第77話「終結」

 戦いが終わり、アシュリーはイーヴルと反対側に倒れた。

 天を向き、大の字になる。


 すかさず、アシュリーのところに瀧本は駆け寄る。


「アシュリー、無事か? 大丈夫か?」

「はい、平気です。無事……ではありませんけれど」


 疲れ切った笑顔を浮かべる。

 徐々に皮膚が黒化した腕から人間の腕へと戻る。


 遅れて、ナタリーたちもやってきた。

 彼女はアシュリーの手を掴み、治癒魔法を施す。


「風邪の時は焦っていて何もできませんでした。ですが、今回はお役に立てたでしょうか」

「ええ。ナタリーがいてくれなかったら私はきっとすぐにやられていたでしょう。アズベルトもガーネットさんも、援護、ありがとうございました」


 アシュリーはアズベルトたちに向けて優しい目を向けた。

 そしてその目を今度は瀧本の方にゆっくりと移動させる。


「爽太さん。あなたの声援がなければ、私は、人としての生きざまを失っていたことでしょう。あなたが私を人間として繋ぎ止めてくれた、だから私は意識を保ちながら能力を全開放でき、イーヴルに打ち勝つことができたのです」

「そっか。僕、君の力になれてたんだね」


 ほっとした様子で瀧本も笑った。

 とにかく彼女が生きていてよかった。


 結界が徐々に消えていく。

 しかし、この街の傷跡は消えない。

 見渡す限り、一面には建物の跡形もない。

 さすがにアシュリーたちが異世界の人間であっても、街を元に戻す、なんて芸当はできない。

 そんなことができるのは、魔法か神様くらいだ。


「ひとまずイーヴルの処理をどうするかだ。まだ、生体反応は残っているが……おい、どういうことだ」


 ナタリーは静かに声を荒げる。

 瀧本たちも彼女が見る方向に目線を向けた。


 そこには、さっきまでいたはずのイーヴルの姿がどこにもなかった。

 もしかして……。

 嫌な妄想が頭の中に駆け巡ってくる。

 しかし、そんな瀧本の頭の中を見透かしたかのように、アシュリーは微笑んだ。


「逃げていませんよ、きっと」

「どうしてわかるんだ?」

「逃げたときは、その痕跡が残りますから。おそらく向こうの世界の何者かが彼女を連れて帰ったのでしょう。それに、そもそもイーヴルは私を前にして逃げるような子ではありませんから」

「そうか、ならいいんだけど……」


 瀧本たちが不思議がっていると、どこからか彼の名前を呼ぶ声が聞こえた。

 聞き慣れた声だった。


「瀧本くん!」


 矢野が煤だらけ、埃まみれの恰好でこちらに駆けてくる。

 荒廃した周りを気にも留めず、瀧本の方だけを見ていた。


「連絡したのに全然反応ないから、心配して見にきたらすごいことになってるんだけど……これ、一体どういうこと?」

「後で全部説明する。それより今は手伝ってくれ。アシュリーを家まで運ぶ」

「家までって……アーちゃん、酷い傷じゃん。病院で診てもらった方が──」

「ああ、大丈夫。きっと一晩経てば治るから」

「そんな……」


 どうやら瀧本の言葉に矢野はかなり混乱しているようだ。

 まるで1年前の瀧本を客観視しているみたいで、少し滑稽に思える。


「……家に着いたら、全部説明してよね。嘘偽りなく」

「ああ、もちろんだ」


 矢野はアシュリーの左肩を担いだ。

 アシュリーは瀧本と矢野に支えながら、なんとか自分の足で一歩、一歩を踏みしめていく。

 

 家に向かうまで、誰一人として会話はなかった。

 ただ、騒動がすべて終わって戻ってきた人の声が聞こえてくる。


 帰る家を失い、嘆く人。

 愛するものを失くし、咽び泣く人。

 ただただ虚無感に苛まれ、放心する人。


「……私は、この世界でも多くの人を傷つけてしまった」

「そんなことない。君がいてくれたから、この世界は救われたんだ。もし君がいなかったら、この世界はイーヴルに壊されてた」

「ですが、私がこの世界に迷い込まなければ、このような被害が生まれることもなかった」


 それを言われてしまっては、返す言葉もない。

 アシュリーの言葉は正しい。

 向こうは、アシュリーを追ってこの世界までやってきたのだから、彼女がこの世界に来なければ、何も失わずに済んだことだろう。


 だとしても。


「でも、君がこの世界に来なかったら、僕は君と出会うことなんてできなかった」


 歩みを進めながら、瀧本は語る。


「僕は君と出会えて、本当によかったって思ってるよ。毎日が楽しかったし、そりゃ、イーヴルには痛い目をみたけど……でも、君がいない世界なんて、想像したくないな」

「爽太さん……」


 のろけちゃって、と矢野がヤジを飛ばす。

 そこから瀧本たちの間にも、少しずつ本来の明るい空気が戻ってきた。

 やっぱりアシュリーには笑ってほしい。

 そう思いながら、瀧本は自宅の部屋の扉を開ける。


「おかえり、アシュリー」

「はい、ただいま戻りました」


 元気のいい返事だった。

 やっぱり「ただいま」「おかえり」の問答をするだけで、心が少し明るくなる。

 それはアシュリーも同じようで、優しい微笑みを浮かべた彼女は、緊張の糸がほぐれたのか急に意識を失ってしまった。

 まさか致命傷を……と心配したのも杞憂に終わり、すやすやと気持ちよさそうに眠っている。


「今はそっとしておこう。その間に私が回復させる」


 ナタリーはリビングへアシュリーを運んだ。

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