桜と梨花
片喰藤火
桜と梨花
梨の花が咲き乱れていた。頭上一面に。
それは光る雲の様で、その隙間から春の青空が遠くまで澄み渡っている。
梨花は農家の一人娘だ。
どこでどうやって友達になったのか覚えていない。
小学校へ入る前から仲が良く、彼女の祖父が持っている梨畑で遊ばせてもらっていたのだ。
彼女は活発で、引っ込み思案な私をいつも引っ張ってくれていた。
姉妹の様に遊ぶ私達を見てか、彼女の祖父が私の名前でもある桜を梨畑の外れに植えてくれた。
「普通は桜が散った後ぐらいに梨の花が咲く。揃って咲くと綺麗だな」
夏になると梨の実がたわわに実る。そして、実った梨をよく食べさせてもらっていた。
彼女は花より実を何より楽しみにしていたようだった。
私が梨の花の方が好きと言ったら。
「実が成るから花が咲くんでしょ。それに花は食べられない。でももちろん花も好きよ」
順序が逆に思えたが気にしなかった。梨花はちゃんと花も好いてくれている。
このまま二人で何時までも仲良く遊んでいるのか……と、そんな風に思っていたら、中学校入学前に二人して事故に遭ってしまった。
私は軽傷だったが梨花は重体だった。
ガードレールが無い道路で、運転手の酒気帯び運転。当時ニュースにもなっていた。
治療の甲斐なく梨花は息を引き取った。
お葬式には行ったけれど、殆ど覚えていない。
後に母から聞いたら泣く事もせず、ただ呆然としていたそうだ。
以来あの梨畑へは行っていない。
私は喪失感を抱えたまま中学高校と過ごし、大学入学を期に上京してからは殆ど帰省しなかった。
就職して結婚はしたが、子には恵まれず、離婚した。
子供が出来ない事だけが原因だった訳ではない。
「お前は、いつも冷めてるな」
夫からはよくそんな愚痴を言われていた。
そんな折に実家からメールがあり、あの梨畑が無くなる事を知った。
十数年振りに訪れた梨畑。整地工事はもう始まっていた。
広大な梨畑も文明の利器に掛かればあっと言う間だろう。
何れそこに梨畑があった事すら忘れ去られてしまう。
母から聞いた話では、梨花の父母は勤め人で農家を継ぐ気はなかったそうだ。
梨花が生きていたら継ぐかも知れないと維持はしていたらしい。
しかし梨花も事故で亡くなり、祖父も亡くなって、維持するのは難しく、売ってしまったそうだ。
ブルドーザーやショベルカーが梨畑を壊していく音が、空をも壊すかの如く轟いている。
私には工事を止められない。止める権利も無い。
心臓を抉られるような気持になったので、梨花の両親に挨拶もせず、直ぐにそこから立ち去った。
次に向かったのは村役場だ。
梨花の祖父の遺言で、桜だけは村役場の外れに移植されたそうだ。
二十年近くも経てばそれなりに大きくなっていた。
私だけ生かされたような寂しさを感じていた時、側に梨の苗木が植えられていたのに気が付いた。
誰が、何故。
奇妙に思いながらも私は、小さい枝に咲くその一輪が愛しくて手を翳した。
嗚呼、梨花。
失った感情をようやく取り戻したかのように涙がぽろぽろと零れてきた。
私は梨畑を再興しようとした。
梨花を失った心の欠落を埋めるには、あの情景が必要だ。
涙を拭い去り、急いで梨花の家へ向かった。
インターフォンを押すと梨花のご両親が迎えてくれた。
私は梨花の両親にたどたどしくご挨拶をし、今までの不義理をお詫びした。
私の事は覚えていてくれたし、訪れた事を喜んでくれた。
そして私の近況も母から聞かされていた様だ。いや、近況に限らず全て筒抜けだった。
田舎特有の情報網とやらか。
事情を話すと、既に住宅地として売ってしまった土地は難しいけれど、
梨花の家以外にもやり手不足の問題を抱えている所は多く、知り合いを紹介して貰えることになった。
元々農地を持っていない人間が果樹園をやろうとするのは並大抵な労力ではなかった。
けれど手伝ってくれる人達は多かったので、なんとか梨を出荷するまで漕ぎ付ける事ができた。
とある収穫の日、毎年収穫を手伝ってくれた人達の中の一人から告白された。
バツイチで既に年増な私は悩んだ。梨花の事や前夫の事、地元を活性化させたいとか、農業振興の為とか、
そういったものではなく自分の為に梨畑をやっている事を話した。
「皆そんなもん。むしろ目的がある分すごい」と穏やかに笑われ、悩んだ挙句に了承した。
再婚した後は女の子を身籠った。産まれて来る子の名前は梨花。夫も了承してくれた。
ふと花が咲く順番は逆ではなかったな……と思った。
そして梨の花が今年も咲き乱れる。
家族三人で見上げる梨の花の景色は、あの頃見た幻想的な風景とは少し違う。
けれど梨花の笑顔を見ると「これこそが私には必要な風景なんだ」と強く思った。
梨の実が生るのが楽しみだ。
――終わり――
桜と梨花 片喰藤火 @touka_katabami
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます