スラムⅣ
冬の朝食を二人は過ごした。
宿屋を出ると、高く、白い陽光が差している。
一粒、汗が落ちる。
「はぁ、あついな」
と、一言。隣のモネは凍土に立っているかの如くだ。汗などもなく、雪化粧をしている。
リベルはもう一度ため息をつく。頭をガシガシと両手で掻き、首を振って再度横を見てみる。
―—いなかった。
慌てて前を見れば、彼女は十歩も先を行ってしまっていた。足取りは軽くも重くもない。淡々と、ただそれだけだ。氷上を滑るかのようになめらかで、そしてどんどんと離れていくように感じる。
リベルは負けじと走り出す。ダンダンと大地を踏み込む。距離は縮まってきた。あと少し。モネの肩に手を伸ばす。しかし、はたとその手は止まった。手をかけるのは違う、そんな気がした。
そして、リベルは手を重力に従わせて落とし、モネの肩に並ぶこともなく、ただ追従する。屈辱だが、どうも今ばかりは、そうした方がいいように思われたのだ。
足元に大きな石、一般には岩めいたものが視界に入ってきた。それでふと顔を上げると知らぬうちにスラムに来ていたらしい。
モネに脇腹を小突かれ、ある方を示された。目を向ける。すると、一人の少年と、昨日の男がいた。
少年は前髪で目が隠れているが、元気に飛び跳ね、昨日の男に話しかける。
「なぁなぁ、おっちゃん!見てくれよ!こんなに髪伸びたんだぜ!」
そうして、少年は前髪を真上に持ち上げて一つにまとめてみせる。ちょんまげだ。そうしてできた毛先をフリフリして強調する。少年はさらに男に近づいていく。
「ええい、やかましい。だから何だというんだ」
少年はなおも目を輝かせ、その男の襟をつかまんとする勢いで詰め寄る。
「前に言ってくれただろ!?俺の筆を作ってくれるってさ!筆に使えるような毛は自分じゃ手に入らないから、おめぇの髪が伸びたら考えてやるよってさ!!どうだよ、伸びただろ!?これで筆、作れるよな!?」
男は子供相手だというのに、露骨に嫌そうな顔を向ける。なんと、やはり狭量なだけではないかと思うリベルである。
「お前も言っているじゃないか。私はな、〝考えてやる〟と言ったんだ。〝作ってやる〟とは言っていない。今、私は忙しい。他所を当たれ」
「なんだよ!?それ!!俺はここ三か月ずっと楽しみにしてたっていうのにさぁ!!」
「お前が楽しみにしていたかなんて私には関係ないだろ。それにただ髪が伸びるのを待っていただけなんだ。大した苦労もない。絶対に応えてやらなきゃならんことでもないだろう」
「なんだよ!!このケチじじぃ!!もういいっての!!」
少年は地団太を踏みながら、男から距離を取っていく。そのまま去るのかと思ったが、完全に離れるまではいかず、男の視界端ギリギリに入り込むあたりで体育座りを決め込む。さらに続けてぶつぶつと何か言い始めた。二人が耳を凝らすとようやく聞き取れる。
「……ちぇ。作ってくれたっていいじゃんかよ……やっと俺も絵を描けるようになれると思ったのにさ……」
目は相変わらず見えないが、どうも滴がたまっていそうである。ここでリベルとモネは本日初めて目を見合わせた。モネは仕方なしと首を軽く振りながら肩をすくませ、男に近寄る。その肩を叩き、少年に注意が向くよう促した。
「おっちゃんのうそつき……ぐすっ」
ドンピシャである。手を目のあたりにもっていって、滴が落ちないように覆う。けれどもそれでは足りないようで、指の隙間から零れてしまっている。このまま放っておけばあそこにオアシスができそうである。
男はその様子をじっと見る。段々と目を細め、口はひん曲がり、苦虫を噛み潰したような顔つきになってきた。グネグネと頭を回し、何度か立ち上がろうとしては止めを繰り返す。ただ、少年に伸ばした右手が下りることはない。
モネは男のそんな様子に耐えかねたようだ。
「いいの?泣いてる子供に対してさ、自分のプライドだか何かは知らないけど、そのまま放っておいて。そんなあり様だと、むしろそのプライドが毀損されるとは思わないの?」
やれやれというジェスチャーまで付ける徹底ぶりである。男は視線を離れるモネの背と少年とを何度も往復させ、しばらくして遂に決心したらしい。
「ああ!分かったよ。作ってやるよ。ほら、こっち来い!」
「ほんと!?」
少年が勢いよく顔を上げる。つぼみが花開いた。
「嘘は……言うものじゃないからな」
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