第45話「月」

 瀧本も浴槽から上がり、脱衣所に戻る。

 既にアズベルトはいなかった。

 瀧本に言及されるのが嫌で逃げたのだろう。


 浴衣に着替え、脱衣所を出ると、なぜか瀧本より後に入浴したはずのアシュリーとナタリーが彼を待っていた。

 2人共同じ浴衣だ。


「今上がったばかりなんですよ」


 アシュリーがニッコリ笑うのに対し、ナタリーはギロッと睨んでいる。


「貴様、なぜ私達より遅い。普通は男が先に待っているものではないか?」


 そんなものを定められた覚えはないし、誰がどのくらい風呂に入るかは自由なはずだ。

 男尊女卑的な考え方だな、瀧本は呆れつつ、溜息をつく。


 彼女たちに遅れて、ガーネットも脱衣所から出てきた。

 浴衣になるとより一層彼女の胸元が強調され、思わず瀧本も目を逸らしてしまう。

 あとでナタリーに殺されないかが心配だけど。


 煩悩を振り払い、瀧本はガーネットに声をかけた。


「ねえ、アズベルトってどこ?」

「さあ。まだ見かけていませんが」


 彼女が首を傾げていた時、丁度話題の主がどこからともなくやってきた。


「ゴメンゴメン。ちょっとトイレ行っててさあ」


 陽気な感じでアズベルトは手を振る。

 先程の物悲しい雰囲気はどこにもない。


 もう、とガーネットは膨れっ面を浮かべ、行きますよ、と彼の背中を押した。


「そうだ、明日、家に寄って行けよ。折角だからさ」

「ええ、ぜひそうさせていただきます」


 アシュリーはアズベルトに返事をし、行きましょう、と瀧本たちを促して部屋に戻る。


 あいつ、アシュリーのことが好きだったのか。


 もう昔の話、と言っていたけれど、実際のところどうなのだろう。

 だけどもし、アシュリーとアズベルトが結ばれる、なんてことになったら……。


「それは、嫌だな」

「え、何か言いました? 爽太さん」


 心のうちに留めておくだけのつもりだったのに、どうやら口にしてしまっていたみたいだ。

 なんでもない、と瀧本は口端を上げ、アシュリーの隣に並び立って歩く。


 夕飯は懐石料理だった。

 見慣れない煌びやかとした食事の数々に目移りしてしまいそうだ。

 口にしてみるとこれまた絶品で、今まで食べたことがないくらい美味しい。


「すごいです。私もこんな料理をしなくちゃ……」


 アシュリーは独り言のように呟くだけで、あまり言葉を発さずに黙々と箸を進めていく。

 それほどこの料理を堪能しているのだろう。

 あるいは、料理の研究に集中しているかのどちらかだ。


「お姉様なら出来ますよ」


 ナタリーはそう言いながら、また一口頬張った。彼女の表情は、本当にほっぺたがとろけ落ちそう、と言わんばかりに心の底から幸せを感じているみたいだった。


「真心があって、温かくって。お姉様の料理も、この懐石料理と同じぬくもりを感じます」

「そうですか? そう褒められると、なんだか照れくさいですね」


 ふふふ、と彼女は微笑み、また刺身を口にする。


 懐石料理は、見た目以上にボリュームがある。

 全て食べ終えた頃、平然としているのはアシュリーだけで、瀧本とナタリーはお腹いっぱいと言わんばかりに腹部をさすっていた。

 同じ血が流れていても、食事の量は全然違うのもなんだか面白い。


 食事を終えた瀧本たちは、その後トランプをしたり、窓から星を眺めたり、いろんなことをして時間を過ごしていった。

 やがてナタリーが先に布団の中に入り、瀧本とアシュリーは肩を並べ合って星を眺める。


「これからもみんなで一緒に、どこか遠くへ行ってみたいですね」

「そうだな。次は山にでも行こうか。アズベルトやガーネット、恵子さんや翔くんも誘って」

「良いですね! みんなでバーベキューとか、キャンプとか、楽しみです。矢野さんも誘っちゃいましょうか」

「いや、それだけは勘弁してくれ」


 多分誘ってなくても矢野はビールを片手にやって来るだろう。

 きっと彼女が一緒だと、うるさすぎるし、アズベルトたちと仲良くなろうものならどんな化学変化が起きるか全く見当もつかない。


 けれど、なんだかんだそれも楽しそうだ。


「……うん、また気が向いたら、みんなで何かやりたいね。せめてホームパーティでもさ」

「いいですね。私、料理頑張っちゃいます」


 アシュリーはエメラルドの瞳を輝かせる。

 こんな風に子供のようにはしゃぐ彼女も久々に見た気がする。


 夜ももう遅い。

 窓から見える月は、綺麗な満月をしていた。


 ──お前、アシュリーのこと好き?


 ふと、アズベルトの言葉を思い出してしまった。

 月光を浴びる彼女は、とても妖艶で、華麗で、美しい。


「月」

「はい?」

「その……綺麗だね」

「はい、とても綺麗です」


 それだけ呟いて、アシュリーは布団の中に入る。

 きっと、意味は通じていない。

 それならそれでよかったと、瀧本はほっと胸を撫で下ろし、おやすみ、と彼女に呟いて布団にもぐった。

 こういうのは、たとえ冗談でも言っていいことではない。


 だって、心臓が、ばく、ばく、と早まっていってしまうから。

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