第18話 反王太子派の罠
「イーディス嬢、二人で話せるのをずっと心待ちにしていたよ」
突然部屋に現れた男は、さも親しげに話しかけてきた。もちろん面識はない。ぱっと見たところ20代前半といった風貌で、服装からすると貴族だろうか。
──今、鍵をかけた……?
先程は見知らぬ男が入ってきた事に気を取られたが、カチャリと鍵をかける音が聞こえた気がする。
この部屋の出入り口は、男の後ろにある扉しかない。嫌な予感を感じたイーディスは、靴を履かないまま立ち上がって男を睨みつけた。
そもそも、なぜこの部屋にイーディスがいると知っていたのだろうか。イーディスがこの部屋を使っているのは、正規の休憩室に空きがなかったからだ。係員が気を利かせてたまたま案内してくれただけで、利用することがあらかじめ分かっていたわけではない。
そこまで考えを巡らせてハッとする。
もしや、先程の係員もグルだったのではないか。よくよく考えれば、ただの係員が使用許可のない部屋を勝手に案内するなどあり得ない。
──まさか……罠っ!?
この男の口ぶりは、イーディスに会うのを待ち望んでいたかのようであった。
イーディスは、自分の迂闊さに歯噛みしたくなった。しかし、それを表情に出すことはない。なるべく落ち着いて見えるよう、真っ直ぐに背筋を伸ばしてみせた。
「突然失礼ではないですか? ノックもなしに入ってくるなんて」
「それは失礼。イーディス嬢にお会いしたいあまり、気が急いてしまいました」
男はイーディスの慇懃無礼な態度も気にせず余裕の笑みを浮かべている。
数少ない社交場での記憶を必死に思い返してみても、やはり男の顔に心当たりはなかった。そんなイーディスの探るような視線に気付いたのか、男は腰を折って大仰な礼をしてみせた。
「ああ、ご挨拶が遅れましたね。私はアロイス。バーンズ伯爵家の長子です」
「……っ!!」
バーンズ伯爵家の長子──その言葉に、ひゅっと息を飲んだ。バーンズ伯爵が「エスコート役はぜひ息子に」と押し売りしてきたのは記憶に新しい。
──お父様が心配してたのって……こういう事っ!
今まで不思議に感じていた事がようやく一つに繋がった。
父が「変わった事はなかったか?」と聞いてきたのは、不穏な動きを察していたのだろう。あの様子だと兄も知っていたに違いない。先程、オズワルドがイーディス一人で歩き回るのをよしとしなかったのもそのせいかもしれない。
──いつの間にか私は狙われていたのね…。
そんなイーディスの心の内を読み取ったかのようにアロイスがニコリと微笑んだ。
「やはりイーディス嬢は聡明だ。置かれた状況を既に理解されているようだ」
ゆっくりとした歩みでアロイスが近付いてくる。意外と落ち着いている頭とは違い、イーディスの体は緊張から強張ってしまい上手く動かない。たった一歩後退ることも、足がもつれそうなくらいだ。
「イーディス嬢。殿下の婚約者などやめて、私と結婚しませんか?」
「…………は?」
突然何を言い出すんだ。思わず眉間に皺が寄ってしまう。ついでに言えばオズワルドの婚約者になった覚えはない。そこはややこしくなりそうなので黙っておいた。
「貴女は僅か10歳でマクレガー領を大発展へと導き、その後も様々な案でこの国に貢献してきました。今回の前例のない宴も、公にはされてませんが貴女の発案でしょう?」
アロイスの声は、あくまでも穏やかだ。それなのに何故か恐怖が体中を支配する。イーディスは早鐘を打つ心臓を押さえるように胸に手を当てた。
「貴女のように優秀な女性がバーンズ家に来てくれれば我が家も安泰だ」
「……何の事か分かりかねますわ」
イーディスは平静を装い、あえてしらを切った。やはり、お家繁栄のために結婚したいということだろう。過大評価もいいところだ、そんな思いで相手を睨みつける。
アロイスは、そんな視線をものともせず微笑んだ。
「おや、自覚がおありではない? イーディス嬢の一挙手一投足は、常に注目の的なのですよ。貴女を娶りたい男など山程いるでしょう」
「おあいにく様。私は仕事の方が楽しいの。結婚の予定はしばらくないわ」
人を金儲けの道具のように考える男など断じて願い下げだ。そういう思いを込めて言い返す。
妙に近い距離感も不快だ。震える足を叱咤しながら、もう一歩後退った。だが、その分またアロイスが近付いてくる。
──もうっ! しつこいっ!
こんな男と密室に二人っきりというのはマズい。何とかしてここから逃げなければ。イーディスは、アロイスの後方にある扉へと視線を向けた。
その時であった、再度距離を詰めてきたアロイスに突然腕を掴まれる。逃げる事に気を取られていたイーディスは、反応が出来ずあっさり至近距離を許す事になってしまった。
「……それでも、既成事実があればどうとでもなるだろう?」
耳元で囁かれる怖気の走る言葉。すぐ目の前に迫ったアロイスの顔は愉悦に歪んでいた。
◆◆◆◆◆
一方、ホールではオズワルドが歓談からひと息ついてアルコールで喉を潤していた。隣国の大使とは交易の話も出来て、イーディスの狙った通りに事が進んでいた。
「…ルーカス、あちらに動きはあったか?」
オズワルドが監視するように視線を走らせた先には、バーンズ伯爵が数人と和やかに歓談をしていた。
「宴開始直後に庭園で数名の不審者を取り押さえてあります。それ以降は今の所、怪しい者はおりません」
「そうか」
ルーカスの説明にオズワルドは短い言葉で返す。
それは少し前の事だった。反王太子派が宴の失敗のために何かを企てているという情報を掴んだ。調べてみると、反王太子派のバーンズ伯爵に黒幕の容疑がかけられた。
証拠不十分のため捕縛には至らなかったが、今回の宴では厳重にマークをする事となった。参加者の安全のため、警備の数も増やすことに決めた。
さらに、バーンズ伯爵がイーディスと接触した事も分かった。イーディスを守るために、宴の前から秘かに護衛を付ける事になった。
「…イディは大丈夫だろうか」
その視線は、イーディスが出ていった扉を見つめていた。
公の場でオズワルドがイーディスを婚約者扱いした事で、イーディスは反王太子派に狙われる可能性が一気に高くなった。宴の最中に婚約者(仮)に何かあれば、王太子の責を問う声が出てくるだろう。
心配そうに呟いたオズワルドに答えたのはアレンだ。
「離れて護衛は付けてあります。通路の警備もルーカスの腹心の部下ですから問題ないでしょう」
「それにしても…少し遅くないか? イディの事だから無理をしてすぐ戻ってくるかと思ったが」
休憩室はそう離れていない。あの周辺にも警備体制は敷いてある。それが分かっていたからイーディス一人でも行かせたのだ。
「確かに…真面目で責任感のあるイディなら、嫌な仕事でも最後までやり通すのに」
「おい……」
嫌な仕事とは失礼にも程がある。嫌味のつもりなのかアレンの言葉は、いつも以上に刺だらけであった。どうやら成人祝いという重要なこの場で、イーディスを婚約者扱いした事にお冠らしい。
そんな時、ルーカスの部下が沈痛な面持ちで現れた。早足でルーカスに近寄ると、小声で何かを告げている。報告を聞いていくうちに、ルーカスは珍しく動揺を露わにしていた。
「ルーカス、何があった?」
「殿下、申し訳ございません。……イーディス嬢を見失ったそうです」
「何だと」
オズワルドは一気に血の気が引いていくのを感じた。緊急事態にルーカスは、早口で報告を続ける。
「イーディス嬢がお手洗いを出た後、護衛は先回りして休憩室付近に移動したそうです。しかし、イーディス嬢が一向に現れず不審に思って引き返したところいなくなっていたと」
ルーカスの報告にオズワルドとアレンは激しく動揺した。恐れていた事態が起きてしまったのだ。
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