陽だまりのような恋をした

丸井まー

陽だまりのような恋をした

 50年程の付き合いだった親友が死んだ。つい数日前に会った時は元気だったくせに、いきなりパタッと倒れて、そのまま逝ったらしい。親友には孫が1人いる。親友の息子夫婦は事故で揃って亡くなっており、妻にも先立たれていた親友が1人で育てていた。

 ミックは親友の孫オリーを引き取った。


 ミックは今年で65歳になる。結局結婚はしなかった。ミックは男しか愛せなかったからだ。軍人として60歳まで働き、引退後は子供向けの剣の教室を始めた。やんちゃな子供達の相手をするのは楽しいが疲れる。最近は腰と膝を痛めてしまい、家に帰ると何もできなくなっていた。

 そんな状態だったが、まだ10歳を過ぎたばかりで天涯孤独の身になった親友の孫を見捨てるわけにもいかず、ミックは親友の葬式や諸々の手続きなどを済ませると、オリーを自宅に連れて帰った。


 オリーは異様に聞き分けがよかった。親友はミックと同じ軍人だったが、現役中の怪我がもとで身体が悪く、最愛の妻や息子夫婦の死もあって、かなり気弱になっていた。親友はオリーを可愛がっていたが、オリーが無邪気に甘えられる程、親友は心身ともに丈夫じゃなかった。

 オリーは葬式で泣かなかった。悲しくなかったのではない。心が凍ってしまって、泣けなかったのだ。

 数日間、オリーの様子を観察したミックは、オリーを泣かすと決めた。


 ミックは、オリーを剣の教室に連れていき、他の子供達と一緒に剣をやらせた。その後で、こいつらと遊びに行けと言うと、オリーは戸惑った顔をしていた。オリーは友達と遊んだことがなかった。そもそも友達がいなかった。

 身体が不自由な親友の手助けをして、家事をする為に、オリーは毎日寄り道もせずに学校から真っ直ぐ家に帰り、学校が休みの日も家のことをしていた。オリーは親友の息子と瓜ふたつで、心も弱くなった親友の精神安定剤みたいな感じになっていた。オリーもそれを察していた。


 ミックは寄り道をせずに帰ってくるオリーを毎日遊びに行かせた。ミックの剣の教室に通っている子供達がオリーを仲間に入れてくれた。最初はかなり戸惑っていたが、そのうちオリーは毎日日暮れまで遊んで泥んこになって帰ってくるようになった。

 家のことはさせているが、あくまでミックの手伝いである。男だって炊事洗濯掃除くらいはできた方がいい。朝食とオリーが学校に持っていく弁当は早起きのミックが1人で作り、夕食はいつもオリーと一緒に作る。子供受けするような料理なんて知らなかったから、ミックは本屋で料理の本を買ったり、馴染みの肉屋の女将に教えてもらったりして、レパートリーを増やした。


 ミックは勉強嫌いで成績が悪かったから、学校の勉強は教えてやれないが、その分、色んな経験をオリーに話すようにした。伊達に60年以上生きている訳ではない。楽しいことも悲しいことも嬉しかったことも悔しかったことも、沢山あった。

 眠くなるまで2人でお喋りをするのが日課になった。ミックが1つ話せば、オリーも1つ何か話す。そういうルールを決めた。他人同士が一緒に暮らす以上、お互いの事を知る必要がある。

 半年もすれば、オリーはミックに心の内を話してくれるようになった。ミックも誰にも言わないようなことをオリーに話すようになった。


 ミックとオリーは、祖父と孫程の年の差があるが、友達になった。

 ミックが今まで誰にも言わなかったこともオリーには言った。ミックが男が好きなことだ。オリーは、ミックが男が好きなのはどうでもいいけど、何故ミックに恋人ができなかったのかと聞いてきた。

 単純にミックが男にモテる容姿ではなかったからと、ミックが臆病だったからだ。男同士なんて世間から白い目で見られる。ミックには堂々と男が好きだとは言えなかった。その事もオリーに話した。



「寂しくないのかよ」


「今はおめぇがいるじゃねぇか」


「それもそうか」


「あぁでも。一度でいい。デートってやつをしたかったなぁ」


「デート」


「手を繋いで歩いてよ。ちょっと気取った店で飯食って。花でも見に行って。帰りの別れ際にキスをするんだ」


「ふーん」


「次のデートの約束もして。家でその日のデートを思い出して眠れなくなったりとか。寝れないから次のデートで着る服選んだりとかな。そんな甘酸っぱい恋がしてみたかったわ」


「今からすればいいじゃん」


「あ?ははっ!無理無理。俺は爺だぞ」


「爺は恋しちゃいけないのかよ」


「……いや、してもいいんだろうな。多分」


「じゃあ、すれば?」


「そうだな。ふむ。相手を探すか」


「どんな男が好きなんだよ」


「金髪碧眼の筋肉が美しい男前」


「面食いかよ」


「俺は美しいもんが好きなんだよ」


「あっそ」



 そんな話をした数日後、オリーが1枚のチラシを持って帰った。見れば、高齢者の交流パーティーのお知らせだった。



「爺の相手が見つかるかもしれねぇだろ」


「来るのは爺ばっかじゃねーか」


「爺も皺くちゃの爺じゃん」


「まぁな。家族同伴もできんのか。ふむ。オリー。お前も行くぞ。友達が増えるかもしれん」


「はぁー?1人で行ってこいよ。友達はもういる」


「阿呆。俺は長年男しか愛せないことを隠してたんだぞ。お前の爺さんにだって言ってねぇ。その俺がいきなり恋人探しなんて無理だろ」


「素直に不安だからついてきてって言ったら?」


「1人じゃ不安だからついてきてください」


「うむ。しょうがあるまい。ついていってやろう」


「ははーっ。ありがたき幸せ」


「ははっ!爺。彼氏ができるといいな」


「彼氏なんて高望みはせんから、せめて茶飲み友達くらいはできるといいぜ」



 ミックはオリーに手伝ってもらって、交流パーティーへ参加する為に色々準備をした。

 高齢者の交流パーティー当日。ミックはオリーと一緒に選んで買った真新しい服を着て、オリーと一緒に会場に向かった。男女比は半々くらいで、ミックは老女ばかりに話しかけられていた。

 ミックは若い頃から女受けする顔立ちだった。あちこちガタがきているとはいえ、今でも毎日鍛錬をしているので、歳の割に姿勢もスタイルも悪くない。オリーと暮らし始めてからは、生活に張りが出て、気力も現役の頃と然程変わらなくなっている。そんなミックは魅力的に映るらしく、ひたすら老女に囲まれて、交流パーティーは終わってしまった。


 帰り道。ずーんと凹むミックの手を握って、オリーが口を開いた。



「次は男ばっかの場所に行こうぜ」


「俺は酒が飲めない」


「釣り堀とか男ばっかじゃん」


「釣りなんてやったことないぞ」


「まずは俺と一緒にやればいいだろ」


「それもそうか。次の休みは釣りに行ってみよう」


「うん。弁当はチーズとレタスのサンドイッチがいい」


「おう。どうせやるなら魚をいっぱい釣るぞ」


「晩飯が豪華になる」


「最高だな」



 ミックはオリーと顔を見合わせて笑った。

 ミックはオリーと一緒に色んなことに挑戦するようになった。

 男と交流できそうなものを片っ端から2人でやってみた。釣りや家庭菜園に挑戦したり、木工細工教室に行ったりした。男しか来ないような無骨な喫茶店にオリーと2人で行ってみたりもした。恋人どころか茶飲み友達もできなかったが、どれも楽しかった。

 オリーと始めたばかりの家庭菜園の手入れをするのが日課に加わった。天気のいい日は釣りに行き、街で行われる色んな体験教室にオリーと参加したり、美味しい珈琲を求めて喫茶店巡りをしたりと、毎日がどんどん楽しくなっていった。寝る前に、次は何を一緒にやろうかと、オリーとお喋りするのが楽しかった。


 気づけば、ミックもオリーも笑顔でいることが増えていた。楽しければ、そりゃあ笑顔にもなる。

 ミック1人で生活していた時は、笑うことが少なかった。今では毎日笑っている。オリーのお陰だ。

 オリーを引き取った時に、オリーを泣かすと決めたが、未だにオリーを泣かせていない。

 どうせなら、嬉しくて泣いてくれるといい。オリーが泣くような嬉しいことが、この先あるといい。

 ミックは毎晩ベッドの中で祈るようになった。オリーが泣いて喜ぶような幸福が、オリーに訪れますように、と。

 ミックにとって、オリーは本当に大切な存在になっていた。



 ------



 オリーが中等学校に進学して2年目の秋。ミックは胸の痛みで倒れた。医者が言うには、心臓が弱っていて、長くは保たないらしい。ミックはその事を正直にオリーに伝えた。ミックが死んだ後のオリーの身の振り方を今から考えておかなければいけない。ミックが一緒に考えようと言うと、オリーが口を開いた。



「爺。まずはデートだ」


「あ?」


「デートがずっとしたかったんだろ。デートすんぞ」


「いや。先に俺が死んだ後の……」


「爺が死んだら、そん時に考える」


「それじゃ遅いんだよ」


「遅くねぇ。先のことより、今、爺とやりたいことをやる方が大事だ」


「あのなぁ」


「爺。喜べ」


「あん?」


「俺の初恋をくれてやるよ」


「は?」


「つーことで、次の休みはデートな」


「おう?」


「デートコースは俺が考えておくわ」


「お、おう」



 オリーは何やらすごく楽しそうである。ミックは目を白黒させた。

 次の休み。ミックはオリーが選んだお洒落な服を着て、同じくお洒落をしたオリーと一緒に家を出た。家を出た途端、オリーに手を握られた。ミックがキョトンとオリーを見ると、オリーがニッと笑った。



「デートは手を繋ぐもんなんだろ」


「そうらしい?」


「薔薇園行こうぜ。今がちょうど見頃だってよ」


「あぁ。あ、薔薇園に行くなら、近くの喫茶店にも行こうぜ」


「パンケーキが美味いとこ?」


「おう」


「うん。昼飯は大通りの店な。予約してある」


「おー。そつがないな」


「だろ。もっと褒めろよ」


「ははっ」



 得意げな顔をするオリーが少し可笑しくて、ミックは笑顔でオリーの頭を撫で回した。


 手を繋いで薔薇園に行き、近くの喫茶店で美味しい珈琲とパンケーキを楽しみ、大通りの色んな店を二人で冷やかして、オリーが予約していた普段なら行かないような高めの店で昼食を食べた。昼食の後は手を繋いで小物屋に行き、揃いのシンプルなデザインの腕輪を買った。夕食もオリーが予約していたお洒落な店で食べて、手を繋いで暗くなった道を2人で帰った。

 玄関先で、オリーに屈むよう頼まれた。ミックはいきなりなんだ?と不思議に思いながらも、屈んでやった。

 オリーがミックに触れるだけのキスをした。

 ミックはガチッと固まった。急速に顔が熱くなっていく。とっくの昔に亡くなった家族以外とは、生まれてから一度もキスなんかしたことがない。家族とも頬やおでこにするのが普通で、唇にキスをされるのは本当に初めてだ。

 オリーが真っ赤になったミックを見上げて、にっと笑った。



「血圧大丈夫?」


「……やべぇかも」


「ははっ!次のデートは何処に行く?」


「釣りがしてぇ」


「釣りデートか。新しいな」


「弁当を持っていこうぜ」


「ハムとレタスのサンドイッチがいい」


「デザートにカップケーキも焼いてやるよ」



 ミックは楽しそうなオリーと顔を見合わせて笑った。

 風呂に交代で入った後、ミックの部屋でお喋りをして、寝る時間になったらオリーは自分の部屋に引き上げた。ミックは着けたままの腕輪を撫でながら、我慢できずにニヤニヤと笑った。

 やばい。デートって楽しい。相手がオリーだからかもしれない。

 ミックは次のデートも楽しみ過ぎて、待ちきれないような気分になった。ミックはベッドから下り、衣装箪笥を開けた。次のデートは何を着ていこう。床屋に行って髪を整えておきたい気もする。なんだかワクワクして堪らない。

 その日、ミックは殆ど眠れなかった。



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 オリーとデートをするようになって1ヶ月が過ぎた。冬が間近に迫っている。ミックの体調は少しずつ悪くなってきていた。


 今日は家デートである。ベッドに寝転がっているミックの側で、オリーが編み物に挑戦していた。編み物の本を片手に、四苦八苦している。ミックのひざ掛けを作りたいらしい。

 お喋りしながらだから、手の動きは遅い。その上、初心者だから、すぐに失敗してやり直しになる。それでもオリーは楽しそうだ。

 ミックは機嫌よく笑みを浮かべて、オリーを手招きした。素直にミックに近寄ってきたオリーに、ミックは触れるだけのキスをした。



「俺の最後の恋をお前にやるよ」


「もらっとく。今だけ大事にしとくわ」


「ははっ。そうしろ。俺が死んだら忘れろよ」


「うん」


「お前の人生はこれからだ。爺との恋は忘れて、新しい恋をしろよ」


「分かってる……爺」


「ん?」


「ちゃんと笑顔で見送ってやるよ」


「頼んだ。お前の笑顔が好きだし」



 ミックはオリーと顔を合わせて、にっと笑った。


 冬の一番寒い日。

 ミックはオリーに看取られて逝った。最後に見たオリーの顔は、泣きながら不細工な笑みを浮かべていた。

 最後の最後で、『愛してる』と言えてよかった。ミックが『愛してる』と言うと、顔をくしゃくしゃにしてオリーが泣いた。


 オリーと過ごした数年間は、ミックの人生の中で一番輝いていて、本当に楽しかった。

 これからのオリーの人生が幸多いものになればいい。もう声も出せなくなったミックは、胸の中ではオリーの幸せを祈り、永遠の眠りについた。




(おしまい)


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