第45話 欲望のかたち


「とりあえず落ち着こうぜ。パーティータイムならもっといい場所があるだろ」

 突きつけられている竹刀はどんな真剣よりも怖ろしく感じる。どんな武器だろうと使用者の実力次第で生命を奪うことだって可能なのだ。

「やっと理解した。やっとわかった」

 眼前に立つ女性は普通の剣士ではない。怒りに狂う凶戦士だ。地獄の底から響くような暗い声。怪しく光る二つの瞳には燃え盛る黒い炎が見えている。下手に背中を見せたらその瞬間に叩き切られる。

「どうするんだよ。こうなったのも君のせいだ」

「知らねぇよ。頼んだわけじゃねぇ。まぁこういうプレイも面白そうだがな」

 未可子は門番のように扉を背にして陣取っており、簡単には逃げられない。あの頑丈な扉を開けるだけでも手間がかかる。その間に脳天を打ち抜かれるだろう。

 かわいらしい手紙で呼び出され、体育倉庫に向かったらこれである。待ち伏せていた未可子に扉を閉められてしまったのだ。はっきり言って最悪の相手である。まだ顔も知らない賞金稼ぎとかの方がマシだった。

「あんたは悪いモノにとりつかれている。きっとそいつに動かされているのよ」

当たらずも遠からずだ。一部の者からすればガデスの行動は悪夢である。

「そりゃ難儀だな。霊媒師にでも相談するか」

 こんな状況でも軽口を叩く姿には感心してしまう。煽っているつもりがなくても怒りの炎に油を注いでいる。

「大丈夫よ。相談料も手間もかからない。だって」

 振り上げる竹刀。引き攣る口端。怒りに震える手が解放の時を待つ。

「私が祓ってあげるから!」

 全身全霊の一撃が床を打ち砕く。そのまま破壊してしまいそうな勢いだ。間違っても幼馴染にするものじゃない。


「ば、バカ、落ち着け。俺は痛い目に遭って興奮する趣味はない。どうしてもって言うなら然るべき店でやろうぜ」

「大人しくしなさい。すぐに終わらせてやる」

 必死になって倉庫内を逃げ回るが、狭い室内では行動が制限される。ほぼ全てが竹刀の届く範囲だ。罠に引きずりこまれたようなものである。動くたびに身体のあちこちをぶつけていた。

「昨日の続きがしたいなら素直に言えよ。少し埃臭いがベッド代わりもあるし、満足させてやるから。任せろ。ガキ相手でも充分おったてることが」

 ガデスの鼻頭を竹刀が通過する。あと数ミリずれていたら鼻を削ぎ落されていた。挑発する意図はないのにますます怒りを助長させる。

「あんたはここで死ね!」

「元に戻すんじゃねぇのかよ!」

 竹刀が振るわれるたびに塵と埃が舞い上がり、咳き込んでしまう。出口は一つだが立ちはだかる姿はどんな屈強な戦士よりも厄介だ。

「何とかしなよ、大泥棒。竹刀なんて取り上げればいいだろ」

「アホか。流石にありゃ無理だ」

 怒りのままに暴れる未可子は嵐のようなものだ。迂闊に手を出せば返り討ちに遭う。盗むには一瞬の隙を衝く必要があるがそもそも隙が無い。

 ガデスは戦士ではない。あくまで泥棒である。純粋な戦闘力なら彼より上の者はいくらでもいる。おまけに今は両介の肉体を使っている。

(そういえばシャリアが言ってたな)

 実戦はゲームではない。どんなときも自分の百の力を当たり前のように出せる訳ではないのだ。状況によって達人でも後れを取ることはある。

 だからこそ鍛え続けているのだ。常に力を出せるように。

 一方のガデスはそんなことなどしない。窃盗団相手に大立ち回りをできるのも彼であり、ただの女子高生に負けるのもまた彼なのだ。この不安定さも実にガデスらしい。

「少しは前向きになったと思ったらこの始末。安心しなさい。次に目が覚めたら全部終わっているから」

「どこにそんな保証があるんだよ」

 一見すると過激で無茶苦茶な行動だがこうなるのも無理もない。未可子はあまりにも不憫だった。一日ごとに振り回されており、傍から見れば気持ちを弄んでいるようにしか見えない。素直に同情できるくらいだ。

「他人事みたいな目をするな。少しは協力しろや」

「いやいや。男女関係の縺れを何とかできるほど経験がありませんので」

 遠巻きに見ていた両介が猫の手を器用に振る。両介もガデスには一発くらわせてほしいと思っていた。反省などしないだろうが少しは痛い目に遭った方がいい。あまりの暴虐不尽な行いに対する報いである。フォローする必要もない。自分の肉体だがダメージはこないので安心だ。


「悪霊め、何をごちゃごちゃと。覚悟しろ!」

 ボールを入れる鉄の籠に乗って攻撃をかわしたが、降りる際に足を取られしまい、バランスが崩れる。すかさず脳天に竹刀が振り下ろされた。

「ぎ、ギリギリセーフだな」

 何とかバレーボールで受け止める。心なしか湯気が上がっている気がした。必殺の一撃は防いだが安心できない。鍔迫り合いのようにぎりぎりと押し合っている。

「悪いがここで簡単にやられるわけにはいかないんだよ。死ぬならせめて自分の肉体で死にたいからな」

 ガデスは死を恐れていない。どれほど惨めな最期でも笑って受け入れられる。未練を残すような生き方をしていないからこそ、今の状況が嫌なのだ。

「命乞いなら後でやりなさい。聞く耳はもたないけどね」

 受け止めているボールが徐々に押し込まれていく。下手に避けようとすれば、返す刀で攻撃を受けるだろう。

「この行動を否定するつもりはねぇよ。ただこのままじゃ納得できないぜ」

「訳のわからないことを言って誤魔化すな!」

「誤魔化してるのはお前だよ。お前はどの俺がいいんだよ」

 眉が大きく動き、勢いが弱くなる。力強く震える竹刀が僅かに緩まる気配がした。

「今の俺か、前向きで真面目になった俺か、それとももっと前のやつか。どれならいいんだよ。どれに戻って欲しいんだ」

 突きつけられる選択に怒り以外の形で表情が歪む。思ってもいなかったことを暴かれたからだ。


「あるところに綺麗な宝石がありました。だけどそいつは金持ちにしか見ることができません。ガキには決して手の届かない高値の花だ。お前ならどうする?」

 突然の問い掛けに両介は眉をしかめる。この状況で発する意図が読めないし、内容もよくわからない。未可子も同じだったが、困惑しながらも素直に答える。

「我慢するしかないじゃない」

 欲望が全て叶わないのは子供にだってわかることだ。どこかで諦めたり、折り合いを付けながら大人になっていく。

「だからダメなんだよ。もっと簡単な方法があるじゃんか」

 曇りのない笑顔を浮かべる。子供みたいに瞳が輝いていた。


「盗めばいいだろ。見られないなら強引に見てやるのさ」

 わかっていた答え。彼なら必ずそうするだろう。


「そんなの」

「我慢するよかよっぽどいいだろ。俺にとってはそっちの方が遥かに気持ち悪いね。テメェの欲望を果たすならとことんやらないとな」

 恐らくこれがガデスの始まり。その瞬間に道を踏み外したのだとしても後悔はなかった。理屈ではないのだ。

「あんときは最高の景色だった。だからお前も欲望を叶えるなら最高の形でやれよ。そうじゃなきゃ勿体ねぇぞ」

 どんなときも己の欲のままに従うからこそ、ガデスはあらゆる欲望を愛している。下らなければバカにする。自分を害するものなら嫌がりもする。だが他人の欲望そのものを否定はしない。

「そしたら俺がコナかけてもいいと思える女になるかもな。もう少し後なら肉体も美味くなるだろう。ちょいと筋肉ありすぎて硬そうだがな」

 空気が変わり、再び怒りが大きくなる。緊張感が増したのがはっきりわかった。

「また余計なことを。逃げ切れたかもしれないのに」

「抜かりはないぜ。これは何でしょうか?」

 片方の手を開くと女性の下着が出てきた。未可子は竹刀から手を放し、確かめるように身体を触る。その隙を見逃さない。


「じゃあさいなら」

「待ちなさい。許さないんだから!」

 背中から飛ぶ罵声に振り返らない。こうなったら追いつかないだろう。逃げることなら誰よりも優れている男だ。

「君は話をややこしくする天才だね。これからどうするんだ」

「俺が頼んだわけじゃねぇよ。明日のことは明日なんとかしろ」

 ガデスの肩に掴まりながら、両介はため息を漏らす。慣れてきている自分が恐ろしかった。頭を痛めたり、怒るのがバカらしくなっているのだ。


(僕はどんな自分がいいのかな)

 ガデスの言葉が頭の中で何度も響いている。ガデスは本当に困った男である。毎度の如く振り回されており、トラブルの種を撒き散らしている。

 だがシャリアも似たようなものである。彼女は怒るだろうが、両介からすれば違う意味で安心できない存在。そういう意味で二人は同じなのだ。

 果たして自分はどちらといるときがいいのか。答えなんて簡単に出せなかった。

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