最終章 終焉
皮肉なことにムーンホルトにあった看板周辺に村があることが判明した。あの後もう少し歩けば着くことは出来た。言語は違ったが、そこでは静かに暮らす人々も確かにおり、独自の文明により生活していた。傷ついた私を見た彼らの中には人架もいて、私に治療を施してくれた。この村は平和で、世界戦争とも縁がなく、もしも私たちが何事もなくそこに行き着いていたなら、住もうという話になったかもしれない。
しかし、そこで少しお世話になった後、私は新たな旅へ向かうことにした。安住の地でひっそりと暮らすよりも、この戦争の終結を見届け、彼への土産話にもしたかった。決して全てを受け入れたわけではない。本当に進むしかなかったのだ。彼の言葉が正しいのならそうして生きる。彼との旅は終わったが、私の人生をただの安寧で終わらせるわけにはいかなかった。
それから3、4年放浪の旅を続けた。世界戦争は予想通りに行われたが、全ての街が被害を被ったわけではないことを知った。旅の途中で、幾つもの生きた街と出会うこともあった。一部の都市付近は兵士がうろつき、近づけたものではなかったが、この様に戦争に巻き込まれても平和が保たれている場所もあったのだ。中には人架に対しひどく差別的な行いをするところもあり、死にかけたこともあったが、旅を続けることは大きな苦痛ではなかった。
近頃はラジオも復旧したようで、放映を行うチャンネルも出てくるようにもなった。世界戦争も落ち着きを見せ、幾つかの連合国が出来上がった程度で、核弾頭を飛ばす技術も持たないが故に、滅びとは遠い結果になりそうな雰囲気だった。それを聞いても私はもう構わなかった。いっそこの世界が滅んでしまえと呪ったこともあったが、この世界は美しくもある。泥まみれで、今日も誰かの希望が誰かの欲で潰されていくこの世界だが、滅びるべきでない命もきっとあるのだ。
人架廃棄はかなり進み、世界的にも都市部の普及率は1%を切ったということも耳にした。きっともう私は絶滅危惧種だろう。人によって作られて、人によって殺され礎となるのだ。それに準じて人架否定派という言葉も死語となりつつあった。
彼の死についても理由を追うことが可能になった。街を行き来する中で、世界中で伝染病が流行っていることを耳にすることになった。何度も体調が良くなって、苦しくなるのを反復し、症状が重くなっていくのが特徴らしく、彼のものと完全に一致していた。ウイルスのようなもので、ずいぶん前から人々の中で保菌されていたのが判明したが、戦争の世ということもあり、原因の解明には至っていなかった。現在は不治の病ということらしく、いずれにせよ彼は助からなかったと知った。
ゆっくりと旅をし、進み続けているといつの間にか戦争も止んでいた。私はいつもの様に野宿をしていた。良い景色が見えそうだと傍にあった丘から遠くの景色を見ることにした。
「あれね。」
遠くの景色に、都市と共に円錐状の青々とした100メートルはあろうかという「塔」が街の中央にそびえ、微かな光を帯びていた。憎々しい蹂躙の象徴。そのはずが、心の奥底に未だ深い絶望はあったものの、それを目の前にしても、強い怒りや苦しみに襲われることはなかった。許したわけではない。私にとってはこの旅での、否、人生にとってと言うべきか、憎悪の象徴でもあるのだから。だが同時に復讐心が燃え盛ることも無かった。今まで人生観で守ってきた倫理観がそれを阻む。いくら憎い相手でもそれをしてしまったら、私たちが築いてきた良心が水泡に帰す。この苦しみで誰かを殺すことも、塔を崩すことも私にはできない。その憎しみが向かう先は、そんなエゴであってはいけない。人の汚さと絶望が詰まったもの。あの塔が何で出来ているか、きっとほとんどの人間は知らないんだろう。
「行ってみるか。」
彼を失い、彼との旅を終えた私はもう、ビクビクと何かから逃れることはしないと誓った。あの存在の傍に居れば耐え難い感情にもなるだろう。分かり切っている。受け入れられることは決してなく、この世にこれがある限り、私の生きる意味が奪われた過去も残り続けるのだ。いずれ死ぬ時が来ても、幸福にとはいかない。やり場のない怒りと苦悩に殺され死んでいくのだ。今の私はそういう諦めの決心のもと生きてきた。
街にはすんなり入れた。この国の国境も同様で、検査などは大掛かりにしておらず、直ぐに入れてもらえていた。最近は難民を受け入れる体制を強化しているとの理由からだった。街の中はコンクリートでできた建物も幾つかあり、発展が進んでいるようだった。戦後間もないので、完全にインフラが整っているわけではないが、人々の往来には幸福感が映っていた。人架の機能単純化や廃棄を訴える群衆は何処にもなく、至って平和で人々は安心して暮らしていた。街のどこからでも塔は見え、人々の暮らしを支えていることを象徴しているかの様だった。
「平和な街ね。まあ、悪くないかも。」
変な話、街自体は嫌な所ではなかった。塔もなぜか遠くで見た時より、近くで見た時の方が心で捉えることができ、冷静でいられた。私自身がそういう捉え方をできるわけではないが、塔が完全悪による産物ではないことも事実だ。しかし、ここに居続けることはできないだろう。そうすれば今度こそ発狂し、死ねなかったことを後悔することになる。
街を歩いていると大きな噴水広場もあり、それを取り囲むように屋台などが並んでいた。人気な場所なのか、屋台に行列ができたり、散歩を楽しんだりする人々によって賑わっていた。
人が多く、最初は注視していなかったが、何となく風景を見渡していると、噴水のベンチに一人の女性が座っているのに気が付いた。髪が不自然に赤く、首には青いスカーフが巻かれていた。
「嘘。もしかして。」
あちらも私の存在に気づいて、大きく手を振りながら興奮気味でこっちに駆け寄ってくる。私も間違いないと気づき、感動に胸を昂ぶらせながら手を広げて迎え入れる。そうか。これからの人生は絶望も確かに多いだろう。でもまだ、この世界には息を飲むほどに美しい、沢山の希望と幸福があるのだ。最早それらで心は治らない。それでも満たされることもなく、ただ朽ちていく心の絶望に耐えるためにも、それらを噛みしめよう。そして私は、旅に生きることができた。
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