第35話 そして悪党は微笑む


「ありゃりゃ。だから言ったのに」

 ガデスは目を丸くしながら呟く。タバコを吸いながら観戦する姿は、実に無責任で気楽なものだ。バラエティ番組を観ているようなもので、誰よりも状況を楽しんでいた。

「もう少し何とかなると思ったけどな」

 吉崎をバカにしたり、見下している様子はない。順当にレースが進行し、一番人気の馬が勝ったような感覚。あるいは強豪校と弱小校の戦いみたいなものだろう。起こるべきして起こり、負けるべくした負けたのだ。

「気づいてたの?」

 両介が問いかける。肩に乗っているので暗くても話しやすかった。

「殺気が駄々洩れだったからな。無修正ポルノみたいなもんだ」

 その例えはよくわからないが、ようは丸見えという事だろう。

「だったら教えてあげればいいのに。少しはサービス精神を働かせなよ。黙って見ているなんて悪趣味だと思うけど」

 簡単そうに言うがガデスじゃなければ気づかないはずだ。薄暗い広間は灯りが当たっている場所以外の視界は悪い。人数もいるので気配を感じることはできない。事実、両介は上に人が潜んでいるなど思いもしなかった。

「俺が言ったって聞きやしないだろ。一応忠告はしてやったんだ。感謝して欲しいくらいだぜ」

 確かにあの勢いでは時間をかけて説明したところで突っぱねるか、信用しないかのどちらかだろう。ガデスも最低限の事はしたのだ。

「それに不利ってだけでどっちに転がるかわからないだろ。男はやっぱ大穴に突っ込まないとな」

「見事に負けてるじゃないか。これじゃ破算だよ」

 吉崎の動きは見事だった。単純な力量ならここにいる者に負けない。まともに戦ったら、この人数でもそう簡単に遅れなど取らないはずである。

 だが残念ながらこれはまともな戦いではなかった。

 相手に打ちかかった際、頭上から石やコンクリートの破片を投げてきたのだ。吉崎は想像もしなかったに違いない。目の前の敵に集中するあまり、まともにくらってしまった。

「単純だが効くんだよな。場合によっちゃ拳銃よか強力なときもある」

 たかが石だとバカにすることはできない。あんな固くて尖ったものを何度もぶつけられたら痛いに決まっている。しかもこれだけ視界が悪いのだ。どれだけ恐ろしいものか想像するだけ身が震えた。


「この人たちってそういうことだよね。君は本当に厄介なものを引き付けるな」

 統率が取れており、組織的な動きもできる。ただの不良の集まりには見えなかった。噂の窃盗団とは恐らく彼らだろう。最近この町で起きている事件に大きく関わっているはずだ。

 何となく嫌な予感はしたが、本当にガデスが当たりを引くとは思わなかった。やはりトラブルの星の元に生まれているのかもしれない。

「あの野郎もなかなか頭を使ってるぜ。ちゃんとこの場所を活かしてやがる」

「どういうこと? 隠れる場所も多そうだし、誰でも使えるんじゃないの」

 この廃ホテルは普段から人が寄り付かず、警察だって見向きもしない。回収し忘れた家具なども置いてあり、悪党にとって非常に優れた立地をしていた。一般人でもアジトとして使用できるくらいである。

「城が良くても、守る人間がバカなら落ちるだろ」

 何となく言いたいことがわかった。優れた道具は単体でも強力だが、使う人間が賢ければより効果を発揮しやすくなる。

 それは場所でも変わらない。羽黒はこの立地に甘えるだけじゃなかった。抜け道や隠れる場所などを確保した上で、狩場として利用するために頭を張り巡らせている。侵入者を撃退する手段がいくつも構築されており、肝試しなどで訪れた獲物の弱みを握り、食い物にするのだ。吉崎を嵌めた罠は数ある方法の一つに過ぎない。

 決して短くない時間を潜伏しているはずだが、今のところ警察に知られることなく、犯罪を行っている。仮にこのアジトを突き止められても、簡単には尻尾を掴ませないはずだ。

 犠牲者となった人間は思っている以上に多いかもしれない。彼らに犯罪の片棒を担がせ、勢力を広げていく。危なくなったら切り捨て、自分たちは隠れてしまえばいいのだ。どこか他の町へ行ってもいい。

「組織としてはまだ成長段階ってところだな。やる気マンマンなのが伝わってくるぜ」

 ガデスの見立ては正しいだろう。今まさに上がり調子でブイブイ言わせてると言ったところか。もう少し時間が経ったら、ちょっとやそっとじゃ手が付けられない組織になる。

「普通に生きてたらこんな組織とかち合わない。ある意味であいつらはラッキーだな」

「少なくても刺激的ではあるね。幸か不幸かはわからないけど」

 己に起きたことと照らし合わせてみる。得難い体験なら吉崎たちに負けはしない。こんな目に遭うとは想像もしなかったのだ。


「これからどうするの。君の目的はとりあえず果たしたけど」

 先程の話を聞く限り、妙に首を突っ込みたがったのはアインの行方を捜すためである。町に潜む新しい犯罪組織。金や情報が手に入りやすく、余所者でも取引がしやすい。身を潜めるには適している。仮にアインの行方がわからなくても、情報くらいは手に入ると踏んだのだ。

 尤もこの事態を楽しんでいたのは本当だろう。こういうゴタゴタが大好きな男である。捜査と実益を兼ねていたのだ。

「腹も減ったし、ぼちぼち帰るか。一杯やりたいしな」

「ほんとにマイペースだね。わかってはいるけどさ」

 相変わらずすぎて感心してしまう。動揺するところが見てみたいものだ。


「さっきの勢いはどうしたよ。面とか、小手とか言ってみろよ」

 二人の会話を遮るように楽しそうな声が聞こえてくる。

「今から防具でも着けてやろうか。汗臭いのが堪らないな」

「ほんとにお笑いだぜ。芸人でもやってみろよ」

 倒れている吉崎に蹴りを入れていく。石で切れたのか額からは血が流れており、立ち上がることができないでいた。

 彼らからしたら新品のオモチャで遊んでいる感覚である。呻き声を漏らすたびに嘲笑が響いた。

「ちゃんと撮っておけよ。記念写真は良い思い出になるからな」

 羽黒が茶化すと取り巻きたちも一斉に笑い出す。竹刀も取り上げられ、おもちゃのように扱われている。彼らからすれば、カモが増えたということだ。吉崎にとってこれ以上ないほどの屈辱だろう。


「何とかしてあげたら。あのままだと流石にかわいそうだよ」

 ボロボロにされる姿を見て、太田は頭を抱えて震えており、謝罪の言葉を繰り返している。巻き込んでしまった罪悪感と責任感に押し潰されそうになっていた。

 特別仲良くもないし、助ける義理もないのだが、このまま放っておくのはあまりにも不憫に思える。

「観客が手を出しちゃいかんだろ。舞台のことは役者に何とかさせなくちゃな」

「チケット代くらい気前よく弾んであげなよ。君ばっかり楽しんじゃってさ」

 この場を何とかできる男だが、どうするかを決めるのはガデスである。どれだけ囃し立てても本人がその気にならなければ終わりだった。なにせ単純な金銭や同情などで動く男じゃない。一般人からすればサイコロの目が出るのを待っているようなものだ。

「吉崎さん!」

 男たちもようやく遊び飽きたのか、吉崎を空き缶のように蹴り飛ばす。力なく転がる姿を見て、太田は急いで駆け寄った。

「しょうがねぇな」

 ひとまず出た目はマシなものだった。いきなり見捨てるようなことはしないみたいだ。果たしてこれが良いか、悪いかはこの後の成り行き次第である。

「どうやらチャンバラ映画みたいにいかなかったようだな。アレ面白いのによ」

 口笛を吹きながら、二人の前で殺陣の真似をする。有名な作品のテーマ曲で、時代劇をほとんど観ない両介でも聴いたことがあるフレーズだ。やたらと日本の文化に詳しくなっているが、いつの間に観たのだろうか。

 短い間でありながら両介よりも娯楽作品に詳しくなっている。風俗や文化への馴染み方は、シャリア以上かもしれない。

「う、うる、がはっ」

 肉体へのダメージは大きく、苦し気に息を漏らす。眼の光は輝きを失っていないが、気持ちに肉体が付いてこられないのだ。


「気の毒だがこれも現実だ。お前さんは博打に負けたのさ。晴れて一文無しだな」

「どうしてそんなことを言うんだよ。先輩は俺たちを助けようとしてくれたんだぞ」

 必死に介抱しながら、涙目になって睨む。太田にとって、吉崎が侮辱されることは我慢ならなかった。自分が悪く言われるよりも辛いのだろう。

「でもどうにもできなかった。それどころか状況は悪化したぜ」

 口調は明るいのに言葉だけはやけに重く響く。普段と変わらないからこそ際立っていた。

「別にバカにしてるんじゃない。むしろ褒めてるんだぜ。こいつはテメェの欲望を叶えようとしたからな。惜しむらくは盛り上がりにかけたところだ。もうちょい面白くできたのによ」

 二人は眉を顰めながら、顔を見合わせる。言っていることが理解できないのだ。こんな状況なのに酷く呑気に映った。両介だってガデスと接していなければ、理解できかっただろう。

「この世は博打みたいなもんさ。表が出るか、裏が出るか。当たるも八卦、当たらぬも八卦。負けるか勝つか誰にもわからん」

 吉崎は太田を守ろうとしたができなかった。言ってしまえばそれは彼の欲望である。欲望という言い方があれなら、願いや夢と置き換えてもいい。どんなに無謀で確立の低い目でも吉崎は行動に移した。そこを気に入っているのだ。

 何となくガデスの価値観が垣間見える気がした。

 聖人君子や大犯罪者、一般庶民に大金持ち、老若男女も彼にとってはある意味で同じものに見えている。欲望を持った人間であることだ。ガデスは細やかだろうが、大きかろうが、人間の欲望を愛しているのだ。

 そんなものを縛るのは勿体ない。我慢など耐えられない。だから彼は己の好きなように振る舞う。他人が欲望のまま動くのを楽しんでいるのだ。

「お前さんにはできなかったことだ。まぁそいつはそいつで面白いことになりそうだったけどな。中途半端に終わって残念だよ」

 太田にとっての欲望は彼らへの反抗。いわば解放されることであるが、何もすることができなかった。結果としてやりたくもないこと。犯罪に手を染めようとした。

それはそれで構わない。とことんやればいいとガデスは思っている。だが太田は黒の方にも振り切ることができなかったのだ。

「か、簡単に言うなよ。そんなことできる訳ない……できないんだよ」

 か細く漏れた声には色んな感情が混ざっている。


 両介には太田の気持ちがよくわかった。正しいことがわかっていても行動に移すのがどれだけ大変なことか。自分のしたいことや欲望がわかっていても、実行するのがどれだけ辛いことか。

 人間はそう単純なものじゃない。わかっていても動けないものだし、向き合うべき壁から眼を逸らしてばかりだ。

 壁を乗り越えるはとてつもなく難しい。外野は安全場な場所から好き勝手に囃し立てる。綺麗事を口にしてながら、責任なんて取ろうとしない。

(僕だって……)

 脳裏を過ぎった光景に心が騒ぐ。ここではない場所。今ではない時間。記憶にないはずなのにはっきりと刻まれている。傷口から血が噴き出すように、何かが溢れ出そうとしている。それは自分にとって知りたくないもの。決して見たくなかったものだ。

(ちがう! これは違うんだ!)

 疼いたモノを心の中にしまい込み、慌てて打ち消す。自分には関係のないことだからだし、何よりこの状況に適していない。今はただ目の前の事態を見つめるだけだ。


「さて、どうする。お前らはずっとカモにされ続けるぜ。あいつらは簡単に逃がしちゃくれない。世間や他人様もお前らがどうなろうがどうでもいい。救いのヒーローなんて何処にもいないぞ」

 大仰に振る舞う姿がカジノのディーラーに見えてくる。誰よりもこの場を盛り上げようとしていた。

「勝ちの目は低いがまだ引っ繰り返せるぞ。どうせダメなら一発逆転を狙うのもオツなもんだぜ。ドキドキして脳が焼かれるぞ」

 あまりにも勝利する確率は低い。大穴を当てるより難しい。しかしこのままでは間違いなく終わりである。

「ま、負けたらどうするんだよ」

「そんときは破滅だな。無残に床へ転がるだけだよ。あの冷たさも堪らないもんだぜ」

 心の底から楽しそうにしている。普通の笑みに見えるがどこか冷たさが垣間見える。ガデスは勝ち続けてきた訳じゃない。むしろ負けている方が多い。床を這いつくばったことなど一度じゃ二度じゃない。生きているのが奇跡に近いのだ。

「落とし穴なんてどこにでもあるからな。どれだけ清く正しく生きようが、落ちたらとことん引き摺りこまれるぜ」

 確かに太田は理不尽な目に遭った。万引きをしたのだって羽黒たちに追い詰められたからだ。本来なら悪事とは無縁でいられた存在である。

 しかし現実はこうなってしまったのだ。望む望まざるにかかわらず。トラブルの種なんてものはどこにでもある。予測なとできるはずがない。

 だからこそ面白いとガデスが思っている。自分の気持ちが良いことをとことんやろうとしている。周囲の目など関係ない。己の死や破滅など全てをひっくるめながら、誰よりもこの世界を楽しんでいるのだ。


「おう、学生さん。ぐたぐた言ってないでお前も金を持ってこいよ。こいつみたいに痛い目遭っちゃうぞ」

 吉崎を殴っていた連中の一人が割り込んでくる。ニヤニヤしながらナイフをチラつかせていた。

「おいおい、無茶言うなよ。そんな大金なんか用意できるのか」

「パパやママに頼めばいいんじゃね。いつでも待ってやるからさ」

 後ろにいる取り巻きたちもバカ笑いしている。おもちゃで遊ぶ子供みたいだった。

「心配するなよ。俺たちは優しいからな。あるものを出せば、殴らないでやるからさ」

 まったく目を合わせようとしないガデスを見て、怯えていると思ったのだろう。気持ち悪い猫なで声を発している。

 確かに彼らの視点で見れば、そういう態度に出るのもわかる。


「えっ?」

 だがそれは大きな勘違いである。もし落とし穴があるとしたら、この男は完全に落ちてしまったのだ。

「うぎゃああああああああああああ」

 野太い悲鳴が轟き、鮮血が噴き上がった。ルビーよりも眩い赤が薄暗い空間に輝く。床を染めていく様はまるで花のように綺麗だった。

「お、おまえ、な、なにを」

 吉崎たちが瞳を震わせる。間近で見ていても理解が追いつかないのだ。

 ガデスはナイフを盗むと、そのまま男の足へ刺したのだ。時間差などほとんどなく、あまりにも自然すぎて誰も違和感を抱かなかった。彼が盗んできたどんな宝より、彼の手腕こそが至高の芸術品のように思える。

「やろうと思えばできるだろ。がんばれ若人よ、ってか」

 悶絶する姿に目も向けず、刺さっていたナイフの柄を思いきり蹴り込む。再び声をあげると、男はその場に倒れてしまった。夥しい量の血が噴き出しており、苦しみに藻掻いている。このままでは本当に死んでしまうかもしれない。

 他人の生命を奪うことなど、ガデスにとって特別なことじゃない。何しろ同級生を平然と窓から叩き落とす人間である。進んで殺人を行う訳じゃないが、必要だと思ったら誰であろうと始末する。

「お膳立てはしてやったぞ。今までの恨みを込めて、トドメをさしてこい」

 太田の頭を軽く引っぱたく。激励しているつもりなのだ。本人は百パーセント善意でやっているのだが、肝心の太田は恐怖に竦んでいる。


「テメェ! 何しやがった!」

 取り巻きたちが色めき立つ。哀れな獲物ではなく、敵として認識しており、逃がす機など毛頭ない。この勢いなら殺人も辞さないだろう。

「どうするんだよ。滅茶苦茶やる気になってるけど」

「うるさい奴らだな。死体の一つや二つくらいでガタガタ騒ぐなよ。ゴミ箱にでも捨ててこいや」

「いや、まだ死んでないよ」

 何となく予想できた反応である。思えばガデスが誰かとまともに戦うところを見たことがない。最低最悪の大泥棒と言われているが、素の腕っ節は未知数だった。彼は戦士ではないのだ。強さがまるでわからない。

 戦うのか、それとも逃げるのか。結局は彼の気紛れと成り行きに任せるしかなかった。問題は吉崎たちである。ガデスがどちらを選んでも無事ではすまないだろう。他人が巻き込まれることなど屁とも思わない人間だ。


「本当に仕方ないね。君って奴はさ」

 この期に及んでも両介は奇妙なほど落ち着いている。長話をしてでもガデスをこの場に留めようとしたのは理由がある。この混沌とした状況を何とかできる人間を他にも知っているからだ。幸か、不幸か、ガデスはまるで気づいていない。

「どうやら時計の針はちゃんと動いてくれたみたいだよ」

 咥えていたタバコがぽとりと落ちる。ほんの一瞬だが恐ろしく間抜けな顔を浮かべていた。カメラがあるなら撮っておきたいくらいだった。

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