ラトビアのパン
吉田麻子
ラトビアのパン
ラトビアのパン 吉田麻子
幼少期、わたしはあの通りが人生のすべてだと思っていた。あの通りのことなら、なんでも知っていた。舗装されていない土の道。いつも土ぼこりでけむいのだ。わたしはあの通りに寝そべったこともある。道路と一体化したような気がして、自分まで茶色くなるみたいだった。あの茶色い土のなかには、よく見るとダイヤモンドみたいなキラキラした砂が混ざっているのだ。わたしはそのダイヤモンドを集めてポケットに入れるのがすごく好きだった。地面を撫ぜると手のひらで粒子がざらつく。爪の間に茶褐色の土のつぶが入って、いつまでも取れなかった。雨の日は、茶色い土はくろく濡れそぼって、すっぱい匂いをそこらに漂わせた。匂いがけむりのように目に見えた。そんな日は、いろんなものたちの匂いが増大し、近所の家のモルタルの塀のかげからバッタのあおい匂いがしたり、排水溝に溜まった泥の腐敗臭がしたりしていた。
雨上がりには、空き地に大きい水たまりができた。池のように大きな水たまりだ。
水面をアメンボがすっと過ぎる。土と水の境界のところには、なにやら泡立つものがある。水たまりができただけで、いつもの光景が原始時代のようになった。
わりに広い空き地だ。四軒ぶんくらいの住宅が建てられるほどの広さがある。その空き地は、わたしの定番の遊び場であった。真ん中に木が生えている。そのまわりにはぼうぼうと草が生えている。自分の背丈を超えて群生する草の中へ分け入っていきたいという欲求は、恐怖と諦観と少しの悦びを内包した、肉欲に近いスリルある行為だった。わたしはそれがやみつきになっていた。
「原っぱ」と呼んでいた。「原っぱ行ってくる」と言うとき、あのいやらしい欲望を果たしに行くのだといううしろめたさすらあった。それほど原っぱは幼女のわたしにとって官能的だった。ああ、わたしはこの草たちにからめとられ、土にすっかり埋められてしまうかもしれない。お母さんはもうどこを探してもわたしに会えないのかもしれない。それはすてきな空想だった。わたしは原っぱで草たちによって葬られるお姫さまなのだ。この草の湿った匂い、土のすっぱい匂い、雨上がりにうごめく虫たちの気配、ぬかるんだ泥に沈んでいく感覚。かわいそうなわたし。甘いあきらめ。ぞくり。
それはいつも必ず恐怖に行き着いた。急におそろしくなって、ばあっと立ち上がり、泣きながら自宅に走って帰るのがお決まりだった。泥んこのわたしの帰宅を家族はだれも驚かない。毎度のことなのだ。
そよ風の吹く晴れた日は、原っぱの真ん中にある木に登るのが好きだった。わたしは靴を脱いで靴下だけになると、手足を吸盤のように木のふしに順番に置いてするすると登り、一番低いところにせり出した枝まで行くことができた。その枝に腰掛けてそよ風を感じるのは、まるで地球がわがものになったかのように幸せな気持ちだった。
あるとき、もっと上の枝に登ってみたいと思い、何本も上の枝まで登っていったことがある。ところが上の方の枝は風にしなるように揺れていて、そこにわたしの体重が乗ってますます揺れ、慣れ親しんだ原っぱの地面ははるか下につめたく遠のき、今にも転落するのではないかというような恐ろしい場所だった。わたしは手にびっしょり汗をかいて、びくびくしながらいつもの枝まで下りた。誰も見ていなくてよかった。家族が見ていたらすごく怒られただろう。
やがてわたしは小学校へ通うこととなり、その原っぱから連れ出された。小学生になってからも、ランドセルを背負いながらなつかしくその原っぱを横目に通学した。いつしか小学校の中でのあれこれが人生における濃密な中心になっていき、その原っぱへの興奮は少しずつ萎えていった。
あれから四十年以上が経った。
人生における濃密な中心点は、小学校から中学、高校、短大へと徐々に移り変わった。短大を卒業してから今日までは、長年勤める職場が人生の中心となっていた。
わたしは、大きな商社の市内の支店の求人を短大の就職課の掲示板で見ていち早く応募し、運よく正社員として採用された。
それ以来もう四半世紀に渡って、同じ総務課に配属されたまま同じ業務を今日まで続けている。二十代は仕事を覚えるのに精いっぱいで、三十代は両親が病気をしていてその看病に月日は飛ぶように過ぎ、四十代前半に両親が続いて他界し、あっという間に今年四十八歳になる。
その長い期間のうち、何度かは恋愛を経験した。数年続いたものもあった。しかしどの人との恋愛もわたしの居場所になりきらないまま、立ち消えてしまった。何かの拍子にずれたリズムがどんどんかけ離れていき、お互いのいろいろがかみ合わなくなってしまったのだ。
そういうことが幾度もあるうちに、だんだん億劫になっていった。歩調の合う人がいたらきっと楽しいだろうというほのかな願望はあるし、このままずっと誰とも歩まないと決めたわけではない。さびしくてやりきれないこともある。それでも月曜日になると、判で押したように同じ毎日が五日間繰り返される。毎朝同じ時間の路面電車に乗って職場へ行き、夕方また路面電車に乗って自宅へ帰る。
独り者である自分にとって、勤務先があってよかったと心底思う。金銭的なことも安心だし、長年通う場所があること自体が大きな心のよりどころになっているように感じる。
わたしの世界は歳を重ねるごとにどんどん狭くなっていった。ますます恋愛から遠のいていき、学生時代から楽しく続いていた友達づきあいは、ぷつりぷつりとどれも疎遠になっていった。
結婚して子育てしている友人たちに、看病の愚痴や葬儀のあれこれを聞いてもらうことはしづらく、なんとなく忙しさを理由に誘いを断っているうちに、暮らしはとてもシンプルになっていった。
ひとりだけ、今でもたまに連絡をくれる友人がいた。高校教師の夫を持ち、小学生の子どもを二人抱えて、ピアノを習い、料理教室にも行くという景子だ。景子は数か月に一度連絡をしてきては、お茶でもしないかと誘ってくる。わたしはたいていめんどうに思って、仕事が忙しいからと断っていた。そのうちわたしの人生は、職場と家の往復だけをロボットのように規則的にこなすものになっていった。
それでも一人の週末に、ワインやつまみをたっぷり用意して読書をするのだけは好きで、自宅の本棚の本と贅肉が、本人が気づかないくらいゆっくりと、しかし後戻りできないほど確実に増えていくのだった。その自堕落な悦びは、幼少期に原っぱ遊びに感じていたあのうしろめたさと少し似ていた。
ああ、わたしはこのままひとり、本に溺れ、ワインに溺れて、誰にも発見されないままにここに埋もれてしまうのだわ。
その甘い諦観が日常のアンダートーンになりつつあった頃、見かねた景子がわたしに一人の男性を紹介したのだった。秋の深まる週末に、のんびりビーフシチューをつくっていたら電話が鳴った。
「本好きの、独身アラフィフ同士だから」
なんとなく行きたい気分になった。
早川さんというその男性には、とてもスムーズにわたしの人生に立ちあらわれた。
まず景子夫婦と四人で食事をした。そこへあらわれた早川さんに、わたしは「森のような人」という印象をもった。
深い緑とレンガ色が混ざったような、まるで森の情景のような色のツィードジャケットを着ていたからだ。そのツィードジャケットは少し古めかしく、なつかしい感じがした。まるでおばあちゃんの家の押し入れの布団のように、ちょっと鼻をつけてにおいを嗅ぎたいようななつかしさだった。
その後数回二人で食事をした。いつも「森のツィードジャケット」を着て来るのが少し可笑しく、心がほぐれる感じがした。お互いに本が好きだから、話題がなくて困るということはなかった。それどころか新刊の情報などを交換するうちに、それなら書店へ一緒に行って探そうということになった。ちょうど大規模な郊外型書店がオープンしたから、見物がてら、今度の文化の日にそこへ行こうと話がまとまった。
その書店へ行ってみると、まず広さに圧倒された。体育館をいくつもくっつけたような広々とした店だ。書棚がどこまでも並び、天井は高い。いったい何冊の本が陳列されているのだろう。アメリカ文学、ロシア文学……、それぞれのカテゴリーにゆったりとコーナーが用意されており、それらを眺めて歩くだけで心がときめく。アフリカ文学だけの棚もある。文学だけではない。歴史、旅行、科学、音楽、美術、写真、宗教、天文、教育、法律、経済、医療、生物、料理、建築……。
この世界には実にさまざまな「棚」があるのだ。自分の知らない領域の多さに圧倒される。あまりに遥かな質量を前に、敗北を味わう。なんだか嬉しい敗北だ。自分がちっちゃい存在だと感じる喜びだ。
もう四半世紀も在籍している職場では、生き字引のような扱いを受けている。何でも知っていますよね、と言われるたびに謙虚に否定することすら思いつかないほど、職場内のあれこれについて隅々まで熟知している。
それは職場という狭い枠内のことであるにもかかわらず、毎日そのように扱われているとつい自分が何でも知っている気で暮らしてしまう。平易な漢字を書き間違う社員に、手紙の書き方を知らない新人に、「そんなことも知らないの?」と眉をつりあげてしまうような厭な性格になりつつあると自分でも思う。そんなふうに灰色のもやのようにフレッシュな謙虚さを鈍らせていく老いのようなものを、払拭させてくれるムードがこの書店にはあると思った。
――ときどき一人でも来よう。
まだまだ、なんにも知らないんだ……。わたしはまだまだちっちゃいんだ。そう思えるの、嬉しい。この場所に、すがりつきたいような気分が芽生えていた。
そしてこの書店は、早川と仲よくなるためにもうってつけの場所だった。
「あ、これ持ってる」
「読みましたよ」
「これ、面白そうだなあ」
「その人の書く世界いいですよね」
書棚をめぐることで起こる会話をぷかぷかと二人の周りに浮かべたまま、奇妙な浮遊感とともに時間が過ぎていく。
まだ早川の興味の先にあるものをよく知らない。どの本を手に取るのか、見当がつかない。けれども書棚を見て歩く歩調は自分とよく似ていて、心地よい。これまで食事をしているだけではわからなかった安心感を、わたしは早川との時間に感じ始めていた。
「これこれ、傑作なんだよ」
「へえ、読んでみたい」
「これもお勧めだなあ」
「そうなんですね」
しかし、会話のパターンは完全に、早川主導だった。わたしは相槌を打つのが精いっぱいで、自らも無邪気に書棚に手を伸ばし、自分の好きな本を早川に伝えるまでには、まだ心を開くことができていなかった。
――もう少し様子を見てからね。
わたしは自分の選ぶ本の趣味が、早川に気に入られるものであるかどうかを気にしていたのだ。
「おおっ、すごい。歴史の本がこんなに並んでいるのは見たことがない」
別の通路に足を踏み入れた早川は、ずらりと立ち並ぶ歴史関連の本の多さに興奮し、片っ端から物色し始めた。その早川をしばらく横で見つめていたが、あまりに没入している様子に苦笑するしかない。
「少しぐるりと他を見てきますね」
早川は、本のページを繰りながら、「う」と「ん」の間のような音を発声した。
わたしは歴史コーナーから離れて、ぶらぶらと目的もなく店内を歩いた。なんだか少し疲れてしまった。どうもまだまだペースがつかめない。
ふとまだ見ぬ通路に立ち入ると、そこは絵本のコーナーであった。最近人気のベストセラーがずらりと並ぶ奥に、昔ながらの定番本も種類豊かに並んでいる。わたしは何を探すともなく、背表紙を指で追いかけていった。
わたしは独身で子どもがいないので、絵本というと自分が幼少期に読んでいたものぐらいしか知識がない。ぼろぼろになるまで読んでいたあれ、なんだっけ、あの絵本。タイトルを追っていくとなつかしいものがいくつもある。
たいてい、絵本を読むのは雨の日や雪の日だった。多少の雨でも原っぱへ行っていたのだから、おとなしく家にいて絵本を読むのはそうとう天気の悪い日だっただろう。だからなのか、絵本の記憶は窓外の雷鳴やどしゃぶりの音とセットになっている。そして暖かく燃えるストーブや、その上でシュンシュンと沸くやかん、眠い気分、だるい体。わたしは早川のことを一瞬忘れて、遠い幼少の部屋へタイムスリップしたように立ち尽くしていた。
ぼうと立っているわたしは、天井の高い書店の音の響きがわんわんと遠ざかっていくような感覚になって、薄膜をかぶせられた人のようだった。
早川さんがこちらへ来て、わたしの顔のすぐ前で手を振って、「おうい、起きてる?」としてくれなければ、わたしはまだあのやかんのお湯が湧く実家の部屋に居たままだったかもしれない。
「あ、すいません」
「絵本、見てたの?」
早川さんは穏やかな好奇心を見せてくれた。わたしはそれが嬉しくて、少し自分の心を開いてみようと思ったが、恥ずかしさが勝って「あはは」としか言えなかった。
いまの「あはは」に拒絶めいたニュアンスが混ざらなかっただろうかと心配しながら、わたしは早川さんの大きな背中についていった。
この書店にはコーヒーショップが併設されていた。飲食スペースと、ワインや菓子を販売しているコーナーなどが広がっている。早川さんの背中は、ワイン売り場へ入っていった。世界のワインがずらりと並んでいる。わたしはすこしうきうきしてきて、一本くらい買って帰ろうかなあと考え始める。チーズや生ハムも売っている。早川さんは、さっきの書棚めぐりのようなリズムとスピードで、ひとつひとつの商品を手に取っては商品名を読み上げたり、感想を言ったりしている。わたしはそれに合いの手を入れていく。
文化の日の今日、早くもクリスマス仕様のラッピングのお菓子がカラフルに並んでいる。秋から冬に向かって寒さが厳しくなるときに、こういうクリスマスのあたたかい飾りつけを見るとやはり独り身ではなく、かたわらに腕を組む誰かが居てほしいなあという願いが遠慮がちな泡のように立ちのぼる。もしかしてこの人と、今年のクリスマスにワインを飲めるかなあ。わたしはいつもよりも少し胸が弾んでいた。
ふと早川さんの足が止まった。
「なに、これ!」
そこはパン売り場だった。さまざまなパンが売られていた。袋に入った輸入物のパンも並んでいた。
「輸入物のパンだって。どこのだろう」
早川さんはひとつのパンを手に取って裏返した。
そこには、原産国ラトビア、と書かれていた。
「ラトビアのパンだって!」
「ええっ、ラトビアのパン? わあ、すごい!」
ラトビアってあのラトビア? あのバルト海の国のラトビア? いったいどんな味なんだろう、美味しいんだろうか、食べてみたい。美味しくても美味しくなくても食べてみたい。
わたしの心は跳ね上がり、好奇心のかたまりになった。
「すごいよね! いくらだろう」
その小さなパンについていた値段は、千円に近い金額だった。パンにしてはとても高い。
「げ、高いな」
「ほんとだ、高い」
「まあ、いいか」
「ですよね、ちょっと高いですよね」
ボルテージは一気に下がり、それからもう少しそのワインコーナーをぶらついて、クッキーやら缶詰やらを物色した。
その日、早川さんは本を五冊ほど買い、わたしはけっきょく何も買わなかった。
景子から長文メールが来たのは、それから一週間くらいした頃だった。
いつも軽快な短文がスタンプとともにポンポン送られてくるのに、そのメールは、絵文字のない長々とした文章だった。
景子が早川さんにわたしの印象を聞くと、早川さんは「今回ちょっとご縁がなかったかも」と言っていたのだそうだ。いっしょにいてもわたしがとても無口で、つまらなそうだったと。いろいろと会話の糸口を探して、書店へ行ってみたりもしたけれど、どうにも盛り上がらず、心を開いてもらえる気配が感じられなかった、と。景子にしてはとても歯切れの悪い、長ったらしいメールであった。最後に、「なんか無理に引き合わせちゃってごめんね」と結んであった。
――いや、ちょっとちがうんだけどなあ……。
これから心を開くつもりだったんです。嬉しいと仏頂面になるタイプなんです。楽しそうな早川さんの無邪気な姿を見ていると、こっちが変な発言をして自分といることを再確認されて盛り下がるのが怖くて、発言を最小限にしていただけなんです。言い訳みたいなものが一斉に脳内に響くが、それらの気持ちをどう説明していいかわからず、かといって縁がなかったと言っている人に追いすがる勇気ももてないまま、わたしはへなへなと座り込んでしまった。しばらく考えて、いろいろありがとうの気持ちだけを景子にメールした。
かくしてわたしの人生に残ったのは静かないつもの日々である。職場と家の往復。週末のワインとつまみと読書。小さい頃の原っぱに、また戻ってきてしまった。
あのとき、あの原っぱに、本当はお母さんに迎えに来てほしいと思っていた。うっそうと茂った草を書き分けて、探し出してほしいと思っていた。だから隠れていた。ずっと待っていた。早く誰かに、見つけてほしかった。そうでないと、朽ちてしまうと思っていた。
いまわたしは、ワインを飲みながら、少しずつ朽ちていっているのかもしれない、
ラトビアのパンを、買えばよかったのかもしれない。
何が悲しいかわからないが、何かがこみ上げてきてわたしは泣いた。
それからもわたしはしばらくの間、じめじめといじけて暮らした。表面的には何も変わらずいつものわたしだった。月曜日から金曜日まで路面電車に乗って通勤し、週末はワインとつまみを用意して、読書に耽った。
毎週、毎週、ほとんど同じことが繰り返された。刻まれたリズムはわたしをその日から次の日へと確実に運んだ。その快適な歩調がもたらす健全な効果は大きく、もしかして独りで生きるこの生活は自分にもっとも適しているのではないかと思い始めるようになっていった。今年話題のミステリーに夢中になったり、少し高いワインに手を出したりしながら、これでいいんだ、これがいいんだ、と言い聞かせるようになった。
桜餅を買って帰ったり、道端のあじさいを眺めたり、夏服に着替えたり、お墓参りをしたりしているうちに、また秋がやってきた。
初雪のニュースを見ていると、少し心が泡立ってきて、あまり振り返らないようにしていたちょうど一年前の早川さんとのことをぐずぐずと振り返るようになってきた。しつこいぐずぐずだ。これはもう葬ろう。
わたしは今年も文化の日に昨年と同じ書店へ行くことに決めた。
文化の日は晴れていた。バスでなければ来られない郊外型書店。車のないわたしは普段来ることがない。わたしは午前中のバスに乗り、久しぶりにこの書店を訪れた。相変わらず広々とした店内。高い書棚にずらりとさまざまなジャンルの本が並んでいるのは実に壮観だ。今日はミステリーを何冊か買って帰ろう、と思う。しかしその前にやりたいことがある。
わたしは書棚の物色はせずに、すたすたとまっすぐコーヒーショップに向かった。ワイン売り場へ行き、パンの場所を探す。去年と同じく袋詰めのパンがたくさん売られている。わたしはその袋詰めのパンを片っ端からひっくり返して探していく。
あれ、ない? しばらく探したが見つけられない。
わたしはレジへ行って聞いてみることにした。ちょうどお客さんが途切れてレジの女性がふたりおしゃべりをしている。
「あの、すみません」
「はい、いらっしゃいませ」
「ラトビアのパンって、品切れですか?」
わたしの言葉にレジの女性は少し驚いた表情をしてから、「現在お取り扱いがございません」と答えた。
「えっ、そうなんですか? もう入荷しないんですか?」
しつこく質問するわたしにレジの女性はもう一度、「ラトビアのパンは入荷予定がありません」と答えるのだった。
「そうですか。わかりました」
はりきってバスに乗って買いに来たのに……、とがっかりした。なんとなく立ち去りがたく、せっかくだから何か買って帰ろうかとレジのかげに並んでいる缶に入ったミントチョコを手に取っていると、レジの女性たちのおしゃべりが聞こえてきた。
「またラトビアのパン」
「また?」
「さっきも同じような人が来たのよ。男の人だけどね。ラトビアのパンありますかって」
わたしはばっとミントチョコの缶を戻して、ワイン売り場をぐるりと見渡した。
ワイン売り場から出て、コーヒーショップの席を駆け足で全部見て、そこから走り出し、このだだっぴろい書店内のすべての通路を見て回った。つんのめるように歴史コーナーに来たとき、向こうの角を曲がる森のツィードジャケットの背中が見えるような気がした。
歴史コーナーの通路には年配の男性や学生のグループがちょうど本を探していて、わたしは「すみません、すみません」と言いながら彼らの間をむりやり通り抜けた。
角を曲がると、そこは数多くの人が行き交う書店内のメインストリートだった。森のツイードジャケットの背中は、どこにも見当たらなかった。あの、深い緑とレンガ色。まるで森の奥の情景のような深くてなつかしい色合い。あれをもっと見たいのに。
そうだ。あの色は、あれの色だ。
「原っぱ」は晩秋になるとあのような色合いになるのだ。晩秋の原っぱも、幼少期のわたしはすごく好きだった。かすれたような秋風の声。深い緑とレンガ色が混ざったような枯れたものたち。わたしの背丈ほどもあった群生した草たちは、秋になると茶色く枯れる。土はつめたく硬くなり、おでこをつけると頭がきんと冷える。そこへどこかからやってくる枯れ葉たちが積もっていくのだ。濃い緑や、赤茶の枯れ葉が。晩秋の原っぱは焚き火のようなにおいがずっとしている。乾いた植物が木枯らしに吹かれてカラカラと音を立てる。わたしは枯れ葉に命じる。「どこかにどんぐりがあるであろう。持ってまいれ」。枯れ葉はカラカラと探しに行く。わたしは枯れ葉たちを集めてソファにする。ふかふかのソファに座るとズボンがびっしょり濡れて、お母さんに怒られたっけ……。
――ラトビアのパンは入荷予定がありません。
入荷予定、ないんだってさ。今後、入手不可ってこと。あのとき買わなかったって、そういうことなのよ。森のツィードジャケットも見失っちゃったし。ご縁がなかったの。
ふう、とため息をついた。
「ラトビアのパン」は手を離した風船のように、もう届かないところへ飛んでいった。
もう自分の手では取り戻せないとわかると、絡みついていた思いもほどけていくようだった。むしろつかんでいた両手があいて、自由になった気さえする。
なんだか笑いがこみあげてくる。
――そうだ、あれが見たいんだった。
わたしはもう一度ワイン売り場のレジへ行って、缶に入ったミントチョコを買った。
そうして書店の外に並んでいるタクシーに乗り込んで、自分の育ったあの通りの「原っぱ」の場所を告げた。
あの、深い緑とレンガ色。深くてなつかしい色合い。あれを見に行こう。晩秋の匂いを嗅いで、枯れ葉の音を聴こう。
きっと地球がわがものになったように幸せな気持ちがするだろう。
ラトビアのパン 吉田麻子 @haruno-kaze-
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