して欲しいんだわ、紫陽花さん。俺が上、あんたが下。そこを前提にしよう。OK?」
軽薄な、非常に馴れ馴れしい口調で鼠はそう言いのける。宗吉は一瞬の激痛、からの流れ続ける右肩からの流血で頭が若干朦朧としてきている。掌はすでに真っ赤に汚れており、止めどなく流れる血が伝って、ズボンと床下を痛々しく染めている。それでもどうにか、下唇を軽く噛んで、気を失わない様に堪えている。
「痛いでしょ。まぁ、あんたに殺されてきた人間の痛みに比べたら些細なもんだろうな。……で、だ」
スマートフォンを仕舞うと両手をパン、と音を立てて鳴らすと鼠は弾んだ声で。
「このままあんたを殺しても良いんだけど、それは凄くつまらない。だからさ、クイズをしたいんだよね」
「ク……イズ?」
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