第20話 気付かされた想い
助け出された安堵感から泣き出してしまったイーディスは、ようやく落ち着きを取り戻していた。
泣いている間は、ずっとオズワルドが寄り添ってくれた。いつの間に頼んだのか、メイドが持ってきてくれた濡れタオルを目に当ててもくれた。ひんやりした感触は心地良く、気持ちを落ち着かせるのにもだいぶ役に立った。
「イディ、落ち着いたならアレンを呼んでくる。今日は帰ってゆっくり休んだ方がいい」
気遣うような優しい声に、首を振って拒否の意を示す。
「イディ」
「……ここで私がいなくなれば、反王族はに突っかかられるに決まってます。宴を成功させるためにも戻ります」
「イディ、無理はしなくていい」
「皆が頑張ったのに、私のせいで台無しにしたくないです」
まっすぐにオズワルドの青い瞳を見つめる。心配してくれるのは嬉しいが、甘やかされたい訳ではない。
しばしの沈黙の末、オズワルドが小さく息をついた。
「分かった。戻るなら化粧と髪を直した方がいいな」
「よし」とイーディスが拳を握っている間に、オズワルドはテーブルの上にあるベルを鳴らした。チリリと高い音が鳴り、数秒と待たずにメイドが中へと入ってくる。
「彼女の支度を手伝ってくれ」
「承知いたしました。すぐに道具を持ってまいります」
そう言ってメイドは一旦下がっていった。広い部屋に再び二人だけとなる。
「せっかく整えた髪が台無しだな」
そっと伸ばされた手がイーディスの乱れた髪をさらりと撫でる。
せっかくまとめられた髪は、押し倒されたせいでぐちゃぐちゃになっていた。わんわん泣いたので化粧も崩れているだろう。鏡を見るのがちょっと怖い。
「そうだ! オズワルド殿下」
「ん?」
「言うのが遅くなりましたが、助けに来てくれてありがとうございました」
オズワルドが来なかったら、いろいろと危ないところだった。
心からのお礼をしたのだが、なぜかオズワルドはこちらを見たまま動かなくなってしまった。よく見れば、ほんの少しだけ耳が赤い。
かと思えば、突如ハッとした表情に変わる。
「あの、オズワルド殿下?」
「……イディ、あいつに何をされた?」
「えっ?」
険しい顔つきのオズワルドに、イーディスは目をぱちくりさせた。そこへもう一度オズワルドが同じ問いを繰り返す。
「あいつに、何を、された?」
「えっと……?」
「あいつに…キスされたのか?」
「………へ?」
なぜそういう誤解になったのだろうか。疑問の方が勝り、口を開けたままポカンとする。
しかし、それを肯定と取ったのか、オズワルドの声が地を這うように低くなった。
「あの野郎……一発ぶん殴ってやる」
「えっ! ちょっ……さ、されてませんから!」
アロイスのことは嫌いだが、さすがに王太子が殴るのはまずい。慌てて無事を主張したが、オズワルドの目は本気であった。
どうやら、オズワルドの角度からはアロイスがイーディスに口付けているように見えていたらしい。
「あの、本当に……」
「何もされてないと誓えるか?」
オズワルドの目がじとりとこちらを睨む。「何も」と言われると、非常に後ろめたい気持ちになる。
問い詰めるような視線に、そっと顔を逸らす。
「……ちょっとだけこの辺を舐められました。で、でも、キスはされてません」
恥を忍んで舐められた辺りを指差し、正直にカミングアウトする。今のオズワルドは、黙っておくと後が怖いような迫力があるのだ。
しかし、そんなイーディスの覚悟も空しく、オズワルドの機嫌は急降下していく。なぜだか先程以上に怒気を発している。
「あ、あのぅ……?」
ビクビクしながら声をかけると、オズワルドが盛大な舌打ちをした。凛々しい御尊顔は、すっかり目が据わっている。
かと思えば、突然オズワルドはタオルで舐められた場所を強く擦ってきた。
「ひゃっ……ちょっ…い、痛いです」
「くそっ…あの野郎っ!」
擦り切れるのではないかというくらい力一杯ごしごし擦られる。痛いと訴えてもその手が止まることはない。
「オズワルド殿下……痛い…擦り剥けます」
舐められた感触が掻き消されるくらい何度も何度もタオルを押し付けられた頃、ようやくオズワルドの手が止まった。
「イディ……あいつと同じような事はしたくない。でも、流石にこれは許せない」
「えっ……はい? オ、オズワルド殿下…?」
「嫌なら殴っていい」
そう言うなりオズワルドはイーディスの鎖骨に唇を寄せた。タオルで擦られた時とは違う熱が感じられる。
ほんの一瞬、アロイスにされた事と重なり体が強張る。それを慰めるようにオズワルドの手が背に回された。
唇はすぐに離され、オズワルドが真剣な表情で見つめてくる。
「好きな女が押し倒されて黙ってられるほど、俺は大人ではない」
「………え?」
オズワルドの口から初めて聞いた『好き』の一言に思考が停止する。
明らかにポカンとしてしまったイーディスを見かねて、オズワルドはハッキリと自分の想いを口にした。
「イディ、俺はお前が好きだ」
オズワルドの唇が首筋に寄せられる。自分の体温とは違う熱が首筋からじわじわと広がっていく。いつの間にか抱きしめられた体は、その甘さに捕らえられて動くことができない。
「…んっ……」
ほんの少し鈍い痛みを感じた時にはオズワルドの唇は離れていた。何が起きたのか状況に付いていけず唖然とするイーディスを、オズワルドは満足そうに見つめた。
そしてタイミングを計ったように扉がノックされる。メイドが戻ってきたのだ。
「イディの化粧と髪を至急整えてくれ。すぐ宴に戻る」
急転直下の状況に呆けるイーディスを差し置き、オズワルドとメイド達で話が進められる。手際の良いメイド達は、ドレッサーに次々と化粧品を広げていった。
「イディ、あいつの事は忘れろ。俺だけを見ててくれ」
「えっ……ひゃ!」
そう言うとオズワルドは、軽々とイーディスを抱き上げた。突然高くなった目線に驚きオズワルドへしがみつくと、なぜか嬉しそうに微笑まれる。
そのままドレッサーのイスへイーディスを下ろすと、何事もなかったかのようにメイドへと向き直った。
「では、イディを頼んだ。私は廊下で待っている」
「はい、お任せ下さいませ」
イーディスが大分遅れて全てを理解した時には、オズワルドは既に外に出ていったあとだった。
──な、なっ……オズワルド殿下が…わ、私を……す、好き……?
真っ赤になって湯気でも出そうな勢いのイーディスを見て、メイド達が何かを察する。
「あら? まぁ……髪は下ろした方が良さそうですね」
「ふふ、殿下ったら」
イーディスの首筋にうっすらと残る赤い痕──オズワルドからのキスマークに気付くのは自宅に帰ってからであった。
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