歩み彩る世界の見方

川辺 せい

日常

 朝、ベッドの中で目を覚ますと、手探りで枕元のスマホを掴む。画面に表示された時刻は8時過ぎ。今日は休日だけれど何も予定がない。二度寝するか否か数秒悩んだ末に体を起こし、乱れた髪を手ぐしで直しながら洗面所へ向かった。肩まで伸びた髪は、もう数か月切っていない。


  SNSで見かけた情報通りぬるま湯で顔を洗い、ティッシュで顔を拭いてから保湿をする。一応UVカットの化粧下地を塗って眉だけ描くと、「近所を出歩けるかどうか」という条件をクリアした部屋着、いわゆるダル着に着替えてコップ一杯の白湯を飲んだ。


 昨日と同じパンを食べて適当に洗い物を済ませると、インスタントコーヒーをマグカップに淹れてソファーに座る。ローテーブルの上に放置していた文庫本を手に取ってから、栞を挟み損ねていたことに気がついた。


「……まぁいっか」


 文庫本は元あったところに戻し、気を取り直してノートパソコンを膝上で広げる。動画配信アプリを起動して、ウォッチリストに入れておいた映画を再生した。私って案外インドア派だったんだなぁ、という実感が年々増しているけれど、本当は外に出ることを億劫に感じてしまうようになっただけなのかも。


 ソファーの背もたれからずるずると雪崩れて、けっきょく寝転ぶ。仕事がある日も束の間の休日もここで一日を終える繰り返し。退屈してるわけではないけど、なんとなく張り合いがない。でも、こういう日々を淡々とやり過ごしている人はきっと多いだろう。私だけじゃない。そうやって自分を納得させようとしている時点で、私は退屈しているのだろうか。


 見慣れた映画の冒頭を垂れ流すノートパソコンを閉じて、立ち上がる。くらりと一瞬立ちくらみがして、運動不足を反省した。窓を開けてベランダに出ると外はすっかり秋の風。


 からりと乾いた空気のなかに、つんと冷たい冬の温度が混ざりはじめる。こうして季節の風を感じることすら、ほとんど忘れて過ごしていた。


 クローゼットの奥から薄手のカーディガンを探し出して羽織ると、鍵とお財布、スマホだけを小さなショルダーバックに入れて家を出た。このアパートの階段を降りるのだって、5日前にコンビニへ行った時ぶりだ。


 あてもなく歩き出したスニーカーの爪先はなんだか心許ないけれど、そういえば少し歩いたところに細い川が流れていたような気がする。


 地図アプリを開いて道程を確認しながら、ふと思った。この小さな画面に全てを見つけることができてしまうから、私はどこへも行けなくなってしまったのかもしれない。


 もっと幼い日々の記憶、まだスマートフォンを手にしていなかったあの頃。どこに続くのかわからない道をただひたすらに黙々と歩く冒険に、私は心躍らせていた。


 スマホの画面を閉じてバッグにしまうと、示されていたルートとは違う小道へ歩き出す。3年半住んでいるこの町のことを、私はまだ何も知らないのだ。

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