第6話 初めての登校日


「やりすぎだって。ここまでしなくていいのに」

「新しい生活が始まるんだ。綺麗にしないとね」

 誰もいない教室で机を拭き終え、小さく息をつく。自分の物とは思えないくらいピカピカになっていた。窓から入ってくる風が新生活を祝福する。

 当然のようにシャリアには学校をさぼるつもりはなかった。登校した彼女が最初に行ったのが掃除である。校庭からは朝練をしている生徒の声が聞こえてくる。こんなに早く学校にきたことはない。

 もちろん猫である両介が見つかると問題があるので鞄に隠している。これでも何とか会話はできる。見つかるとまずいのはわかっているが、任せきりなどできなかった。実際にこうして想定外の行動を次々としているのだから。

「物理や数学の基本はどこも変わらないか。やっぱり違ってくるのは国語や英語か。でも同じ単語も使われているし、人の作り出す言葉はあまり変わらないのかな」

 ぶつぶつと呟きながら興味深そうに教科書をめくっていく。シャリアが住んでいる星とは言語が違うのだが、翻訳機がなくても言葉はちゃんと理解できるらしい。

 両介以外の者とも会話できているし、器となっている人間の影響が出ているのかもしれない。仮に外人の肉体に宿っていたら、外国語がペラペラになるのだろうか。

「地理や歴史も違ってくるものね。流れや出来事なんか共通点はあるのに違う方向へ向かっていく。早いか遅いかの問題なのかな」

 宇宙を駆ける警察なら色んな国や人種も見てきただろう。発展している星もあれば、そうではない星もある。だが作っている道具。例えば車や電化製品、銃などは形や性能は違くても同じような物を作っている。人間の考えることは変わらないのかもしれない。


「わざわざ学校まで来る必要なんてないと思うけど。君だって疲れるだろ」

 宇宙船が自由に飛び交い、ビームの剣や銃が乱舞する映画のような場所からやってきたのだ。平凡な高校の授業など退屈でしかないだろう。

「そうでもないよ。歴史や言語は地域によって違うし、とても勉強になる。いくつになっても学ぶ機会があるというのは素晴らしいことだよ」

 目を輝かせているシャリアには悪いが、あまり共感できない感覚だった。両介からしたら煩わしいだけである。授業など適当に流して、テストだけ乗り切ればいいものだ。勉強して楽しいと思ったことはほとんどない。

 一方のシャリアは子供の頃から成績は常に優秀。運動能力や格闘能力も高く、常に先頭を走ってきた才女である。警察学校も首席で卒業したらしく、いわゆるエリートというやつであった。

 シャリアの経歴はこれまで何となく聞いてきたが、どれも凡人からすれば、あまりにも常識外れな話であった。両介からすれば想像も絶するような努力も当たり前のようにやってきた。大したことだと思っていないのである。

 感覚や価値観が違うのは短い付き合いだが、はっきりとわかっている。そんなシャリアに勉強するなと忠告しても無駄なのかもしれない。

「とにかく目立たないでよ。大人しくしてくれればいいから」

 願うのはそれだけである。幸いなことに両介はクラスで目立つような生徒ではない。普通にしていれば違和感を持たれることもない。下手に目立ってしまえば、元に戻ったときにどんなことになるか。想像するだけで恐ろしくなる。

「任せてくれ。両介に迷惑はかけないさ」

 自信満々に答えるが不安の種は尽きない。朝だってかなり危なかったのだ。

 シャリアという女性は真面目で明るく、誰よりも正義感が強い。間違いなく善人なのだが、どこかブレーキが効かないようなところがある。

 致命的に市川両介という人間とかけ離れているのだ。もし同じクラスにいたら間違いなく近づかないし、声をかけることもない。

 予習を続けていると他の生徒たちが登校してきた。両介は慌てて鞄の中に隠れる。周りが見えるように鞄の口は開けてあるので、生徒が入ってくるたびに名前を囁くこともできた。いちいち元気よく挨拶するのを見ると頭が痛くなる。


「どうしたんだい? 今日は随分早いじゃないか」

 上原雅樹が珍獣でも見るような目を浮かべている。落ち着いた性格で周囲がよく見えている。成績も良く、容姿も整っていた。中学生の頃から喫茶店で働いていたのが、今の性格を作り上げたのかもしれない。店には彼目当ての客もいるくらいである。両介もそこで知り合い、仲良くなったのだ。

「おはよう! 昨日の授業でわからないところがあったからね。早めに確認しておきたかったんだ」

 普段はとても良い友人なのだが、今の状況では要注意人物のリストに入れなくてはいけない。そこまで親交のない生徒ならともかく、友人におかしく思われると厄介だ。あと無駄に元気な挨拶も止めてほしかった。

「両介がそこまで教育熱心だったのは知らなかった。昨日と言ってることが違うけど、どんな風の吹き回しだい」

「今日から一念発起したのさ。学べるときに学んでおかないと損するからね」

 ハラハラしながら耳を立てる。心臓が潰れそうなほど上下している。

「雅樹君。バイト先で変わったことはなかった。例えば見慣れない人間が増えたとか、怪しい奴がいるとか」

「特にそういうことはないけど。何かあったのかい?」

「最近は物騒だと聞いたんだ。もし何かあったらすぐに私へ連絡してくれ。何かあってからじゃ遅いからね」

 シャリアからすれば刑事として当然の注意をしただけだ。自分が追っている凶悪犯罪者が潜んでいるかもしれないのだから。しかし市川両介の言動としてはおかしいところばかりである。


(だ、駄目だって。雅樹はただでさえ鋭いところがあるんだから。あんまり変なこと訊いたら怪しまれるよ。あと君なんて付けないから)

 溜まらず小声で注意する。わかっていたけどやっぱりこうなった。

(何かあってからじゃ遅いんだ。実際に奴は喫茶店を襲撃したこともある。そのときも酷い騒動に発展したんだ)

 言い分は正しいのだがここは警察じゃない。友人がこんなことを急に言い出したらどう思うだろうか。

「わかった。気をつけるよ。何かあったらいの一番に連絡する」

 雅樹は何度か瞬きをしたぐらいで、あとは普通に接している。単純に合わせてくれているように見えるし、本当に気にしていないかもしれない。表立った態度には出さないのが恐ろしい。見透かされているように感じるのだ。友人の冷静さがこれほど脅威になる日がくると思ってもみなかった。

「ここを教えてくれないか。要点が掴めなくてね」

 両介の心配や不安など露知らず、シャリアは古文の教科書を広げる。さっきから頭を捻っていた箇所だ。頭は良いがやはり理解しにくい教科もある。

 それ以上は特に追及することもなく、雅樹が丁寧に教えていく。形はどうあれ、とりあえず一山は超えることができた。まだまだ山は残っているがまずは一安心である。


「よぉ三谷。ちゃんと俺たちの分もやってきてくれたか」

 調子のいい声が耳に入る。目を向けると数人の生徒が席を囲んでいた。三谷は俯いたままノートを手渡した。

「悪いね。こっちも部活が忙しくてさ」

 絡んでいるのは西川という生徒のグループだ。別に不良という訳ではない。むしろ真面目な部類でクラスメイトのウケも良い。だからこそ誰も注意しないし、関心を持たない。日常の光景の一つとして扱っている。

 三谷は気弱な生徒だが事件になるような酷い苛めを受けている訳でもない。目を付けられてしまったのが不運なのだ。

 両介からすれば自分が巻き込まれなくてよかったとほっとしている。当然助けるつもりもない。そもそも助けなど求められていないのだ。あれだって仲間内の触れ合い。グループのやりとりかもしれない。


 普段なら誰も相手にしないが、困ったことに見過ごせない人間がいる。


「駄目だよ。宿題は個人に出されたものだ。自分でやらなければ意味がない」

 シャリアがノートを横から取り上げる。もちろん他の生徒からは市川両介が止めに入ったようにしか見えない。

「な、なんだよ。お前には関係ないだろ」

「関係あるさ。同じクラスメイトだからね」

 西川たちは驚きに目を丸くしている。止められるとは思わなかったのだ。

「俺たちはやることがたくさんあって忙しいんだよ。こんなものはこいつみたいな暇人にやらせておけば」

「他人に押し付ける理由にはならないよ。もっと前向きに捉えよう。宿題や課題は鬱陶しいものじゃない。自らを成長させてくれる機会だと思うんだ」

「わ、わかったよ。もういいって」

 いきなり現れてこんなに堂々と反論されれば、戸惑うのも無理はない。シャリアが本気で言っているのは西川たちにも充分伝わっている。

「待ちたまえ。もし問題がわからないなら一緒に考えよう。とことん付き合うから」

「う、うるせぇな。だからもういいって」

 相手にするのが面倒くさくなったのか、ノートを取り返さずに離れていく。怒るどころか気味悪がっているようだった。その気持ちはよくわかる。昨日までさして親交のないクラスメイト。しかも目立たない生徒が急にこんなことを言い始めたのだから。

 他の生徒たちも野次馬根性全開で見ており、どこか面白がっていた。肝心のシャリアはそんなこと気にしない。どこまでも己を貫いている。


「あ、あの、ありがとう」

 三谷は俯きながら遠慮がちにお礼を言う。

「君も嫌なら嫌だって言わないといけないよ。自分の意思は自分で伝えないと」

 もごもごと口籠る。それができたら苦労はしないし、こんなことになっていない。反論したくてもできないのだ。シャリアもそれは充分わかっているらしい。

「もし勇気がないなら私に言えばいい。微力ながら全身全霊をもって君の力になる。だからほんの少しでもサインを送ってくれ。君の声を聞かせて欲しいんだ」

 大輪の花のような笑顔を浮かべながら、真っすぐに手を差し出す。三谷はおずおずとその手を掴み、シャリアも優しく握りしめる。

 どんな暗い場所にいても必ず駆けつける。そんな不思議な安心感に満ちていた。見ているだけの両介ですらそう感じるのだ。三谷にとってどれほど力強いのだろう。


「本当にどうしたんだい? 今日は休んだ方がいいんじゃないか」

 席に戻ってくると雅樹の視線が変化していた。声のトーンも変わっている。本気で心配しているのが半分、不審感が半分といったところだろうか。

「えっと、いや、そんなことないぞ。私は当然のことをしたまでだ。困っている人がいたら助けるのは当然じゃないか」

 声が上擦り、視線が泳いでいる。三谷たちと対峙したときとは違い、どこか自信がなさそうだ。こういうことが苦手なのだろう。あの自信に満ちていた態度が嘘のように消えている。

「今までほとんど話したこともない相手のためにか。両介が一番しないようなことだと記憶しているが」

「心を入れ替えたんだよ。どんな悪人だって変わろうと思えば変われるんだ」

 問い詰めるような口調ではなく、威圧感もないのだが世間話のついでにするすると真実を喋ってしまいそうな雰囲気がある。下手したらシャリアよりも取り調べが上手そうだ。

「その妙な言葉遣いもかい? 急すぎると思うがね」

「も、もちろんだよ。昨日やっていた映画に感化されたんだ。さぁ今日も勉学に励もうじゃないか」

 傍から聞いていて苦しすぎるほど、強引に誤魔化した。人格が入れ替わっていることには流石に気づかないと思うが、雅樹の前ではあまり変なことを言いたくない。

 それ以上は追及することもなく、シャリアのわからないところを教えていく。何とか乗り切ることはできたようだ。

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