【本編】

file.00 ある研究者による記録

 無機質な事務用机の上に、黒いカバーのかかった手帳がある。その近くに置かれたマグカップからは湯気が立ち上っていて、中には熱い紅茶が入っていることがわかる。髪を明るく染めた女性が部屋に入ってきて、片手に抱いていた資料を事務机に置いた。そして短いため息と共に黒い手帳を開いた。彼女のネームタグには「所長代理/橘花」と書かれている。橘花は手櫛でサッと髪をまとめ上げると日記をペラペラとめくる。眉根を寄せてから、眉間を揉んだ。


『10/15 大切な恋人を喪った。立ち直れそうにない。私たちは完全に上手くいっていた。今の研究が終われば結婚しようと言って頑張ってきたし、研究チームのみんなもそれを分かってくれていた。それなのに、どうして。飛行機が墜落する事故なんて、自分の身には、、、正確には身内の身にも、絶対に起こらないと思っていたのに。「私は大丈夫」なんて考えてはいけない。』


『11/13 未だに彼がいない現実が夢のようだ。私たちの研究は見るからに停滞している。偉人の人格をAIに学ばせて、人類を半永久にするという彼の夢を、今となっては私が背負っているのに・・・。まずは某女優の言動データを見返すことにしよう。何しろ、偉人の復元には膨大な情報が必要だ。』


『12/25 去年の今日は何をしていたっけ。相変わらず研究ばかりだったけれど、みんなでチキンをデリバリーして、安いケーキを食べてお酒を飲んだ。彼が酔って私と親友の絢香を間違えてキスを迫ったから、2人して頬を引っ叩いてやったわね。それもすでに懐かしく思える。ああ、早く帰ってきて。叶恵、愛してる。』


『1/6 私はようやく見つけた。叶恵は私の元に帰ってくる!この研究所で行われている人格実験をうまくやれば叶恵は当時のままの姿で、私を再び愛してくれる。けれど反対する人もいるかもしれない。何より、私たち研究チームは良い実績を残しているけど不気味の谷を未だ越えられない。叶恵の再生実験のことは秘密裏に行おう。まずは信頼できる人間をリストアップしてみよう。・・・親友であり機械学習エンジニアの本田絢香はきっと私に協力してくれる。アンドロイド研究者の海江田千春は無口で頑固な性格だけど、同時に好奇心旺盛でもある。きっと味方してくれるだろう。もう1人、特殊メイク担当者からも仲間が欲しい。ゆっくり、だけどなるべく早く計画を進めよう。プロジェクトMは必ず成功させてみせる。待ってて、叶恵。』


『2/23 ついにメンバーは集まった。概要をここに記す。

 (外部秘)プロジェクトM

 計画内容:今は亡き前所長_三神叶恵_のアンドロイドを作成し、人格形成AIによって復元する。この実験が成功すれば本研究所の再発と発展が見込める。施工期間は3年を目標にする。

 

 メンバーは以下の通り。

 ①橘花 穂/Minoru Tachibana

 プロジェクト責任者。全体の管轄と三上叶恵の人格データの監督を務める。

 ②本田 絢香/Ayaka Honda 

 機械学習のエンジニア責任者。プログラムの設計管理を行う。

 ③海江田 千春/Chiharu Kaieda

 自律歩行アンドロイドの設計・作成を行う。8年前より同研究を行なっているため技術は流用することを所長代理権限で許可する。

 ④ 鵜久森 静樹/Shizuki Ugumori 

 特殊メイクアーティスト。アンドロイドの造形チームより抜擢。職人気質で他者との関わりを嫌うため今回のプロジェクトに適任と考える。


 以上


 ・・・正直、絢香は反対していたけれど私の気持ちを汲んでくれたのか、今回参加を決めてくれた。必ずこのプロジェクトを成功させたい。』


 薄暗い事務所で彼女_橘花穂_はペンを握る。


『3/9 今回のプロジェクトMは予想以上に上手くいっている。プロトタイプのゼロ式は今すでに叶恵の思い出や考え方を学習している。あの無機質な顔に叶恵の顔がつく日が待ち遠しい。ただ、鵜久森さんはこだわりが強いからここ数日はアトリエに篭ったきりだ。元の仕事に合わせて今回、秘密裏に叶恵の顔を作ってもらっているから目の下のクマもひどい。ただ、すれ違いざま休むよう声をかけたら逆に「今が一番楽しい」と言っていた。やっぱり鵜久森さんは変わった人だと思う。』


 橘花はペンを手帳に挟むと天井を見上げてふう、とため息をついた。マグカップに入った紅茶はすでにぬるくなっていた。

 冷めた紅茶に手を伸ばし、資料に目を通していると本田絢香が穂に近づいた。


「今日のカナカナは調子が良かったよ。セリフパターンはぎこちないけど、能力テストに問題なし。試しに有名歌手のインタビューを再現させたら上手くプログラムを動かしてた。ウチが追い抜かれるのも時間の問題かもねー」


 絢香は追加の資料が入ったファイルを穂の資料の上に置いた。


「私たちは元々偉人の生活パターンや映像資料などを使って、故人を復元して演技や歌、職人仕事をさせる研究を行なっていたでしょう?ゆくゆくは職人の人員不足の助けになったり、伝統芸術を残していきたいと考えていた。・・・って、これは叶恵の受け売りなんだけどね。この研究<<プロジェクトM>>自体は副次的なものだけど、もう完成に近づいている。つまり、」


「恋人復活大成功って?そりゃあ、ミノがショックを受けていたのも、寂しいのもわかるけど。正直これは禁忌だとウチは思うよ。」


「やだ、絢香、まだ怒っているの?」


「呪われてもしらないよって警告。んじゃね」


「お疲れ様、資料を持ってきてくれてありがとう」


 絢香は手をひらひら振って真っ直ぐと薄暗い部屋を出ていった。稔は彼女の言葉を思い返していた。禁忌、呪い。考えた上で、彼女の心は決まっていた。


「誰かに恨まれてもいい。呪われたっていい。私には叶恵が必要なの」


 どこからか蛍光灯によってきていた羽虫がその白く眩い光の熱さに焼かれ、床にポトリと落ちた。

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