第37話 奮戦

 シャリアは竹刀を右手で構え、片方の手を腰の辺りに添える。両足はしっかりと大地に根差しているが肩の力は抜けていた。剣術の構えでないことは、武術に疎い両介にもわかる。恐らくシャリアが生み出した独自の型だろう。

 男たちがシャリアの前に立ち塞がる。遠巻きに様子を窺っていたが、どうやら覚悟を決めたようだ。

「くそが!」

 バッドを構えた男が襲い掛かる。まともに当たれば、骨を潰すだろう一撃はあえなく空を切り、その顔面へ竹刀が叩きこまれた。鋭い打撃音は顔ごと切り裂いたような錯覚を起こさせ、男は糸が切れた人形のように倒れ込んだ。離れた場所からでも気絶したのがわかる。

「死ねこら!」

 殺意に満ちた声をあげ、ナイフを構えて突進してくる。触れるだけで簡単に人を傷つける凶器だが、シャリアが動じることはない。左手で服を引っ張って体勢を崩し、こめかみに竹刀の柄を叩き下ろした。

 あっという間に二人が落ちてしまった。流れる動きは作業をこなすような感覚である。

 予想だにしなかった展開に窃盗団がたじろいでいる。先程までとは違う感情が渦巻いているのだ。動揺は伝播していき、熱くもないのに汗を流している。誰かの唾を飲み込む音が聞こえる気がした。動きたくても思うように動けないのだ。

 数々の悪事を働き、裏の世界を沢山見てきた彼らでさえ、ここまで強く感じたことはないだろう。

 己の運命を握られる感覚。余計な動きは許されず、泣き言すら通じない。相対するだけで身を竦ませ、呼吸すら苦しくなる。


 それは圧倒的な『恐怖』だ。


「一気に掛かれ! さっさと潰してこい!」

 羽黒が大声で怒鳴りつける。時間をかけるほど士気が低下し、不利になることを察したのだ。味方が崩れる前に勢いで誤魔化せばいい。

 シャリアは真っ直ぐに駆け出し、自ら敵の集団へ飛び込んでいく。数の差など物ともしていない。

 竹刀を振り回すたびに男たちが倒れていく。乱戦の中でも攻撃は当たらない。まるで踊っているような戦い方だ。吉崎の踏み込みも速かったが、彼女はそれ以上だった。

 あれだけ間合いが狭ければ、竹刀を使うのは不利に思えるが、シャリアには関係なかった。距離が近すぎれば柄をぶつけ、少しでも下がれば、中結の部分が飛んでくる。振り抜かれる一撃は確実に相手を捉えていく。

 恐ろしいのは竹刀だけではなかった。

「このや、ごはっ!」

 背後から掴みかかろうとした敵を掌底で打ち抜く。激しい衝撃が腹部を貫き、胃液を零しながら肉体が九の字に曲がった。息つく暇もなく男の顎をはねあげる。しっかりと腰が入っており、単純に拳で殴るより強力。骨を砕いたのかと錯覚させる。

「ち、ちくしょう!」

 不利を悟った大柄の男が武器を捨て、咄嗟に防御へと回る。太い両腕を前に出し、己の身を縮こまる姿は岩を連想させた。

 流れの中で起きた予想外の反応。誰も壊せないように思える強固な構えだが、足を止めることなく冷静に対処する。

 服の一部を掴んで重心をズラし、たちまち相手の防御を崩してしまったのだ。僅かにできた隙間を縫うように叩きこまれる打撃。悲鳴が聞こえることはない。

 一見すると呆気なく見えるが、決して簡単なことではない。相手とは体重差があり、全力でガードしているのだ。仮に両介や吉崎が同じことをしたところでビクともしないだろう。シャリアは力の抜けるポイントを見抜き、最適の崩し方を選択したのだ。

 武器の扱いだけでなく、格闘戦も並大抵のものではない。まるで生き物みたいに滑らかで利き手などないに等しい。黙っていてもやられるし、仕掛ければカウンターを叩きこまれる。相手からすれば悪夢だろう。怪物に襲われるみたいなものだ。

 それでも逃げないのは単純な仲間意識だけではない。逃げても無駄だということを本能で感じ取っているのだ。ここで倒さなければ終わりなのだ。



「ば、バカな。ありえない」

 吉崎は目を見開きながら、うわ言のように呟く。驚きと疑念が混じっており、目の前で繰り広げられる光景が信じられないのだ。

「足運びも竹刀の振り方も滅茶苦茶だ。あんなことできるはずない」

 武器にはそれぞれに適切な間合いや力の入れ方がある。力任せに振り回してもそれなりのダメージは与えられるが、人間を気絶させることはまずできない。使いこなすには相応の技量がいるのだ。下手に扱えば自らの足を引っ張るだけである。

「で、でも実際に倒してますよ」

 普段から剣を扱っている彼らからすれば、シャリアの型は余計な部分が多すぎる。あんな動きでは、あれだけの人数を相手にするのは不可能なのだ。

 その気持ちはよくわかる。剣を振るったことのない両介から見ても、効率的とは思えなかった。

 しかし、どんなに理不尽で非効率的だとしても起こっていることは事実である。シャリアの戦いは単純な常識や枠に収まるものではないのだ。

「剣の強さだけじゃない。どうしてあんな迷いなく動けるんだ」

 集団戦において重要になってくるのは、単純な腕力よりも情報処理能力だ。

 シャリアは確かに強いが、姿かたちはあくまで普通の人間である。十人や二十人を腕の一振りで倒せるような神話の怪物ではない。流れの中で戦う必要がある。

 誰を優先して攻撃するか。防御か回避か。次はどう動くのか。目まぐるしく変化する状況に対応しなければならない。

 そこにマニュアルなど存在しない。相手は計算通りに動いてなどくれないのだ。時に不可解かつ非効率としか思えない動きをする者もいる。逃げ出す相手だっているのだ。状況に応じて素早く判断しなければならない。

 もちろん長く戦えば体力も低下するし、メンタルだって削られる。思考が停止すれば、足も止まる。その瞬間が僅かな隙となり、命取りになるのだ。

 今は良い流れの中で戦っているが、予測不可能な事態に陥ることも多々あるはずだ。


「危ない! 市川!」

 倒れていた男が背後からシャリアの足を掴む。必死に意識を繋ぎ止め、這いずりながら忍び寄ったのだ。まさしく値千金の働きといってもよい。その根性は大きく実った。

 頭上から鉄パイプが振り下ろされる。すかさず両手で竹刀を握り、攻撃を受け止める。バットと竹刀がぶつかり合い、鍔迫り合いの形になった。

 攻撃が届かなかったように見えるが、彼らの狙いはこの状態に持ち込むことだった。

 がら空きになった腹部へ金属バッドが向かってきた。鉄を曲げるかのようなフルスイング。人数を活かした見事な連携。ついに怪物の尾を捉えたのだ。

「シャリア!」

 両介の悲鳴が轟くなか、誰もが次に訪れる瞬間に息を呑む。

 突然竹刀を手放し、後ろに倒れたのだ。いきなり標的が消え、バットは空を切る。鉄パイプを持っていた男もバランスを崩した。

 シャリアは倒れ込みながら、足を掴んでいた男を肘で打つ。鋭利な棘は的確に肉を貫き、苦悶の表情を浮かべながら手を離した。今度こそ動けそうにない。

 その場で起き上がる勢いを利用し、二人に蹴りを入れる。悶絶するところへ更なる追撃。倒れたまま目を覚ますことはなかった。痛みを感じる暇がほとんどなかったのは救済かもしれない。

 何事もなかったように落ちていた竹刀を取る。無茶な体勢でもあれだけ腰の入った攻撃ができるのだ。相手からしたら堪ったものじゃないだろう。

 窃盗団にとって最大のチャンスは無慈悲に潰された。


「ば、ばけもんだ」

 最後に残った男が腰を抜かす。声音は恐怖に震えており、戦う気力が残っていない。自分の味方が成す術なく倒されいくのだ。これまで何とか保っていた糸が完全に切れてしまった。

 歩を進めていたシャリアが足を止め、竹刀を振るう。やけくそのように石とコンクリートの雨が降り注いだからだ。ほぼ通じないとわかっていても僅かな可能性に賭けるしかない。また彼らには高所を取っているという安堵があった。ここまでは攻撃が届かず、一方的に迎撃できる。いざとなれば逃走だってできるのだ。


 だがそんな認識を許すほど、シャリアという存在は甘くない。


 攻撃の隙間を掻い潜り、落ちていた廃材を踏み台にして、上の階へと跳び移る。どんな使い方をすれば、自分の肉体でそんな動きができるのか。両介は今更ながら信じられなかった。

 下の階にいる自分たちには彼女たちの姿が見えない。代わりに聞こえてきたのは身を裂くような断末魔だった。

 ここに残された男からすれば、モンスター映画の被害者のような気分を味わっているはずだ。姿の見えないことがより恐怖を煽り、哀れなほど身を竦ませている。

 やがて全ての音が止み、静寂が場を支配する。上の階が制圧された証拠だろう。

「うわああああああああああああ」

 男は這いずりながら逃げ出そうとする。最早形振りなど構っていられない。後で羽黒からどんな目に遭わされても構わない。この場から一刻も早く立ち去りたかったのだろうが、その願いも叶うことはない。

 激しい墜落音が木霊し、巨大な物体が行く手を塞いだ。目を見開いており、舌が力なく垂れている。紛れもなく怪物にやられた仲間の姿だった。

 次に頭上から振ってきたのは仲間をこんな風にした存在である。

「あひ、あ、たす、たすけ」

 睨まれるだけで身動きできなくなり、声にならない声を出していた。

 シャリアが優しく手を伸ばすと、男はその場に崩れ落ちる。どうやったのかは知らないがほとんど痛みを与えることなく、気絶させたみたいだ。


 こうして場は制圧された。恐らく十分にも満たないだろう。規格外なのはわかっていたが、まさかここまでとは思わなかった。これで本来の肉体ではないのだから、あまりにも恐ろしい。

 ガデスが嵐だとすれば、シャリアもまた同じ。

 悪を逃がさない巨大なる嵐。相手の生命は奪わず、捕まえることに全てを懸けるのだ。

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